『平気な顔』前編
最近のアカネは、商店街の誰が見ても「しっかりしたお姉さん」だった。
惣菜屋『おおはし』の厨房では手際よく働き、忙しい時間帯も笑顔を絶やさない。週に何度か開かれる子ども食堂のボランティアも自ら手伝い、そこで寂しそうにしている子が連れていれば、自然と隣に座って目線を合わせる。
かつてのように、雨の日にボロボロになって泣き崩れるような姿は、もうどこにもなかった。
商店街の大人たちも、すれ違いざまに「アカネちゃん、本当に強くなったねぇ」「立派になったよ」と、目を細めて声をかけてくれるようになっていた。
けれど。その“ちゃんとしてるアカネ”は、少しずつ、誰にも気づかれないように静かに無理をし始めていた。
一日中動き回ったあとの、足の裏に溜まる重い疲労。
誰かの悩みや、寂しい気持ちを受け止め続ける心の消耗。
いつでも「優しくて頼れる人」でい続けなければいけないという、目に見えない緊張。
そして何より――あの頃の、どうしようもなく不完全で“壊れる側の人間”へ、二度と逆戻りしたくないという強い恐怖。
だからアカネは、最近どれだけ息が苦しくても、体中が泥のように疲れていても、誰かに「大丈夫?」と聞かれれば、いつだって弾けたような笑顔を作ってこう返すのだった。
「平気だよ、全然!」
「大丈夫、大丈夫」
商店街の男連中は、アカネのその小さな変化に、最初は誰も気付かなかった。
幼馴染のタカシなんかは、自販機の前で缶コーヒーを片手に、
「いやー、アカネちゃん最近マジで頼りになるよなー! 俺も見習わねえと!」
と、屈託のない丸出しの笑顔で笑っている。アカネは「もう、タカシくんもしっかりしてよ」といつものように呆れてみせる。
けれど。そんな中、ミノリだけは気付いていた。
みんなが「頼もしくなった」と称賛するアカネのその笑顔が、時折、ほんの一瞬だけ、苦しそうに“息を止めている顔”になっていることに。
ある、よく晴れた日の夜。
閉店後の定食屋の裏口で、一人で重いゴミ袋をまとめて集積所へ運ぼうとしていたアカネの背中に、ミノリが静かに声を掛けた。
「……アカネさん。最近、ちゃんと眠れてますか」
責めるようなニュアンスは一切ない。
問い詰めるわけでもない。
もし言いたくなければ「眠れてるよ」と嘘をついて逃げられるような、どこまでも静かで、優しい聞き方だった。
アカネは一瞬だけビクッと背中を震わせたが、すぐに振り返り、いつもの「ちゃんとしたお姉さん」の顔を作って笑った。
「え? うん、全然大丈夫だよ! ミノリちゃんこそ、夜遅くまで片付けありがとうね」
いつものように、さらりと流そうとする。
でも、ミノリはそれ以上、無理に踏み込もうとはしなかった。
ただ、エプロンの紐をいじりながら、少しだけ困ったように眉を下げて微笑み、ぽつりと言った。
「私……“平気です”って言う人の顔、分かるんです」
その言葉が、夜の静かな路地に白く浮かんで消えた。
アカネの胸の奥で、張り詰めていた何かが、パキンと小さく軋む音がした。




