『アカネの観察記録』中編
深夜の夜警など、退屈で、寒くて、生産性のない手伝いの最たるものだった。
雨上がりの湿った空気が、羽織ったヴィンテージのレザージャケットを冷たく湿らせる。丸眼鏡の奥の目を薄く開け、西部は早く帰りたいとだけ思っていた。こんな時間があるなら、店を早々に閉めた後、静かな部屋で一人、古いラジオの基盤でも弄りながらスコッチを傾けていた方が何倍も有意義だった。
しかも、今夜の組合わせは最悪と言ってよかった。
『来てけろ』の源蔵──あの暑苦しい職人気質の男だ。
西部から見て、源蔵という男は何もかもが時代遅れだった。義理だの人情だのという、夜の街では真っ先に足をすくわれる原因になるカビの生えた綺麗事を本気で信じている。頑固で、融通が利かず、効率という言葉を知らない。
人間としての相性は最悪だし、個人的に合うか合わないかで言えば、生涯分かり合えるはずもないほど「合わない」男だった。
しかし、と西部はエンジニアブーツのつま先で地面を軽く叩き、前を歩く大きな背中を見つめる。
商店街のアーケードを進むうち、いくつかのトラブルが顔を出す。
風で倒れた看板、切れかけた街灯、泥酔して正気を失った人間。
源蔵は、それらを見つけるたびに、必ず「チッ、面倒な仕事が増えやがる」と、あからさまに不快そうな声を上げ、眉間に深い皺を寄せた。文句なら、いくらでも出てくる男だ。
それでも。
源蔵は、絶対に動く。
どんなに寒くても、どんなに理不尽な酔っ払いが相手でも、文句を言いながら、嫌そうな顔を隠そうともせず、それでもその太い足で一歩を踏み出し、現場から絶対に「逃げない」。ガキが泣いていれば夕方の営業ピークすら放り出すような、あの不器用な歪さを、この男は決して手放さない。
(面倒な男だ)
西部はレザージャケットのポケットに手を突っ込み、心の中でそう吐き捨てる。
だが、それだけだ。
西部は源蔵の思想に共感したことは一度もないし、彼の生き方を美しいと思ったこともない。好きか嫌いかと問われれば、今でも明確に「苦手(合わない)」の部類に入る。
けれど、西部は源蔵という男が、自分の守るべき地盤や、目の前の問題を「放り投げた所」を、ただの一度も見たことがなかった。
好きでもない。嫌いでもない。
ただ、「こいつは、ここで逃げない人間だ」ということだけは、疑いようのない事実として信頼できる。それだけのことだった。
休憩中、ベンチの周りで、同行しているアカネが、やけに気を遣って視線を彷徨わせていることに気づいた。
缶コーヒーを渡してくる時も、まるで爆弾の信管でも扱うかのような、異常なまでの怯えが透けて見えている。
西部は顎髭に軽く触れ、煙草をくわえ直した。
「何だ」
「いえ……っ、なんでもないです!」
意味が分からない。何をそんなに怯える必要があるのか。自分も源蔵も、ただ夜警という決められた仕事を、決められた通りに淡々とこなしているだけだというのに。
やがて夜警の全ルートが終わった。集会所の前で、源蔵がいつも通りの仏頂面で言う。
「じゃあな」
西部もまた、ハットのつばに指をかけ、振り返りもせずに片手を上げる。
「ああ」
いつも通り。
西部視点では、今夜は何一つ特別なことは起きていない。ただの、少し寒くて面倒な夜警の時間が、ただ予定通りに過ぎ去っただけだった。




