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10 決起

 ザメスは朝から続いた謁見と評議を終え、ようやくペンを置いた。卓の上には地方からの報が積まれ、その端に印章が整然と並んでいる。


 「殿下。アスペベデス殿、カオセス殿下、ならびに幾人かの諸侯がお見えにございます」


 戸の傍に控えていたアーザードが、押し出すように声を出した。


 名を聞き、ザメスは眉を顰める。伯父と兄が連れ立って訪れることは珍しい。そのうえ貴族らを伴っているとあれば、単なる挨拶や雑談では済むまいと察せられた。


 「通せ」


 そう告げて立ち上がると、アーザードは頭を下げて戸の外へ消える。ザメスは上衣の襟を直し、卓から半歩離れた。歩み寄る靴音が廊の方から近づき、やがて戸が開く。


 最初に入ってきたのはアスペベデスであった。年輪の刻まれた顔に、今日はいつもより固い表情を浮かべている。その後ろに帯剣したカオセスの姿が見えた。かつて王太子として広間の先頭に立っていた兄は、落ち着いた色の外套をまとい、瞳の奥に鈍い光を宿している。さらに数名の諸侯が続き、部屋の中ほどで足をとめた。


 「ザメス殿下」


 アスペベデスが右手を胸に当てて挨拶する。声には、情と敬意とが入り混じっていた。


 「伯父上、兄上。諸卿も揃っておいでになるとは何事ですか」


 ザメスは同じ仕草で応じたのち、面々の顔を一人ずつ見やる。誰の額にも疲れの影があり、その奥に固い決意が見えた。新たな王の下で務めに追われているはずの者たちが、連れ立ってこの小さな部屋に現れた理由が浮かび始める。


 「席を用意いたします」


 そう勧めると、アスペベデスはわずかに首を振る。


 「お気遣いは不要です。ただ、ザメス殿下、まずは人払いをお願いしたく存じます」


 ザメスは戸口に目をやり、控える者たちに軽くうなずいた。アーザードと従者らが足早に退き、戸が重々しく閉ざされる。外の気配が遠のくのを待って、アスペベデスはようやく口を開いた。


 「これならば余計な耳はありますまい。われらが持ち込むのは、評議の場で公に語るべき筋ではございませんゆえ」


 カオセスは壁際に立ったまま腕を組み、視線を弟に向けている。その瞳に宿るものを読み取りながら、ザメスは身を固くした。諸侯らは互いの顔を見交わし、やがて最も年長の侯が一歩前に進む。


 「ザメス殿下。われらは、ペルシアの行く末について、殿下の御耳を煩わせに参りました」


 言葉は丁寧であったが、その奥には退く道を持たぬ者の気迫があった。国の行く末という言い回しの裏に、王冠を巡る別の思いが潜んでいる。それを感じ取りながらも、ザメスは相手の言を遮らず、ただ次の一言を待った。


 最年長の侯が胸の前で両手を組み直し、口を開く。


 「ザメス殿下。ここにいる者はみな、国がこのまま傾いていくのを見過ごすことが出来ぬゆえに参ったのです」


 伯父の顔、兄の横顔、その後ろに並ぶ諸侯の目に、怨みよりも疲れと焦りが濃かった。


 アスペベデスが一歩進む。


 「近頃の勅命が、いかほど地方に乱れを生んでいるか。税の取り立て、兵の召し集め、その定めがたびたび改められ、昨日の命を守った者が今日は違勅と責められておる」


 北では徴発の札が何度も書き換えられ、そのたびに荷駄が道で止まったままになっていた。糧は砦に届かず、兵が自ら畑を耕している。東では兵をかき集めたのち、急に城壁を固めよとの命が下り、城主らはどちらの命を先に果たすべきか測りあぐねていた。


 「王命に従おうとするほど、手足を縛られるのです」


 ザメスは心の内で、その光景を結び付ける。紙の上で矛盾を繕い続けてきた日々の裏に、こうした綻びが広がっていたのかと、胸を塞がれたような思いが湧く。


 「人の心が城壁より先に崩れましょう」


 アスペベデスの言は、老臣としての見通しそのものであった。


 その横から、カオセスが声を差し挟む。


 「伯父上の申す乱れは、すべて一つの場から始まった」


 ザメスは兄を見やる。


 「父上の病床において、あの文が作られたときだ。学者どもを呼び集め、古き法の文句をこね繰り回し、長子の名を外し、末子の名を差し入れた。評議の場では、その文こそ定めにかなうと吹き込ませ、諸侯の口を封じた」


