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「ちゃんとしなきゃ」と息を止めているあなたを、100%全肯定する深夜アパートの話  作者: チャラン・ポラン


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『言葉にならないもの』後編

タカシは昔から、物事を言葉ではなく、その場に流れる“空気の揺らぎ”のようなもので感じ取って生きてきた。

誰が今、周りに合わせて無理に笑っているか。

誰が今、世界の中で一人きりになっていて、絶対に今夜一人にしちゃダメか。

誰が「大丈夫、平気だよ」って笑いながら、本当は心の中で血を流してボロボロになっているか。


どうしてそれが分かるのか、という理屈を説明しろと言われても、タカシには絶対に分からない。

けれど、なんとなく、肌がピリピリとするような感覚で分かってしまうのだ。


だから、商店街にいつの間にか住み着いていた、いつも難しい顔をしている「西部」という男を初めて見た時も、タカシの肌は最初から、何か妙な、ざらついた違和感を感じ取っていた。

あの人は、いつも冷たい理屈や小難しい頭の言葉で喋っているように見えて、本当は、人のことなんて見ていないようなフリをしながら、ずっと他人の“傷口”の場所ばかりを見つめている。


「西部さんってさ……なんか、サトシさんと似てるんすよね」


ある夜。人通りの途絶えた商店街の自販機の前で、タカシはスポーツドリンクの缶を片手に、ぽつりと言った。

隣で缶コーヒーを持っていた西部は、眼鏡の奥の眉を不機嫌そうにひそめ、細い煙を夜空へと吐き出した。

「どこがだ。あんな破滅型のロクデナシと俺を一緒にするな」


「えー、でもさ。なんか二人とも、“痛ぇ奴見ると、どうしても放っとけない”っていう、変な空気が出てるんすよ」

「全然違う。俺はあいつほどお人好しじゃない」


「そうっすかねぇ?」

西部は冷たく一蹴したが、タカシは納得がいかないという風に首を傾げた。

だって、分かるのだ。

西部は、他人に興味がないような顔をして、この商店街の誰よりも、人間という生き物をずっと見つめ続けている。冷たいふりをして、誰かが本当に壊れて、取り返しのつかない境界線を越えてしまう瞬間だけは、絶対に最初から見逃さないようにしている。


だからこそ、タカシの目には、その西部の横顔が、時々もの凄く、息が詰まるほど疲れているように見えたのだ。

「西部さんって、いっつも“考えすぎる人”っすよね」


西部の、缶コーヒーを口元へ運ぼうとしていた手の動きが、ピタリと止まった。

「……は?」


「いや、なんかさ。ずーっと思索っていうか、人のことばっかり見て、考えて、その行動の意味とか、傷の理由とか、そんなのばっかり探してる感じがする」

タカシはスポーツドリンクを一口飲むと、無防備なトーンでそのまま言葉を続けた。

「だからさ、時々、顔に出てるんすよ。“あーあ、人間って本当にめんどくせぇな”って」


西部は、しばらくの間、何も言わなかった。

完全に、図星だった。


#### ■ 第二幕:同じ種類


「……お前さ」

西部が、いつになく低く、凄みの利いた声で言った。

「自分でそれ言ってて、俺が今、お前に対して何を考えてるか分かってんのか?」


「んー?」

タカシは自販機の明かりの下で、少しだけ「難しいな」という風に頭を悩ませ、それから、いつもの屈託のない笑顔で笑った。

「多分だけどさ。“自分と似てる種類の奴を見ると、なんか無性にイラつく”とか、そういうことでしょ?」


西部は、今度こそ完全に絶句した。言葉を失う、というのはこういうことだった。

タカシはそんな西部の沈黙にも気づかず、無邪気なトーンで言葉を重ねていく。


「西部さんってさ、なんか“綺麗事で人助けしちゃうような奴”のこと、大嫌いそうだし」

「……あぁ、大嫌いだな。虫唾が走る」

「でしょ? でもさ……本当に、今夜ここで壊れちゃいそうな奴のことは、どうしても放っとけない性質なんすよね、西部さんも」


夜風が、二人の間をすり抜けて、商店街のアーケードの奥へと吹き抜けていった。

西部は、煙草を持つ手を完全に止めていた。目の前では、タカシが自分の言葉の破壊力にも気づかないまま、何も知らない子供のような顔で笑っている。


でも、分かってしまった。認めざるを得なかった。

この男は、言葉や論理では何も理解していない。その代わり、人間の感情の生々しい輪郭を、その皮膚感覚だけで、まるごと掴み取ってしまうのだ。

だから、他人に説明ができない。だから、論理のプロセスが全て飛ぶ。

だから――時として、長年言葉を扱ってきた自分なんかよりも、ずっと深く、正確に、相手の心の核心へ届いてしまう。


「……気持ち悪ぃな、お前、本当に」

「ええっ!? 何でですか!? 今のは結構いい感じのこと言ったつもりなのに!」

タカシが心底心外だという風に声を上げて抗議する。


西部はその様子を見て、ククッ、と小さく、自嘲を交ぜるようにして笑った。

「あー、クソ。……サトシの奴が、お前の面倒をずっと見てる理由が、今やっと分かったわ」

「え? サトシさんが?」


「お前さ、そうやって他人のことばかり感覚で拾って、自分の痛みに気づかないまま生きてると……そのうち放っといたら、誰か他人のことを庇って、一人で勝手に死にそうなんだよ」


タカシは、その言葉を聞くと、自販機の光の中で少しだけ困ったように、頭の後ろを掻きながら笑った。

「まぁ、でもさ」

「ん?」


「もし、俺がどうなろうと……誰か一人でも、最後に『あー、助かったー』って、笑ってくれるならさ。それで良くないすか?」


西部は、またしても何も言えなくなった。

そこには理屈なんて存在しなかった。損得の計算も、過去のトラウマへの復讐も、何もない。

このタカシという男は、本当に、ただそれだけの上純度の感情だけで、この不格好な世界を生きているのだ。

だから、誰よりも危うい。

だから、どうしようもないくらいに――眩しい。


西部は、新しく火をつけた煙草の煙を、雲の切れた夜空へ向けて大きく吐き出し、深く、深い溜め息をついた。

「……ほんと、災害だな、お前は」


商店街の静かな夜風が吹く中で、タカシだけがその言葉の本当の意味も分からず、「???」という間抜けた顔を浮かべたまま、ただ嬉しそうに笑っていた。

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