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第6話 ひび割れた手鏡

嵐の夜、店先に置かれていた一枚の手鏡。


それが現れた瞬間、七枚の花弁の二枚目が光りました。


カインとリコは、またひとつ「記憶」に触れることになります。

「……二枚目」


リコが、金属板を見つめた。


七枚の花弁。


そのうち二枚が、淡い光を宿している。


カインは手鏡と金属板を交互に見た。


「どう見ても、偶然じゃないな」


「これが二つ目の記憶なのかな」


「まだ決めつけるな」


そう言いながらも、カイン自身、その可能性を否定できなかった。


誰が置いていったのか分からない。


なぜこの嵐の中で、わざわざ店まで運んできたのかも分からない。


しかも、手鏡が現れた瞬間に二枚目の花弁が光った。


「……面倒なものばかり集まってくる」


「でも、修理屋さんだもんね」


「これは普通の修理じゃない」


リコは少し笑った。


「普通じゃない方が、カインには合ってるのかも」


「どういう意味だ」


「なんとなく」


カインは返事をせず、手鏡へ視線を戻した。


小さな手鏡だった。


銀色の縁取り。


柄の部分には蔓草の模様。


鏡面には、中央から大きなひびが一本走っている。


古い。


だが、安物ではない。


「貴族の持ち物か」


「分かるの?」


「作りが細かい」


カインは遮断手袋をしたまま、手鏡を持ち上げる。


重量。


枠の歪み。


接合部。


まずは外側から確認する。


「壊れてるのは鏡だけ?」


リコが覗き込む。


「見た目ではな」


「直せる?」


「鏡面を交換すれば簡単だ」


そう言って。


カインの手が止まった。


交換すればいい。


その言葉に、宝石箱の記憶が重なる。


傷を消した。


新品のようにした。


それで、大切なものまで消した。


「……どうしたの?」


「いや」


カインは手鏡を作業台へ置いた。


「まずは見る」


「記憶を?」


「ああ」


リコの表情が少し曇る。


「大丈夫?」


「何が」


「オルゴールのとき、すごく苦しそうだったから」


カインは一瞬黙った。


「心配するな」


「でも」


「仕事だ」


そう言って、右手の手袋を外す。


素手の指先を、手鏡の縁へ近づける。


そして。


触れた。


視界が揺れる。


◇


少女がいた。


年齢は、リコより少し上だろうか。


明るい部屋。


大きな窓。


白いカーテン。


少女は鏡の前に座っている。


後ろには、一人の女性。


「じっとして」


母親だ。


そう分かった。


女性は少女の髪をゆっくり梳いていた。


『痛い』


『ごめんね』


『お母さま、下手』


『昔からこういうのは苦手なの』


少女が笑う。


母親も笑った。


温かい。


そんな記憶だった。


場面が変わる。


同じ鏡。


今度は、少女が一人で見つめている。


少し成長している。


母親はいない。


部屋には黒い服を着た人々。


重い空気。


誰かが言う。


『奥様は、よく耐えられました』


少女は何も答えなかった。


ただ。


手鏡を握っていた。


また場面が変わる。


少女は泣いている。


『どうして』


鏡を床へ投げつける。


ぱきん。


鏡面に大きなひびが入った。


『どうして置いていったの』


泣き声。


『お母さまなんて、大嫌い』


その直後。


少女の顔が歪んだ。


『……違う』


震える声。


『違うの』


『そんなこと、言いたかったんじゃない』


少女は割れた鏡を抱きしめた。


『ごめんなさい』


『ごめんなさい、お母さま』


◇


カインは手を離した。


「……っ」


頭が重い。


だが、オルゴールほどではない。


「カイン?」


リコが心配そうに覗き込む。


「大丈夫」


「何が見えたの?」


カインはすぐには答えなかった。


手鏡を見る。


ひび割れた鏡面。


あの傷は、


ただ壊れた跡ではない。


後悔が刻まれた傷だった。


「……このひびは残す」


リコが目を瞬く。


「直さないの?」


「枠と柄だけ直す」


「鏡は?」


「交換しない」


「でも、割れてるよ」


「分かってる」


カインは静かに言った。


「この傷を消したら、この鏡じゃなくなる」


リコは黙った。


カインは道具を取り出す。


枠を外す。


歪んだ金具を整える。


錆を落とす。


緩んだ接合部を締め直す。


鏡面には手を加えない。


時間だけが流れていく。


やがて。


手鏡は、古さを残したまま、


しっかりと形を取り戻した。


ひびはある。


だが、


それでいい。


「できた」


リコが鏡を覗き込む。


「……綺麗」


「綺麗にはしてない」


「でも、綺麗だよ」


「そうか」


「うん」


リコは割れた鏡面に映る自分の顔を見つめた。


その顔は、ひびによって二つに分かれている。


「壊れてても、残していいものってあるんだね」


カインは答えなかった。


ただ。


その言葉が、妙に胸へ残った。


翌朝。


嵐は過ぎていた。


カインが店を開けると、


扉の前に一人の女性が立っていた。


二十代後半くらいだろうか。


濡れた外套を羽織り、


不安そうに店を見ている。


「……あの」


女性が言った。


「昨日、ここに手鏡を置いたんですが」


カインは黙って、修復した手鏡を差し出した。


女性は受け取る。


そして。


息を呑んだ。


「ひび……」


「残した」


女性の顔が強張る。


「直せなかったんですか」


「直せた」


「じゃあ、どうして」


カインは少し迷った。


昔なら。


見た記憶を、そのまま話していただろう。


だが今は違う。


「……その傷まで消したら、別の鏡になる気がした」


女性の目が見開かれる。


長い沈黙。


そして。


手鏡を胸へ抱きしめた。


「……そうです」


声が震えていた。


「このひびは、私がつけたんです」


カインは何も言わない。


「母が亡くなった日に」


女性は鏡を見つめた。


「ずっと、捨てられませんでした」


「……」


「でも、見るのも辛くて」


一粒。


涙が落ちた。


「直してもらえば、全部忘れられると思ったんです」


カインは静かに聞いていた。


「でも……」


女性は、ひびの残る鏡を撫でる。


「忘れなくていいんですね」


カインは答えなかった。


答える必要はないと思った。


女性は何度も頭を下げ、


手鏡を抱えて帰っていった。


からん。


鐘が鳴る。


扉が閉まる。


静かな店内。


そのとき。


「キュウ」


リコが振り向く。


「白い子」


「またいるのか」


「うん」


カインには見えない。


だが。


リコの視線の先で、


金属板の二枚目の花弁が強く光った。


そして。


ふわりと。


小さな白い光が浮かび上がる。


今度は、


カインにも見えた。


「……」


白い獣。


長い耳。


雪のような毛。


小さな金色の瞳。


その姿は一瞬だけ現れ、


すぐに光へ溶ける。


リコが息を呑む。


「見えた?」


「ああ」


カインは金属板を見つめた。


一枚目。


二枚目。


二つの花弁が光っている。


「七つの記憶……」


その言葉の意味が、


少しずつ形を持ち始めていた。

挿絵(By みてみん)

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