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05 失脚

 会談決裂の報がクテシフォンに伝わるまで、さほど日は要らなかった。国境から戻った使者たちの口から、幕舎で交わされた言葉の折々が町の中に伝わっていく。


 その日、クバード王は広間に諸侯と役人を集めていた。高坐の前には絨毯が敷かれ、その端に沿って人々が膝をそろえている。鷹の羽飾りをつけた槍が壁ぎわに立てかけられ、遠い戦の名残を示していた。


 列の中から、メボデスが進み出る。彼は高坐の前で膝を折り、長く頭を垂れてから、ゆるやかに顔を上げた。


 「陛下。帝国との和平が成らなかった訳、その次第を申し述べとうございます」


 クバードは、手にしていた飾り紐を指先でひねりながらうなずく。


 「申せ」


 メボデスは一礼し、諸侯の列を横目に見やった。視線が自分に集まるのを確かめると、言葉を選んで口を開く。


 「国境の幕舎において帝国の使節と対坐したのは、アドラスタダラン・サラネスのセオセス殿にございます。ところがあの者は、陛下よりお命じもなかったラジカの件を、みずから議に持ち出しました」


 列のあちこちで衣擦れの音が動いた。ラジカの名は、この場にいる誰にとっても軽いものではない。かつてペルシア王の庇護にあった国であり、いまは帝国の手にある地である。


 「戦の終わらせ方を定めようとしていた席において、セオセスは帝国に向かい、ラジカは本来ペルシア王のもとにあった。汝らはそれを奪ったと責め立てました。そのため帝国の者どもは、我らが約を守る気がないものと受け取りました」


 メボデスはそこで言葉を切り、声を落とした。


 「そればかりではございません。あの者は、この件について事前に帝国のヒュパティウスと語り合っていたと噂もございます。和平を定めるべき席で敵国の名を持ち出し、陛下の御名を危うくしたのみならず、その陰では帝国と通じていたのです」


 広間の空気が変わる。この国で長く務めにあたってきた者ほど、複雑な思いを抱いた。セオセスが清廉であることは誰もが知っていたが、その言葉は鋭く、情けを容れぬところがある。


 クバードは、ゆるやかに視線を巡らせた。


 「他にも、あの者について申し立てることがあるか」


問いかけに、メボデスの背筋がわずかに伸びる。


 「はい。アドラスタダラン・サラネスの役は我らの古き法に例のないもの。これまで胸に収めてきた訴えが、地方の長や廷臣のあいだから寄せられております」


 列の中にはうなずく者、顔を伏せる者がいた。国境の幕舎で交わされた一節のやりとりが、今は王都の評議を揺らし、ひとりの男の身を裁きの場へ押し出そうとしている。


 諸国への召集の命が飛ぶと、ほどなくクテシフォンの法廷に代表たちが集まった。石造りの場の最上段にはクバード王が坐し、その下に諸州の長が列を成す。


 呼び出しの声とともに、セオセスが前へ進んだ。ここは功を論ずる席ではなく罪を量る場である。定められた位置に立つと、多くの目がいっせいに彼へ向けられた。


 最初に口を開いたのはメボデスである。


 「陛下ならびに諸州の長の方々。先日の評議で申し上げましたように、セオセス殿は帝国との会談の席において、ラジカの名を和平の言葉に紛れ込ませました。陛下の仰せにもないその一言が、約を結ぶはずの場を疑いの場に変えたのでございます」


 彼は続けた。


 「そのため帝国側の者どもは、我らが和を結ぶ心を持たぬものと受け取りました。この一事こそ、今の戦を長引かせた元にございます」


 これに続いて、境を預かる州の長が声をあげる。


 「そればかりではございません。あの男は訴えを聞く折にも、自らを法の上に置いてまいりました。贈り物を受けることは決してありませんでしたが、その言葉は刃のごとく、人を責めるのに容赦がありませんでした」