 カオセスの唇には笑みとも嘲りともつかぬ歪みが浮かんでいた。


 「法を守れと説いたのは、この私だ。だが広間に掲げられたのは、父の署名と印を押した紙一枚であった。神の御前においても変え得ぬと書き添えてな。あのとき既に、法は文の形だけを残し、中身は王の心一つにすり替えられていたのだ。その行き着く先が、いまの政だ。今日の命を明日には覆すことも、父の遺詔が許したと、あの者は信じておろう」


 年長の侯が進み出る。


 「ザメス殿下。私の領では、市場の店が戸を下ろし始めております。税の定めが変わるたびに商人は損得を計れず、荷を抱えたまま様子をうかがう。農夫は種を買う銅貨も惜しみ、来年の収穫さえ見通せぬと嘆いております」


 別の侯が言葉を継いだ。


 「徴兵の札も同じにございます。一度は免れた者が、日を置かずに再び名を記される。家に残るのは老人と女と幼子ばかりとなり、耕す手も足りぬと泣きつかれました。王都には倉が満ちておりましょうが、地方の倉は空に近うございます」


 ザメスは目を伏せる。


 「殿下」


 アスペベデスが呼びかけた。


 「われらは、王家を損なおうとは思っておりません。むしろ、このままでは先王陛下の名も、ホスロー陛下の名も、後の世に汚れて伝わりましょう。勅命のたびに民が苦しみ、軍が迷えば、誰がこの家を敬うのでしょうか」


 ザメスの胸に、昔父王から聞いた言葉が蘇る。王坐は冠の重さではなく、民の支えで保たれるのだと。


 ザメスは答えず、卓上の報告書に視線を落とした。脳裏に国境の砦と幼いクバードの姿が過ぎる。


 「殿下」


 若い侯が一歩進み出た。


 「戦を知る将としてうかがいます。敵より先に味方の列が乱れた軍が、勝ったことがありましょうか」


 侯の言葉にザメスは顔を上げる。


 「前列で槍を構える者が、次の刻に退けとの声を聞けばどうなりましょう。後ろの備えが定まらぬうちに突撃を命じられれば、誰が盾を信じられましょうか。今の勅命は、それと同じにございます。兵も民も、どこに立てばよいか測りかねている。ゆえに、われらは王の坐を正しき場に戻さねばならぬと考えました」


 アスペベデスが侯の言葉を継いだ。


 「殿下はご自分より、クバード様の行く末を案じておられるのでしょう。しかし、このまま政が乱れれば、あの若木もいつか誰かの怒りを背負うことになります。王家の血を引くがゆえに」


 謀が露見すれば、罪は父母ばかりか子にも及ぶ。王の怒りが向かえば、クバードの名も断たれる。


 「われらは、その道を選ぼうとは申しておりません」


 アスペベデスは続けた。


 「ホスロー陛下から冠を預かり、ご子息を王坐に迎えるのです。殿下には、その後見として国を支えていただきたい。これは私欲ではない。王家の名を、次の代へ渡すための策にございます」


 壁際に寄っていたカオセスが身を起こす。


 「ザメス。この惨状に、手をこまねいていてよいのか。法を信じた私も、槍を信じたお前も、父の心からは外された。だが、ペルシアそのものまで同じ扱いを受けねばならぬ道理はあるまい」


 ザメスは目を閉じた。戦場で流した血、王坐を守るために費やした年月。その先に、民と兵を疲弊させる政が続いてよいのか。クバードがいつか王都へ戻ったとき、父の選んだ道を問うだろう。


 ザメスはゆっくりと目を開けた。


 「伯父上、諸卿。みなの申すところは分かりました。今の政が国を保つ道ではないことも」


 視線を巡らせ、最後にカオセスを見据える。


 「民と国を守るその策に、私も力を貸しましょう」


 部屋の中に、息を呑む気配が広がる。


 アスペベデスは深く頭を垂れた。


 「感謝いたします、ザメス殿下。これで国のために動くことが出来ます」


 諸侯も次々と礼を取る。


 これは父としての選びではない。ペルシアの兵を預かった者として、王家の名を守るために取る一手である。


 そうザメスは胸の内で思いを結んだ。


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