第15話 地下から響く音
前回、壊れたはずの羅針盤が示したのは――リコでした。
古道具店の地下から響く、不思議な音。
そして、誰も知らないはずの場所へ続く道。
少しずつ、三十年前の出来事とリコの秘密がつながり始めます。
第15話「地下から響く音」、どうぞお楽しみください。
羅針盤の針は、リコを指していた。
誰も動かなかった。
店の奥で、古い時計だけが規則正しく音を刻んでいる。
カチ。
カチ。
カチ。
「……私?」
リコが自分の胸元を指した。
カインは答えなかった。
机の上の羅針盤を持ち上げ、ゆっくりと向きを変える。
それでも針は動かなかった。
北でもない。
南でもない。
羅針盤そのものを回しても、針はただ一点を指し続ける。
リコを。
「壊れてるんじゃないの?」
「壊れているなら、こんな動き方はしない」
「じゃあ……」
リコの声が小さくなる。
そのときだった。
――カン。
二人は同時に顔を上げた。
「今の、何?」
カインは答えない。
――カン。
今度は、はっきり聞こえた。
金属を何かで叩くような音。
しかし店の中には、その音を出しそうなものはない。
カインは耳を澄ませた。
――カン。
音は、下からだった。
「地下?」
リコが床を見つめる。
古道具店には地下室がある。
だが普段は使っていない。
先代が残した壊れた家具や、修復する価値すら分からない品を置いているだけの場所だった。
少なくとも、カインはそう聞いていた。
「今日は風が強いから、それじゃない?」
「風は地下から物を叩かない」
「言われてみればそうだけど……」
カインは羅針盤を手にしたまま、店の奥へ向かった。
地下室へ続く扉は、棚の陰に隠れるように設けられている。
長い間開けていなかった。
取っ手には薄く埃が積もっている。
カインが手をかけた。
「待って」
リコが言った。
「どうした」
「……聞こえる」
「音なら俺にも聞こえてる」
「違う」
リコは首を振った。
顔から血の気が引いていた。
「声」
カインの手が止まる。
「何て言ってる」
「分からない。でも……」
リコは胸元を押さえた。
「知ってる声な気がする」
――カン。
音が鳴る。
その直後。
かすかな声が、リコの耳に届いた。
『……れ……ないで……』
「!」
リコが後ずさる。
「リコ?」
「今……」
呼吸が浅くなる。
「忘れないで、って」
カインの表情が変わった。
その言葉を、彼は知っていた。
古いオルゴール。
炎。
灰。
そして、触れた古道具に残されていた声。
――忘れないで。
「また同じ言葉か」
「また?」
カインは答えず、地下室の扉を開けた。
ぎい、と重い音が店内に響く。
冷たい空気が流れ出してきた。
階段の先には暗闇しかない。
カインがランプに火を灯す。
「ここにいろ」
「嫌」
即答だった。
「危険かもしれない」
「だから一人で行かせない」
「俺は仕事で――」
「私は?」
リコがカインを見た。
「羅針盤が私を指したんでしょ?」
カインは黙った。
リコはゆっくり息を吐く。
「怖いよ。でも、自分に関係があるなら知りたい」
その目に迷いは残っていた。
それでも逃げようとはしていなかった。
「……勝手に先へ行くな」
「うん」
二人は階段を下りた。
一段。
二段。
三段。
下へ進むほど空気が冷たくなる。
棚には壊れた椅子、文字の消えた看板、ひび割れた鏡、蓋のない箱。
忘れられた古道具たちが、ランプの光の外側で黙って並んでいる。
――カン。
今度は近い。
地下室の奥だった。
「カイン」
「ああ」
二人は音のする方へ進んだ。
やがて、突き当たりの壁に行き着いた。
「何もないね」
リコが言う。
石壁だけだった。
扉もない。
棚もない。
だが羅針盤を見ると、針は壁を指している。
いや。
少し違った。
「……下か」
カインがしゃがみ込む。
針の先は壁ではない。
その下。
床のさらに下を示していた。
カインが床板を調べる。
一枚だけ、色の違う板がある。
埃を払うと、小さな金具が現れた。
「これ……」
リコが息を飲む。
金具には、花の模様が刻まれていた。
一枚。
二枚。
三枚。
四枚。
五枚。
六枚。
そして七枚。
七枚の花弁。
カインの脳裏に、三十年前の戦いで見た断片がよみがえる。
燃える町。
逃げる人々。
灰に埋もれた道。
そして、誰かの声。
『器を、地下へ』
頭の奥に鋭い痛みが走った。
「っ……」
「カイン!」
リコが腕を支える。
「大丈夫?」
「ああ」
嘘だった。
視界の端に、存在しないはずの炎が見える。
カインは金具に手をかけた。
「開けるぞ」
リコがうなずく。
床板を持ち上げる。
その下から、さらに古い石段が現れた。
店の地下室よりも、もっと深い場所へ続いている。
冷たい風が吹き上がってきた。
そして。
暗闇の底から。
今度は、はっきりと声が聞こえた。
『……リコ』
リコの顔が凍りつく。
「私の……名前」
カインはランプを掲げた。
暗闇はどこまでも続いていた。
羅針盤の針は、もうリコを指してはいなかった。
真っ直ぐに。
地下の奥を指していた。




