『誰かが混ぜた』前編
夕方。オレンジ色の夕日を遮るようにどんよりとした雲が広がる、商店街の外れ。
後輩のレンがコンビニで買ったばかりの缶コーヒーを片手に外へ出た、その瞬間だった。
「だからテメェのところの店員の態度が気に入らねぇっつってんだよ、コラ」
「あ? 知らねぇよ、文句あんなら本部にでも言えや」
「はぁ? ナメてんのか、オイ」
自動ドアの向こうから、ガラの悪い怒鳴り合いが聞こえてくる。見れば、先輩のカズマが、他所から流れてきたようなこれまたガラの悪い男の胸ぐらを掴みかけていた。二十代半ば。どちらもまともなカタギには見えない風体で、周囲には一瞬にして面倒な空気が立ち込める。
レンは缶コーヒーのプルタブを引きながら、(あーあ、また始まったよ……)と内心で深い溜め息をついた。
カズマはとにかく喧嘩っ早い。沸点が低く、口も悪ければ態度も悪い。いつもの日常茶飯事だ。
その時だった。
すぐ近くの歩道で、自転車を押していた高校生たちの足がピタと止まった。野次馬気分だったのだろう。制服姿の男子が二人と、女子が一人。ちょっとした「大人の揉め事」を、興味本位で覗き見しているような、そんな軽い目線だった。
それに気づいたカズマの対面の男が、苛立ちをぶつけるように突然声を張り上げた。
「おい、そこのガキども!!」
高校生たちがビクッと肩を跳ね上げ、その場で固まる。
「お前ら、最初から見てたろ! どっちが悪いか、ハッキリ言えよコラ!!」
ただの野次馬だったはずの子供たちが、突然、ヤカラの喧嘩の当事者として引き摺り込まれる。男子高校生が顔を青くし、困ったように視線を彷徨わせた。
「いや……俺らは、その……」
その瞬間。カズマの顔から、さっきまでの小競り合いの「熱」が、スッと冷徹に引いていくのが見えた。
「おい」
低く、地を這うような声だった。
カズマのその声の温度に、相手の男が「なんだよ」と不機嫌そうに振り返る。
「ガキ、混ぜんな」
商店街の路地裏の空気が、カチ、と凍りつくような音がした。
「はぁ? 何言ってんだテメェ」
「俺とお前の話だろ、っつってんだよ」
「関係ねぇだろ、そこのガキどもに証言させて――」
「関係、あるんだよ」
会話はそこまでだった。
次の瞬間、カズマの拳が男の胸ぐらを掴み、そのまま路地裏のコンクリートの壁へと激しく叩きつけていた。ドン、と鈍い音が響く。
「カズマさん! マジでマズいっす、やめてください!」
レンが慌てて缶コーヒーを放り出し、カズマの分厚い腕にすがりつく。周囲の通行人も足を止め、ざわめきが大きくなる。巻き込まれかけた高校生たちは、恐怖で顔をこわばらせ、逃げるようにその場から走り去っていった。
騒ぎ自体は、レンが必死に引き剥がしたことでそれ以上大きくならずに終わった。男は悪態を突きながら去っていったが、レンの胸の中には、言葉にできない奇妙な違和感だけが残っていた。
カズマは短気だ。怒る理由なんて、それこそ星の数ほどある。
便所掃除のサボりから、タバコの銘柄の間違いまで、いつでもキレている。
でも。あの瞬間。高校生たちが巻き込まれた、あの刹那の怒り方だけは、いつもの喧嘩とは明らかに違っていた。
夜。商店街の片隅にあるラーメン屋『来てけろ』。
店内には豚骨の濃い匂いが立ち込め、レンはカウンターで一心不乱にラーメンを啜っていた。
店の奥からは、「おいコラ、手が止まってんぞ! 麺が伸びるだろボケ!」という源蔵大将のいつもの怒声が響いている。怒鳴られている店員も、慣れた様子で「はいよ!」と返している。いつもの、この街の少し騒がしい光景。
レンは、自分の向かいで黙々とチャーシューを齧っているカズマに視線を向けた。
「先輩」
「ん?」
「……昼間のやつ、なんであんなに怒ったんすか」
カズマは口に含んだ肉を咀嚼し、冷たい水で流し込むと、ぶっきらぼうに言った。
「別に」
「別にじゃないでしょ。あんな怒り方するのカズマさんっぽくないっていうか。あの高校生たち、ただの野次馬っすよ?」
数秒の沈黙。カズマは器の中のスープを見つめたまま、忌々しそうに頭を掻いた。
「……ガキ混ぜんのは、ダセェからだよ。それだけだ」
それきり、カズマはそれ以上何も語ろうとはしなかった。
レンは首を傾げながら、残りの麺を口に運ぶ。なんだそれ。全然意味が分からない。
先輩の背中にある、その「地雷」の本当の理由を、レンはこの時のまだ何も知らなかった。




