第4話 白い獣
影がなく、《記憶視》にも何も映らない少女・リコ。
その彼女にだけ見えるという、小さな白い獣。
オルゴールに刻まれた七枚の花弁が再び光ったとき、カインは自分の店に起きている異変が、偶然ではないと気づき始めます。
「……キュウ」
もう一度。
今度は、はっきり聞こえた。
カインは作業台の上を睨む。
そこには古びたオルゴールしかない。
「どこだ」
「そこ」
リコが指をさした。
「オルゴールの横」
カインは目を細める。
何も見えない。
「何もいない」
「いるよ」
「俺には見えない」
「でも、いる」
リコは不思議そうに首をかしげた。
まるで、見えないカインの方がおかしいとでも言いたげだった。
「どんな奴だ」
「えっと……」
リコはじっと作業台を見つめる。
「白くて、小さくて……」
「それは聞いた」
「耳が長い」
「犬か?」
「違う」
「猫?」
「それも違う」
「じゃあ何だ」
「わからない」
カインは額を押さえた。
「またそれか」
リコは少しむっとした顔をする。
「本当にわからないんだもん」
「……そうだったな」
カインは息を吐く。
改めてオルゴールを見る。
七枚の花弁の紋様は、もう光っていない。
だが。
さっきの鳴き声は聞き間違いではない。
少なくとも、音は確かに存在した。
「そいつは、何をしてる」
「こっち見てる」
「誰を」
「カインを」
「……」
それはあまり嬉しい情報ではなかった。
「警戒してる?」
「ううん」
リコはしばらく白い獣を見つめた。
「なんか……困ってるみたい」
「獣の顔を見て分かるのか」
「なんとなく」
そのとき。
「キュウ」
また声がした。
今度は作業台の上ではない。
少し右。
棚の方からだった。
カインが振り向く。
「移動したのか?」
「うん」
リコが頷く。
「棚の上」
カインは棚を見る。
古時計。
木彫りの人形。
真鍮の燭台。
修理待ちの食器。
それらが並んでいるだけだ。
「そいつ、物をすり抜けるのか」
「ううん。ちゃんと避けてる」
「……つまり、そこには何かいる。でも俺には見えない」
「うん」
カインは少し考える。
《記憶視》なら何か分かるかもしれない。
だが、相手が生き物なら話は別だ。
そもそも見えないものに触れられるのかも分からない。
「リコ」
「なに?」
「そいつに触れるか」
リコは手を伸ばした。
「あ」
「どうした」
「逃げた」
「……」
白い獣は棚から飛び降りたらしい。
リコの視線が床へ移る。
そして、店の奥へ向かって動いていく。
「待って」
リコが追いかけようとする。
「おい」
「奥に行っちゃう」
「放っておけ」
「でも」
「知らない獣だぞ」
「でも、呼んでる」
カインの表情が変わった。
「呼んでる?」
「うん」
「声が聞こえるのか」
リコは首を振った。
「声じゃない」
「じゃあ何だ」
「……こっちに来て、って」
「だから、それをどうやって」
「わからない」
まただ。
カインは呆れかけたが、今度は何も言わなかった。
リコの表情は真剣だった。
「どこへ行った」
「倉庫」
カインは振り向く。
さっきオルゴールを見つけた場所だ。
嫌な予感がした。
「勝手に動くな」
そう言いながら、カイン自身が先に歩き出す。
リコもその後ろをついてくる。
倉庫は狭かった。
壁際に木箱が積まれ、棚には修理不能と判断した古道具が詰め込まれている。
嵐の音が遠く感じられるほど、空気が重い。
「どこだ」
「そこ」
リコが指をさす。
倉庫の一番奥。
大きな棚の下。
「何かあるのか?」
「白い子が、そこを見てる」
カインはしゃがみ込んだ。
棚の下には、埃しか見えない。
「……何もないぞ」
「もっと奥」
カインは灯りを近づけた。
すると。
壁際の床に、妙な隙間があることに気づいた。
「……これは」
板が一枚だけ、少し浮いている。
今まで何度も倉庫へ入っていた。
なのに、気づかなかった。
カインは工具を持ってきて、床板の端へ差し込む。
「下がってろ」
ゆっくり持ち上げる。
ぎい、と古い木材が音を立てた。
板の下には、
小さな空洞があった。
その中に。
何かが置かれている。
「箱?」
リコが覗き込む。
「いや」
カインは手を伸ばす。
埃の中から引き出したのは、
薄い金属板だった。
掌ほどの大きさ。
黒ずみ、端が欠けている。
表面には細かな文字のようなものが刻まれていた。
そして中央には。
「……またか」
七枚の花弁。
オルゴールと同じ紋様。
リコが息を呑む。
「これ……」
「知ってるのか」
「……」
少女の顔から血の気が引いていく。
「リコ?」
「これ……知ってる」
カインはすぐに振り向いた。
「本当か」
「でも……」
リコは頭を押さえる。
「思い出せない」
「無理に思い出すな」
「でも、知ってるの」
苦しそうな声だった。
「見たことがある」
「どこで」
「わからない」
「誰と」
「わからない」
リコの呼吸が速くなる。
カインは金属板を床へ置いた。
「もういい」
「でも……」
「無理に掘り起こしても意味がない」
リコが顔を上げる。
カイン自身、その言葉に少し驚いた。
かつての自分なら、
知ることを優先していた。
どんな記憶でも。
どんな真実でも。
見えるものは見ればいい。
知ったものは伝えればいい。
そう思っていた。
その結果。
傷つけなくていいものまで壊した。
「思い出せるときに思い出せばいい」
カインは静かに言った。
「今は、それでいい」
リコはしばらく彼を見つめていた。
そして、小さく頷いた。
「……うん」
そのとき。
「キュウ」
白い獣の声。
リコが横を見る。
「どうした」
「白い子が……」
少女の表情が変わる。
「消えた」
「消えた?」
「うん」
「どこへ」
「この板の中」
カインは金属板を見る。
「……は?」
次の瞬間。
板に刻まれた七枚の花弁が、
淡い白色に光った。
同時に。
オルゴールのある店の方から、
旋律が聞こえた。
ひとりでに。
また、鳴っている。
カインとリコは顔を見合わせた。
そして。
金属板の表面に刻まれていた文字が、
ゆっくりと浮かび上がった。
カインには読めない文字。
だが。
リコの唇が、
かすかに動いた。
「……七つ」
「何?」
リコ自身も驚いたように目を見開く。
それでも、もう一度。
今度ははっきりと口にした。
「七つの記憶」
カインは何も言えなかった。
リコは金属板を見つめたまま、
続けた。
「七つを集めれば――」
そこで言葉が止まる。
「どうした」
「この先が……わからない」
だが、その瞬間。
金属板の七枚の花弁のうち、
一枚だけが、
ゆっくりと光り始めた。




