『最初の挙手 ── 背負ったものの重さと夜風』後編
社長が倒れたという報せが入り、事務所に集まった従業員たちの間で今後の身の振りが話し合われたらしい。会社のこれからを思い、誰もが言葉を失って下を向く中、カズマが真っ先に声を張り上げたのだという。
「俺がやる」
人づてにその短絡的な啖呵について聞いた瞬間、サトシは心の底から思った。
(あーあ)
と。また何も考えずに、一番高くて危ない場所に飛び込みやがった、と。
案の定、化けの皮が剥がれるのは早かった。
数週間も経つと、カズマは毎日のようにサトシの隣で、情けない弱音を吐き散らすようになった。
「銀行って何だよ、書類多すぎんだろ」
「税金って何でこんなに持ってかれるんだよ」
「会社背負うって……マジで怖ぇな」
今さら何を言っているんだと呆れるような内容ばかりだったが、サトシは決して笑わなかった。むしろ、当然の反応だとすら思っていた。
元々、カズマは決して肝が据わった無敵の男ではない。人一倍ビビりだし、繊細なところがある。
ただ、周りが状況を計算して足踏みしている間に、恐怖のラインを越えて走り出すスピードが、異常に早すぎるだけだ。
深夜。アパートのベランダ。
サトシは煙草に火をつけ、紫煙を夜空へと吐き出しながら、隣で手すりに寄りかかって頭を抱えているカズマを眺めた。
「なぁサトシ」
「俺、社長向いてねぇよな」
掠れた、弱々しい声だった。昔の尖っていたカズマなら、口が裂けても他人に聞かせなかったはずの声。
サトシは小さく鼻で笑った。
「だろうな」
即答だった。カズマが「そこは否定しろよ」と言いたげな、絶望に染まった顔でサトシを見る。
サトシは吸い殻を携帯灰皿に押し付け、言葉を続けた。
「でも、お前は最初に手ぇ挙げただろ」
皆が先の不安に怯えて動けなかった時。引き受けるリスクに恐れをなして、誰もが沈黙を決め込んでいた時。
カズマだけが、何も考えずにその泥沼へ飛び込んだ。
それは決して、頭が良い奴のする才能の仕業じゃない。あいつの、ただの馬鹿正直な性格だ。
「だから、向いているかどうかは知らない。でも、あの日あの場で手を挙げたのは、きっとお前しかいなかった」
遠くで、終電の重い金属音が夜の街に響き渡る。
カズマはしばらく黙ってアスファルトを見つめていたが、やがて、観念したように情けなく笑った。
「……怖ぇな」
サトシは新しい煙草を咥え、ライターの火を灯しながら答えた。
「知ってる」
夜風に混じって、二人の小さな笑い声が、静まり返った商店街の闇の中へ、静かに溶けて消えていった。
(B面・了)




