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11 別離

 クテシフォンの城門から王宮へと続く道を、ザメスはゆるやかに歩いていた。植え込みの影からは、侍僕や書記官の姿がちらと見える。昼の評議が終わっても人の出入りは絶えぬが、今は顔ぶれと歩みの意味が違っていた。


 回廊の柱の陰で、地方から来た貴族の一人が、見慣れぬ若者と短く言葉を交わす。うなずき一つ、若者は巻物の束を抱えて去った。足は王宮の外郭にある邸の方へ向かっている。


 兵の姿もまた変わりつつあった。門の前には通常の衛士のほかに、辺境で鍛えられた騎兵が数騎、馬の口を取って佇んでいる。彼らは口数少なく、その腰の剣は研ぎ澄まされ、鞍には皮袋が結わえられていた。


 ザメスは歩みを止め、遠くに伸びる城壁を見上げる。ここ数日、彼の耳には同じ種の報告が増えていた。いついつどこどこに人が集い、どの門番がその夜の持ち場を替わってほしいと申し出たか。だが一つずつ重ねてゆけば、やがて一つの形になる。


 王の坐を正しき場に戻す。そのための手立てが、城中の隅々へと沁み込んでいく。ザメスは、先に言葉を交わしたアスペベデスとカオセスの顔を思い起こした。老臣の口元に浮かんだ固い決意と、兄の瞳に宿った炎。それに応じた自らの答えが、もはや退く余地を失わせている。


 庭の片側には兵装倉へ続く建物があり、その前で武具係が槍や甲冑を点検していた。名を呼ばれた兵は、夜番の持ち場を告げられ、慣れぬ場所へ赴くことになる。表向きは交代の割り振りに過ぎぬ。だが、その配り方はアスペベデスの意図を汲んだ者たちの手で成されていた。


 ザメスは小さく息を吐く。宮廷の中で、数多の書簡と勅令を見てきた。だが今、彼が目の当たりにしているのは、文ではなく人の動きで紡がれる策である。


 遠くで角笛が一声鳴り、夕刻の更替が告げられた。ザメスは踵を返し、自らの居所へ向かう。夜になれば最後の備えをせねばならぬ。明日の刻がペルシアの行方を分ける。そう悟りながらも、彼の歩きぶりは普段と変わらなかった。従者や侍僕には、いつもと変わらぬ王族の背と映る。


 その夜、ザメスは居所の卓に向かい、黙して瞼を閉じていた。傍らでは、侍従のアーザードが燭台の歪みを直している。


 「アーザード」


 目を開けて名を呼ぶと、若い侍従は膝をついた。戦の場でも王都への道でも、常にこの距離で仕えてきた男である。


 「はい、殿下」


 ザメスはしばらく彼の顔を見つめていた。やがて卓の脇に置いていた封書を取り上げる。表にはアデルグドゥンバデスの名が記されていた。


 「明日の刻、われらは動く」


 その声に、迷いはない。


 「その前に、お前に果たしてもらう役がある。この文をアデルグドゥンバデス殿に渡し、クバードを守るのだ」


 アーザードの肩が震える。


 「殿下、そのような……不吉なお言葉はおやめ下さい。俺は殿下の槍にございます。明日も殿下と共に立つつもりでおりました。殿下お一人を戦場に送り出すなど、務めを捨てるに等しゅうございます」


 ザメスは首を振った。


 「明日待つのは、王冠を巡る争いだ。策が成ればよい。だが、もし綻びがあれば、謀を企てた者の名は王都に轟こう。王家の血を引くクバードも、その目から逃れがたくなる」


 アーザードは言葉を失い、唇をかみしめる。


 「俺が殿下のお側を離れれば、誰が盾となりましょう」

 「盾は他にも育てた。だがクバードを託せる者は多くない。戦場で何度も退き口を託したのは、誰であったか」


 ザメスの問いに、アーザードは目を伏せた。


 「このアーザードにございます」

 「そうだ。退くべきとき退ける者こそ、真に守りを任せられる。明日、守るべきは私の命ではない。この国に生きる者たちと……クバードの未来だ」


 ザメスが封書を差し出す。アーザードは両手でそれを受け取り、胸に押し当てた。


 「クバード殿下には、何と申し上げればよろしいでしょう」

 「父が選んだ道であると伝えよ。ペルシアのために冠の在り処を正そうとしたと。たとえ私が戻らずとも、お前とアデルグドゥンバデス殿が傍らにおれば、あの子は歩みを見失うまい」


