『アカネと、終電』前編
雨が激しく降り続く、終電間際の駅前ロータリー。
家路を急ぐ人々が傘の波を作って通り過ぎる中、コンビニの軒下で、若い女の子が一人、スマホを握りしめたまま立ち尽くしていた。
泣いてはいない。ただ、液晶の冷たい光に照らされた顔は真っ白だった。
女の子は、何度も何度も彼氏とのトーク履歴を開いては閉じ、震える指で「ごめん」とメッセージを送ろうとしては、ため息と共に消している。
偶然その横を通り過ぎようとしたアカネは、彼女の横顔を見た瞬間に、足が完全に止まってしまった。
(あ……この子、昔の私だ)
見過ごせなかった。声をかけ、駅前の喧騒から少し離れた雨よけの下で、ぽつり、ぽつりと話を聞く。
彼氏に「お前、重いんだよ」と言われたこと。
嫌われたくなくて、相手の顔色ばかり窺って、尽くしすぎてしまったこと。
それでも最後は「少し距離を置きたい」という、事実上の拒じた終わってしまったこと。
何から何まで、かつて自分がボロボロに壊れてしまった夜の記憶そのままだった。
だからこそ、アカネはありきたりな言葉で彼女を励ますことなんて、絶対にできなかった。
「もっと良い男が他にいるよ」とか、「そんな奴、早く忘れなよ」とか、「次に行こ、次!」とか。
そんな無責任な正論、自分が一番深く傷ついていた夜に、誰かに言われて一番苦しかった言葉だからだ。
アカネは小さく息を吐くと、「ちょっと待ってて」と言ってコンビニへ駆け込んだ。
そして、不器用にレジ袋から取り出した温かい肉まんを、彼女の手元にそっと差し出した。
「……とりあえず、これ食べよ」
女の子は驚いて顔を上げる。
「終電、もうなくなっちゃうし。もし行くところがないなら……朝まで、あそこのファミレスにいる?」
女の子は最初、無理に口角を上げてみせた。
「いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
そう言って健気に笑う。でも、その周りを気遣うような“困らせない笑顔”が、あまりにも昔の自分と重なりすぎて、アカネの胸を強く、鋭く刺した。
「……私」
深夜のファミリーレストラン。窓を叩く激しい雨の音と、ドリンクバーの微かな作動音だけが響く静かな席で、女の子がぽつりと、掠れた声で零した。
「ただ……ちゃんと、好きだっただけなのに」
その瞬間、アカネは思わず胸を突かれ、「……うん」としか返せなくなってしまった。
何か気の利いたアドバイスを言うことも、傷を癒やす名言をあげることもできない。なぜなら、昔、全く同じ夜に、自分も血を吐くような思いで同じ言葉を口にしたからだ。
アカネは、ジュンやサトシのように、器用に誰かの心を救える人間ではない。
でも。目の前で凍えているこの子を「一人にしない」ことだけは、今の自分にもできる。
「うん。分かってるよ。あなたは何も悪くないよ」
女の子の目から、大きな涙がボロボロと溢れ出し、やがて顔を覆って初めて声を上げて泣き出した。ドリンクバーのコップがカタカタと震える。
アカネはそっと席を立ち、彼女の隣に座ると、優しく、静かにその背中をさすり続けた。
かつて、自分がどうしようもなく孤独だった夜に、誰かにそうやって救われた時の手の温もりを、そのまま指先に込めるようにして。




