12 遺児
王宮の奥へと続く最後の門をくぐると、土をむき出しにした庭が現れた。高い塀に囲まれたその中央には黒く塗られた台が据えられ、その脇に水桶と布が几帳面に並べられている。台の周りには槍を持つ近衛が輪を作り、穂先をそろえて立っていた。胸当てには磨かれた金具が光り、どの顔も強張り、視線は前から外れぬ。鉄のにおいが濃く、庭の空気は息を潜めたように冷えていた。
縄を打たれたザメスが先頭に立ち、庭へと足を踏み入れる。革の靴が地を踏みしめ、そのあとへ一行の足音が重なった。縄を打たれた諸侯が列をなし、その中ほどにアスペベデスの姿がある。老いた肩はなおまっすぐに保たれ、瞳は台の向こうを見据えていた。額の皺には長年政と戦を見てきた証が刻まれている。
ザメスは歩みを緩めず、指先一つ動かさぬまま前へ進んだ。胸のうちで、ここが自らの行き着く場と定める。戦で陣の先頭に立ったときと同じく、背を曲げず、人々の目に映るべきところに立つことを心に置いた。首筋に流れる汗の感触も、今はただ身を確かめる徴の一つとして受け入れる。
列が止められ、近衛の槍の輪がわずかに狭まり、ザメスの立つ位置と、その少し後ろに続く者たちの立ち位置が決められた。刃を預かる兵は台の前に控え、手にする剣の柄を握り直す。庭の端には役目を持たぬ者は一人もいない。水桶の傍に立つ者も、布を持つ者も、口を閉ざしたままその刻を待っていた。庭を囲む塀の上では見張りの影がわずかに動くだけで、風の音さえも遠く聞こえる。
「弟に殺されるとはな」
背後から、くぐもった声が洩れる。カオセスであった。重い足取りでここまで引き出され、今もなお、地の感触を確かめるように立っている。その顔にはかつて王太子として広間に坐していたころの面影が残っているが、眼差しには別の色が宿っていた。言葉はそれきりで、笑いも続きもしない。
誰も返す者はいなかった。アスペベデスは眉一つ動かさず、ただ前を見ている。諸侯もまた互いの顔を見ず、目の前の台をとらえていた。縄に締められた腕の筋が浮かび、衣の裾がかすかに揺れる。庭を囲む塀の上では風が旗を揺らし、その音さえも遠く聞こえる。
ザメスは口を開かなかった。額に当たる陽の感触を受け止めると、ゆっくりと息を吸い、吐く。声に出すべき言葉は、もはや戦場にも評議の場にも残されていない。ここに立つことそのものをもって、最後の答えとするほかはなかった。胸のうちでひとつの問を閉じると、ザメスは前を向く。
門の方で合図の声が上がった。近衛の列がわずかに割れ、そのあいだから外套をまとった男が進み出る。冠を戴いたホスローであった。あとには印を持つ書記官と、数名の高官が続き、足音を刻む。
ホスローは足を止め、輪の内側に並ぶ者たちを一人ずつ見渡した。ザメス、カオセス、アスペベデス、そして諸侯ら。視線には悔いも迷いもなく、その口元には硬い線が刻まれている。庭を囲む槍の列まで、その目が届いていた。
「王に逆らい、謀を企てし者どもをここに集めた」
声が庭に落ちる。近衛の槍がわずかに揺れ、台の傍に控える兵が姿勢を正す。水桶の縁に置かれた布が、風に吹かれて揺れた。
「アスペベデス」
名を呼ばれ、老臣は一歩前に出る。縄を打たれた腕はそのままに、背をまっすぐ伸ばした。ホスローは母の兄でもある男を見つめたのち、言い放つ。
「母の血をもってしても、王に刃を向けた罪は消えぬ。その首を落とせ」
命に応じて、刃持ちの兵が動いた。アスペベデスは己から台の前に膝をつき、何も言わぬまま項を垂れる。その眼差しは最後まで崩れず、土の色をまっすぐにとらえていた。剣が振り下ろされ、黒い台の縁に赤い飛沫が散った。水桶を持つ者が歩み寄り、布で柄を拭う。
