第12話 七枚の花と、三十年前の戦い
七枚の花の紋様。
そして、誰も語ろうとしない三十年前の出来事。
ガリバーの口から、エルディアの街に隠された過去の一端が語られます。
十分後。
カインとガリバーは、旧市街の港近くにある酒場の隅にいた。
低い天井、煤けた油ランプ、油の染みついた木製テーブル。港の男たちの荒々しい笑い声が飛び交っている。
カインは酒を好まない。
ガリバーは勝手にエールを二人分注文した。
「飲め」
「……用件を話せ」
「せっかちな奴だな」
「お前に付き合っている暇はない」
「店に客も来ないくせに」
「帰るぞ」
カインが立ち上がろうとした時、ガリバーの声が低く沈んだ。
「待て」
カインは不機嫌そうに席に戻った。
老人はエールを一口あおる。
「……昼間」
「ああ」
「あの娘が言っていたな。『同じ花を見た』と」
カインの目が鋭く細まった。
「……聞こえていたのか」
「耳はまだ死んでおらん」
カインは一瞬躊躇したが、意を決して懐から一枚の紙を取り出した。
トトの刺繍布を見て描き写した、あの紋様。
中央を囲む、七枚の花弁。
テーブルの上に紙を置く。
ガリバーがそれを見た瞬間――ぴたりとすべての動きを止めた。
手に持ったジョッキが、微かに震える。
カインはその動揺を見逃さなかった。
「知っているな」
返事はない。
「ガリバー」
老人の顔から、昼間の豪快さが完全に消え去っていた。
「……どこで見た」
ガリバーが低く尋ねる。
「トトの母親の刺繍布だ」
ガリバーが苦痛そうに目を閉じた。
「ほかには」
「俺の店にある、古いオルゴール」
老人がパッと目を開けた。
その瞳には、明確な警戒と恐れが宿っていた。
「……触ったのか」
「……ああ」
「何を見た」
カインは言葉を選びながら答えた。
「炎。……街が燃えていた」
「……」
「兵士たち。そして、大量の灰」
老人の手が、ゆっくりとジョッキから離れる。
「……少女の声も聞いた。『忘れないで』と」
その瞬間、ガリバーはドカンとテーブルを叩いて立ち上がりかけた。
「それ以上見るな!!」
「なぜだ!」
「見るなと言ったら見るな!」
「理由を言え!」
「若造!!」
老人はカインを睨みつけた。
酒場の喧騒が、遠い世界の出来事のように感じられる。
「この街にはな……『直さない方がいいもの』もあるんだよ」
カインは紙の紋様を見つめた。
「この紋様は何なんだ。トトの母親は『街を忘れないための大切な印だ』と言っていた」
ガリバーの瞳が大きく揺れた。
「……あいつが、そう言っていたのか」
「知っているんだろ。隠さずに話せ」
ガリバーは長い沈黙の後、重い口を開いた。
「……三十年前だ」
静かな声だった。
「この街で、大きな戦いがあった」
カインは息を呑む。
「戦い……? 歴史書にもそんな記録はないぞ」
「今じゃ、誰も話さんからな」
「なぜ隠す」
「話したくないからだ。……思い出したくもない」
ガリバーは手元の酒を見つめた。
「俺だってそうだ」
「何があったんだ」
「今日は話さん」
「ここまで言っておいてか!?」
「だから今日はここまでだと言っている!」
カインは苛立ちを露わにした。
「俺はもう、この一件に巻き込まれているんだ」
「だから『手を引け』と言っているんだよ!」
ガリバーはカインの目を真っ直ぐに見据えた。
「リコも関係しているかもしれないんだぞ!」
老人の目が、ほんのわずかに泳いだ。
「……なんだ、その反応は。リコの過去を知っているのか!?」
「知らん!」
「嘘をつくな!」
「知らんと言っているだろ!!」
ガリバーは荒々しく立ち上がった。
「帰る」
「待て、ガリバー!」
老人は足を止め、背中で言った。
「カイン……物を直す時、壊れた理由を知ることは確かに大事だ」
「……ああ」
「だがな」
ガリバーは振り返り、鋭い眼光を向けた。
「理由を知ったことで……人間まで壊れてしまうことがあるんだ」
カインは言葉を失った。
王都でのあの失敗――真実を突きつけたことで依頼人の心を壊してしまった過去を、見透かされたような気がした。
「……覚えておけ」
それだけ言い残し、ガリバーは夜の街へと消えて行った。
◇
カインは一人、酒場に取り残された。
テーブルの上に残された、七弁の花の図面。
三十年前の戦い。
炎と灰。
『忘れないで』という叫び。
そして、ガリバーが抱く強い恐怖。
間違いなく、何かがある。
このエルディアという街は、巨大な過去を隠し持っている。
夜遅く、店に戻ると、リコが長椅子で膝を抱えて待っていた。
「おかえり、カイン」
「……起きていたのか。アンナのところで寝ていろと言ったろう」
「寝る必要ないもん」
「眠る練習はどうした」
「今日は集中できなかったからやめた」
カインは上着を脱いで壁にかけた。
リコがトコトコと近づいてくる。
「ガリバーさんと、何話してたの?」
カインは一瞬答えに窮した。
「……昔の話だ」
「昔?」
「ああ」
「……私の昔も、分かった?」
カインの手が止まる。
リコはただ純粋に、期待と不安が入り混じった瞳でカインを見上げていた。
カインは、嘘をつかなかった。
「……まだ、何も分からない」
リコは少し寂しそうに微笑んだ。
「そっか……」
「だが」
「?」
「調べる」
リコがパッと顔を上げた。
「いいの……?」
「俺自身が、知りたいと思ったからだ」
「七枚の花のこと?」
「ああ」
「あの白い子も?」
「ああ」
そして、カインはリコの目を真っ直ぐに見つめた。
「……お前のこともだ」
リコは呆然と目を見開き、やがて胸の前に手をギュッと握りしめた。
「……ありがとう、カイン」
小さく、だが力強い声だった。
◇
その夜。
カインはベッドに入っても眠れなかった。
ガリバーの残した言葉が、暗闇の中で何度もリフレインする。
――この街には、直さない方がいいものもある。
――知ったことで、人間まで壊れることがある。
(それでも……)
カインは暗い天井を見つめた。
壊れているかどうかすら、開けてみなければ分からない。
だが、理由を知ったからといって、修復師がすべてを決めていいわけでもない。
何を残したいのか。
何を知りたいのか。
本人に尋ねなければ分からないことがある。
修復師にできるのは、その答えを聞いた上で、壊れたものを未来へ渡せる形にすることなのだ。
窓の外には、静まり返ったエルディアの夜空が広がっている。
見慣れたはずの石畳や古い街並みが、今夜はまるで巨大な秘密を覆い隠す重い「蓋」のように思えた。
街のどこかで、冷たい夜風が吹き抜ける。
まるで三十年前の炎の記憶を呼び覚ますかのように、灰のような細かい塵を、ほんの一瞬だけ夜空へと巻き上げながら――。




