第21話 三つの約束
壊れたものを直すだけでは、本当に大切なものは守れない。
カインとリコは、これまでの経験を通して、店を続けるための新しい「三つの決まり」を作ります。
少しずつ変わり始めた二人の関係。
しかし、店を再開した二人の前に、王都から来た行政官が現れます。
新たな物語の始まりを、どうぞお楽しみください。
カインは言葉を失っていた。
作業台の上には、固く閉ざされた木製の工具箱。
店の入口には、『しばらく休業します』と書かれた貼り紙。
昨日までの自分なら、ここで話は終わっていたはずだ。
自分で勝手に決め、扉を閉ざし、誰も寄せつけない。殻に閉じこもっていれば、誰も傷つけず、自分も失わずに済む。
――ずっと、そうやって逃げてきた。
王都から逃げた時も。
師匠ルシアンのもとを去った時も。
このエルディアへ流れ着いた時も。
だが今、目の前には、その冷たい決断に真っ向から抗う少女がいる。
「……勝手なことばかり言うな」
ようやく絞り出した言葉に、リコは目を丸くした。
「カインだってそうでしょ!」
「何だと?」
「勝手に全部、一人で決めようとした!」
「……」
「だから、おあいこだよ」
「そういう問題ではない」
「じゃあ、どういう問題なの?」
「……」
ぐうの音も出ない。
リコが小さく笑った。頬には、まだ泣いた跡が残っている。
カインは気まずそうに目を逸らした。
(……泣かせた)
胸の奥が、ちくりと痛む。
また子どもを泣かせた。だが今度は、ここで終わらせたくなかった。
カインは工具箱へ手を伸ばし、留め金に指をかけた。
カチリ。
静かな店内に、明快な金属音が響く。
リコが、じっとその手元を見つめている。
「……店は、通常どおり開ける」
リコの顔が一気に華やいだ。
「ほんと!?」
「ただし、条件がある」
「条件?」
「ああ。今までのような無茶なやり方は、二度としない」
「どうするの?」
「決まりを作る」
カインは作業台から紙を一枚取り、ペンを走らせた。
一、記憶を勝手に見ない。
リコが文字を追い、声に出して読む。
「これ、前にも決めたね」
「ああ。今度こそ徹底する」
その下へ、二つ目を書き加える。
二、必要のない傷まで消さない。
「ガリバーさんの椅子だね」
「トトの傷も、あの黒い本もな」
「うん」
三つ目の前で、カインの手が止まった。
ちらりとリコを見る。
「何?」
「最後の一つは、お前が決めろ」
「私が?」
「お前の声も入れろと言ったのは、お前自身だろう」
「……うん!」
リコは心の底から嬉しそうに笑い、それから腕を組んで考え込んだ。
「うーん……」
「まだか?」
「大事な決まりなんでしょ。急かさないでよ」
「もう十分待った」
「うーん……あっ!」
勢いよく顔を上げる。
「分からなくなった時は、一人で決めない!」
「何をだ」
「修復していいか、どこまで直すべきか分からなくなった時。持ち主の人に、ちゃんと聞くの」
「……」
「カインも、私にちゃんと聞いて」
そして、まっすぐに笑った。
「一緒に考える!」
カインは呆れたように鼻を鳴らした。
「……長い」
「ええっ。じゃあ、短くしてよ!」
カインは紙に素早く書きつけた。
三、一人で決めない。
リコが覗き込み、満足そうに何度も頷く。
「うん。それがいい」
「これでいいんだな?」
「うん!」
三つの決まり。
特別な魔法でも、高度な修復術の秘伝でもない。
ただ、この数週間、二人がぶつかり、失敗を重ねながら見つけた大切な指針だった。
カインは紙を、作業台のすぐ横の壁へ貼りつけた。
「お店の決まり?」
「そうだ」
「私も守る?」
「当然だ」
「カインも?」
「当たり前だ」
リコは、にひひと笑った。
「じゃあ、破ったら罰ね。パン抜き!」
「お前は食べなくても平気だろうが」
「カインがパン抜きなの!」
「俺かよ!」
久しぶりに、店内へいつもの賑やかな声が戻ってきた。
◇
翌朝。
扉の貼り紙はきれいに剥がされ、木の看板が元の場所へ戻された。
『壊れたもの、何でも直します』
ただし、その下には小さな木札が一枚、付け足されている。
『何を、どこまで直すかは、一緒に考えます』
リコは歩道まで出て、少し傾いた木札を右へ左へと眺めていた。
「これでまっすぐ?」
「まだ右だ」
「こっち?」
「行きすぎだ」
「もう、カインがやってよ」
「お前が自分で掛けたいと言ったんだろう」
そんなやり取りの向こうで、石畳を打つ規則正しい音がした。
数人の役人らしき男女が、通りの幅を測り、壁へ目印の札を置いている。その先頭には、仕立てのよい濃紺の外套をまとった女がいた。胸元には、王都の行政官を示す銀の徽章が留められている。
女は古い家々を一軒ずつ見上げ、手元の記録へ迷いなく書き込んでいた。
「……あの人、誰?」
リコが小声で尋ねたところへ、古地図を抱えたアンナがやって来た。
「王都都市整備局のセレナ行政官よ。旧市街の再整備を担当している人」
「再整備?」
「傷んだ道や建物を調べて、残すものと建て直すものを決めるの」
アンナが答えた時、セレナがこちらへ気づいた。
彼女は部下へ短く指示を出すと、店の前まで歩いてくる。
「修復店のカイン・セラさんですね」
「……そうだが」
「営業を再開されたのですね」
セレナの視線が、新しい木札で止まった。
「何を、どこまで直すかは一緒に考える――よい言葉です」
声音は穏やかだったが、その表情はほとんど崩れない。
「ただ、建物については思い出だけで残せないものもあります。崩れた壁は、人の命を奪いますから」
「それを決めるための調査か」
「はい。失われる前に記録し、残せるものは残す。そのためにも、危険な場所を見分けなくてはなりません」
そこでセレナは、アンナの腕に抱かれた古地図へ目を留めた。
「ずいぶん古い地図ですね」
「古書店の資料です。少し調べたいことがあって」
「そうですか」
ほんの一瞬、セレナの目が鋭くなった。
「南の倉庫街、その裏手には近づかないでください。古い壁が多く、現在は立入を控えていただいています」
「何かあるのか?」
「再整備のための安全確認です。警告札のない場所でも、崩落の危険はあります」
セレナはカイン、リコ、アンナの順に視線を移した。
「古いものを大切にするお気持ちは理解しています。だからこそ、命を賭けるような真似はなさらないでください」
一礼すると、彼女は調査の一行へ戻っていった。
リコはその背を見送り、首を傾げる。
「怖い人?」
「さあな」
「真面目すぎる人ではあるわね」
アンナは小さく息をつき、今度は店の木札を見上げた。
「でも、いい札じゃない」
「二人で決めたんだよ!」
リコが誇らしげに胸を張る。
「俺は、こんな目立つ文にしろとは言ってない」
「はいはい。また始まった」




