『誰かが拾った』後編
時間を数時間前、まだ太陽が高い位置にあった昼下がりに戻す。
ジュンは『山口診療所』へ、頼まれていた備品の薬を届けにきていた。
受付を済ませようとした時、待合室のベンチで、小さな女の子が母親の横で声を殺して泣いているのが目に入った。
「お守り、どこで落としちゃったんだろうねぇ……」と困り果てた様子の母親。
ジュンは通り過ぎざまに、その子が「おばあちゃんのお守り」を失くして泣いているのだと、静かに把握した。
その後。薬を届け終えたジュンが、たまたま商店街を通りかかり、神社の石段の脇を歩いていた時のことだった。
ふと、緑の植え込みの境目に、違和感のある赤い布切れが落ちているのが見えた。
しゃがみ込んで拾い上げてみる。丁寧に手縫いされた、小さなお守り。
「……さっきの、あの子のかな」
そう直感したジュンは、一度診療所へ引き返し、綾子先生に「さっきの子の連絡先、分かる?」と尋ねたが、あいにく初診の手続き中で詳しい番号まではまだ登録されていなかった。
「困ったね。持ち主が分からないんじゃ、返しようがない」
綾子先生が眉をひそめる。
けれど、ジュンは少しだけ考えた後、いつものようにスマートに動き出した。
ジュンはお守りの写真をスマホできれいに一枚撮影すると、神社の神主さんに許可をもらい、石段の下にある掲示板に一枚の紙をピンで留めた。
『落とし物(お守り)を預かっています。お心当たりの方はアパート二階まで』
さらに、そのお守りの写真を「商店街のグループLINE」へとぽんと流した。
『このお守り、心当たりある人いる? 診療所で泣いてた子のなんだけど』
その瞬間、街のドミノが勝手に動き出す。
八百屋の親父が『あ、その子さっきうちの前で泣きながら下見て歩いてたわ!』と返し、
本屋の店主が『さっき公園の方へ向かって歩いていったぞ』と情報を足し、
『来てけろ』の源蔵大将が『惣菜屋のアカネが、なんかガキ連れて必死に走り回ってんぞ』と書き込む。
街中が「あの子だ」「あそこにいる」と、LINEの中で一つに繋がり、お守りの行方を追っていた。
――ただし。
肝心のアカネだけは、女の子の手を引いて必死に街中を走り回っていたため、スマホの通知に全く気づいていなかった。
結果として。
アカネは街中がすでに解決に向けて動いていることなど露知らず、ただ目の前の女の子の涙を止めるためだけに、必死に、必死にお守りを探し続けていたのだ。
そして夕方。
夕闇の中、女の子の「最後に神社の周りを見てみよう」という言葉に導かれ、二人が石段の下まで辿り着いた時。
アカネの目に飛び込んできたのは、植え込みの隙間に、まるで「見つけて」と言わんばかりに綺麗に配置され直していたお守りと、そのすぐ横の掲示板に貼られた、ジュンの文字の張り紙だった。
「あ……」
アカネはその張り紙を見て、ようやくすべてを察した。
自分が暗闇の植え込みでそれを見つけられたのは、偶然なんかじゃない。誰かが拾い、ここに分かりやすく残してくれていたからなのだと。
夜。すっかり静まり返ったサトシの部屋。
ジュンはコートを脱ぎながら、ソファでいつも通り煙草を燻らせているサトシに、昼間の出来事を話していた。
「アカネちゃん、スマホを見るのも忘れて、ずっと街中を必死に探してたんだって」
ジュンは小さく息を吐き、お茶を淹れながらクスッと笑った。
「実は私が先に拾って、あそこに分かりやすく置いておいたんだけど……。なんだか、私のせいでアカネちゃんに無駄な苦労をさせちゃったかな」
少しだけ申し訳なさそうにするジュンを見て、サトシは携帯灰皿にトントンと灰を落とし、小さく鼻で笑った。
「それでいいんじゃないか」
「?」
ジュンが振り返ると、サトシは深く煙を吸い込み、紫煙の向こうからぶっきらぼうに言った。
「お守りを拾ったお前や、協力した商店街の奴らも確かに偉い。……だけどさ」
サトシは窓の外、静かな夜の街へと視線を向ける。
「もう見つからないかもしれないって時にさ、泣いてるガキの手を握って、見つかるまで絶対に諦めなかった奴も、同じくらい偉いよ。あいつのその必死さが、そのガキを救ったんだろ」
ジュンの視線も、サトシの追う窓の外へと向いた。
街灯の下、首からしっかりと手縫いのお守りを下げた女の子が、迎えにきた母親と嬉しそうに手を繋ぎ、明日へと歩いていく背中が見えた。
ジュンはその愛おしい背中を見つめながら、サトシの言葉の温かさを噛み締めるように、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
誰かが落とした優しさを、誰かが拾う。
そして、それを見つけるまで絶対に諦めない誰かがいる。
そんな不器用で、でも確かな温もりの連鎖があるからこそ、この街の『エデン』は、今夜も迷子の心に、消えない小さな灯りを灯し続けている。