 アーザードの目に光がにじむ。


 「殿下……」


 こみ上げるものを抑えるように、彼は頭を垂れた。


 「承りました。クバード殿下をお守りし、この身の続くかぎり、殿下の選ばれた道をお伝えいたします」


 ザメスは侍従の肩に手を置く。


 「今夜のうちに支度せよ。クバードのことは頼んだぞ」

 「はい」


 返事の声は震え、涙と鼻水がとめどなく溢れる。腕で顔を拭ったのち、アーザードは立ち上がり、息を落ち着かせると、もう一度深く礼をして戸口へ向かう。そして扉に手をかけると、最後に一度振り返った。


 灯火のもとに立つザメスの姿が目に入る。その背は冠を戴かずとも、王の器を備えた者のものにほかならなかった。アーザードはその姿を胸に刻みつけると、部屋を後にする。


 翌朝。ザメスは腰帯を締め終えると、戸口に立つ侍僕にうなずき、前夜から定めていた時刻どおりに部屋を出た。評議に向かう王族の歩みと変わらぬ速さであったが、胸には別の刻が数えられている。


 曲がり角ごとに、見知った貴族の顔が加わっていく。アスペベデスが遠くから冠の縁に手をやり、カオセスは無言で弟の側に歩を揃えた。言葉は交わさぬまま、視線のみで合図が済む。広間へ通じる通路は一つではない。王宮の造りを熟知する者たちが選んだ道筋に沿って、一行は足音を揃えた。


 やがて、広間へ続く最後の回廊に差しかかった。通路の先に、見慣れぬ槍の列が見える。儀仗兵の配列とは違っていた。盾を前にかざし、壁際まで詰めて立っている。鎧の装飾から見て、ホスローが信を寄せている近衛の者たちと知れた。


 ザメスは歩みを緩めなかった。列の先頭に立つ隊長らしき男が、一行を認めて一礼し、そのまま手を上げる。背後の階段からも金具のぶつかる音が近づき、別の隊がこちらへ向かっていた。逃げ道に使える脇の廊も、いつの間にか兵で塞がれている。


 「ザメス殿下、カオセス殿下、ならびに諸侯の方々」


 隊長が声を張った。その声には、儀礼の形を保とうとする姿勢と、命を背負った硬さとが交じっている。


 「王命により、お連れ申します」


 アスペベデスが一歩前に出ようとしたが、ザメスが腕を伸ばして制した。貴族らのあいだから、押し殺した息が洩れる。誰もが互いの顔を見、どこから漏れたのかを探ろうとする。だが口に出す者はいなかった。


 近くの小扉がそろりと開き、下働きの女が廊をのぞいた。目に映った光景に息を呑み、口元を押さえたまま膝をつく。


 「殿下……」


 声が揺れた。その気配が伝わって、別の部屋からも人影がのぞく。片隅では若い書記官が青ざめた顔で立ちつくし、年長の従者が額に手を当てて天を仰いだ。


 「道をよけよ」


 近衛が声を張り、槍の柄が石床を打つ音が続く。ザメスは肩をまっすぐに保ち、隊長の前まで歩み寄った。その背に、諸侯たちが順に続く。


 「王命とあれば従おう」


 ザメスの声は澄んでいた。その横顔を見て、カオセスは唇をかみしめる。アスペベデスは一瞬目を閉じ、再び開いたときには老臣としての顔に戻っていた。


 兵たちが近づき、剣と帯を取り上げていく。貴族らの手からも武具が外され、革紐で束ねられた。誰かが堪えかねたように叫ぶ。


 「殿下を、あの方々をどこへ連れてゆくつもりだ!」


 問いに答える者はいない。近衛の列は形を崩さず、ただ命じられた道へ向けて歩を進めるばかりであった。


 ザメスは振り返らぬ。心の内には、ひとり離れた従者の姿が浮かぶ。彼はすでにクテシフォンを離れ、この回廊にはいない。それでよいのだと、自らに言い聞かせる。


 「進め!」


 隊長の号令で、一行は王宮の奥へと向かった。廊の壁に掛けられた王家の紋章が通り過ぎるたび、見守る者たちのあいだから、声にならぬ嗚咽と祈りの言葉が洩れる。


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