次いで諸侯らの名が順に読み上げられていく。反論を試みる声は一つもない。それぞれが歩み出ては台に膝をつき、刃が仕事を果たしていった。列の端で、倒れた者の名を記す書記官のペンの音がかすかに聞こえる。その音は、やがて血のにおいと混じり合って消えていく。
やがて、呼ばれる名が途切れた。残る者は二人である。
ホスローはカオセスの方を向いた。かつて王太子であった兄は、足もとを見たまま顔を上げようとしない。縄に締められた腕が服の上から浮き出ていた。
「残念だったな、兄上」
ホスローの口元に、薄い笑みが浮かぶ。カオセスは顔を上げ、押し隠した怒りを目に宿した。頬には、ここに引き出されるまでに流した汗の跡が筋を残している。
「覚えておけ。お前の血は、いつか同じ業火に焼かれるだろう」
呪うように言い放つと、カオセスは自ら一歩前へ出た。台の前に膝をつき、何も言わず項を差し出す。刃が振り下ろされ、赤が乾いた地面に点を打つ。庭の端に並んでいた者たちの肩がわずかに震える。
庭に残るのはザメス一人であった。ホスローは次兄の前まで歩み寄る。
「ザメス」
呼びかけとともに、視線が下から上へとザメスの姿をなぞった。
「お前の子も、すぐに後を追わせる」
ザメスは顔を上げ、その言葉を真正面から受け止める。そして唇を引き結び、言った。
「血で得た坐ならば、血の上に正しさを築け」
それは恨みでも呪いでもなく、王としての道を問う一言であった。ホスローはわずかに眉をひそめたが、何も返さぬ。
ザメスは自ら台の前に歩み出た。膝をつき、縄を打たれた腕を前に差し出す。刃を預かった兵が位置を定めると、ザメスは瞼を閉じた。剣が振り下ろされ、この日最後の血が大地を濡らす。
× × ×
国境の砦の一角に、石を積んだ館があった。外には城壁がめぐらされ、その内側に兵舎と厩と訓練場が寄せ合うように建っている。山から吹きおりる風が砦の旗をはためかせ、見張り台の上では兵が遠い道を見渡していた。
その館の庭で、一人の少年が卓に向かっている。クバードであった。膝の前に広げた板の上に羊皮紙を載せ、書記官の手本をなぞるように葦のペンを運んでいる。指の動きはまだ硬いが、目は真剣に文の筋を追っていた。その傍らで、老いた従者が陽除けの布を支え、少年の背を気遣うように立っている。
中庭を横切って、鎧をまとった兵が足早に走った。門の方角から、地を蹴る蹄の音が近づいてくる。見張り台の兵が旗を掲げ、何事かを城内に告げた。城門の傍で槍を持っていた者たちが姿勢を正し、来訪者を迎える備えをする。
館の扉から、ひとりの男が現れた。鎧の上に外套をまとい、額には風に焼けた色を帯びている。国境を守るカナラン、アデルグドゥンバデスであった。彼は門の方を見やり、城外の道に立つ人影に目を凝らす。やがて、旅の埃をまとった一騎の姿が、坂道を上ってくるのが見えた。
馬が門の前で止まる。鞍から降りた男は、汗に濡れた額を袖でぬぐい、ゆっくりと呼吸を落ち着かせてから一礼した。アーザードである。王都を発ったときから手放さなかった文を胸に抱え、その顔には長い道のりの疲れと、何事かを伝えようとする決意が刻まれていた。馬の首筋には泡が浮かび、ここまでの距離の長さを物語っている。
アデルグドゥンバデスは門まで歩み寄り、言葉より先に視線でアーザードを迎えた。二人は互いの目をまっすぐに見つめ合い、やがて短くうなずく。城門を守る兵が道をあけ、主と客は並んで館の方へ向かった。石を踏む足音が、砦の中へゆるやかに消えていく。
その背中を、クバードが振り返って見送った。少年はペンを置き、遠くに去っていく二つの影を目で追う。書記官がそっと卓の上の羊皮紙を押さえ、再び手本の行を示した。クバードはうなずき、もう一度ペンを取り上げるが、視線はときおり館の方へと向く。
山の向こうには雲がゆっくりと流れていた。
物語は、『プロコピオス戦記 ― 秘匿王子 クバード ―』へと続く。