 その言にうなずく者は多い。セオセスは条文を盾とし、誰の顔色にも頓着せぬ。その正しさが、多くの者の胸に重くのしかかっていた。


 別の長が続ける。


 「セオセス殿はペルシア人の定めた暮らし方を喜びませぬ。宴席においても我らの習わしに従わず、祈りの時にも他の神の名を口にしておりました。近ごろ妻を失った折には、遺骸を地に埋めたと申します。死者を大地に埋めることを禁じる我らの法を踏みにじったのでございます」


 列の中からざわめきが漏れた。異なる神への信仰、禁じられた埋葬。清廉と賞されてきた男の周りに、別の色合いの言葉が次々と塗り重ねられていく。


 壇上の代表者たちは互いの顔を盗み見た。誰もがセオセスという名を、己より上に立つ者として知っている。賄賂を退ける厳しさとともに、人を見下すような物腰を持つと感じていた。


 「陛下の御ためと称しながら、和平を壊し、この国をふたたび戦の縁に立たせたのもあの男にございます」


 誰かがそう言うと、別の声が応じる。


 「法を守ると称しながら、自らは法を曲げておる」


 こうして訴えは積もるばかりであった。セオセスのために口を開く者はひとりもいない。法の名を掲げながら、その心の多くは、長く上に立ってきた男への妬みに傾いていく。


 クバードは上段からその光景を見下ろしていた。王の友として長く身近に置いてきた男が、今は罪を問われる者の列に立つ。胸のうちに疼くものはあったが、それを表には出さぬ。


 やがて書記官が立ち上がり、裁きの結果を読み上げた。


 「ラジカの件、このたびの会談を乱した責め、習俗を破った行い、奇妙な神を拝したこと。積み重ねられた訴えの末に、法廷はセオセスに死を言い渡す」


 広間にどよめきが走る。クバードは一息置いてから告げた。


 「法の定めたところである」


 セオセスの運命は、もはや変え難いものとなっていた。


 セオセスの裁きが終わり、法廷から人の列が流れ出る。石の床に残るのは、王と少数の側近ばかりであった。セオセスは衛兵に囲まれ、刑場へと連れ出されていく。


 クバードは上段からその背を見送った。若き日の自分が王位を争ううねりの中にあったころ、彼を支えた者の一人こそセオセスである。敵味方が入り乱れる中で、法を曲げずに助言を続けた男であった。その働きなしに、今日ここに坐していることはなかったと、王自身がよく知っている。


 だが、今や全土の代表が法の名の下に彼を退けた。王がみずからその判を覆せば、古くからの慣習と、自分が掲げてきた秩序の重みを損なうことになる。クバードは胸の奥に痛みを覚えながらも、顔にはそれを出さなかった。友としての情と、王として負うべき務めとが、心の内で引き合っている。


 「以上だ」


 短くそう告げると、彼は席を立った。アドラスタダラン・サラネスの職は、セオセスとともに終わることになる。しかし誰もその坐を継ごうと望まず、また王も新たに人を挙げる気はなかった。ひとつの官職が、一人の男と共にこの世から消えていく。



  ×  ×  ×  



 同じころ、ビュザンティウムの宮廷でも、別の形で会談の余波が揺れていた。ルフィヌスが皇帝の前でヒュパティウスを中傷したのである。国境の幕舎での物言いが帝国の名を傷つけたと訴え、彼の信用を損なおうとした。


 皇帝はその言葉を聞き、ヒュパティウスを職から退かせる。さらに、訴えが根も葉もないものかどうかを確かめるため、彼と行動をともにした者の一人を呼び出し、さまざまな責め道具を用いて身に耐え難い苦痛を加えさせた。後に伝えられたところでは、その拷問は比べるもののないほど苛烈であったという。


 しかし結局のところ、ルフィヌスの言葉はヒュパティウスを滅ぼすまでには至らなかった。皇帝はそれ以上の処分を加えず、彼の命と名は保たれたのである。


 ペルシアの都では、一人の男が歴史の表から姿を消し、帝国の都では、同じ会談の影が人のあいだに疑いと痛みを残した。和平のために交わされた言葉のゆくえは、いずれの国でも剣ではなく人の心を裂く形であらわれる。それでもなお両国のあいだには、失われた機会の跡が、消えぬ傷のように残り続けることになった。



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