『ユウキと、四十五歳の未来』前編
夜。商店街の店々のシャッターが重い音を立てて閉まり始め、人通りがすっかり途絶えた時間。
古道具屋『トレイル』の店先では、西部が作業台の白熱灯の下で、古い木製ラジオを黙々と分解していた。その少し離れたベンチに、ユウキは大きなギターケースを背負ったまま、深く腰を下ろしていた。
いつもなら商店街の誰彼構わずに声をかけるユウキだったが、今夜は珍しく、酷く元気がない。
西部は何も聞かない。ただピンセットを動かしている。ユウキも話さない。ただ自分のスニーカーのつま先を見つめている。
十五分ほど、作業の金属音だけが響く静かな沈黙が続いた。
やがて、ユウキがぽつりと重い口を開いた。
「西部さん」
「ん」
「もし……」
ユウキは自嘲気味に少しだけ笑った。でも、その笑顔は酷く弱く、今にも消えてしまいそうだった。
「もし俺が、四十五歳になっても売れてなかったら……どう思います?」
西部の手が、ぴたりと止まった。
持っていたドライバーをカタ、と作業台に置く。丸眼鏡の奥の、人生の酸いも甘いも見てきた静かな目が、ユウキの横顔を捉えた。
「四十五歳?」
「はい」
「お前、今いくつだ」
「二十五です」
「まだ二十年あるぞ」
「そういう話じゃなくて……」
ユウキは弱り切った苦笑いを浮かべた。
「もっと、こう、現実的な将来の話です。もし二十年必死にやって、何も残らなかったらって、時々めちゃくちゃ怖くなるんですよ」
西部は数秒、何かを思い出すように沈黙した。そして、再びドライバーを握り直した。
「四十五歳になった時に考えろ」
吐き捨てるような即答だった。
ユウキはガシガシと自分の頭を抱えた。
「またそれですか」
「まただ」
「不安なんですよ。だから聞いてるんです。大人の意見ってやつを」
西部は店先の、今にも雨が降り出しそうな曇った夜空を一度見上げた。そして、ぼそりと低い声で言った。
「雨が降ってないのに、傘を差して歩く奴はいない」
ユウキは眉をひそめた。
「……また天気ですか。西部さん、そればっかり」
「分かりやすいだろ」
「全然分かりません」
西部はフッと少しだけ笑った。本当に珍しい、髭の奥の微かな変化だった。
「未来の不安ってのはな」
西部はラジオから取り外した古い真空管を、白熱灯の光にかざした。うっすらと煤けたガラスがオレンジ色に透ける。
「まだ降ってもいない雨を心配して、勝手に怯えてる状態だ」
「でも、備えとか、覚悟は必要じゃないですか。最悪のケースを考えておくのは」
「必要だ。それは否定しない」
「じゃあ……」
「傘は持て」
西部は短く頷いた。
「だが、晴れてるうちから一日中開くな。前が見えなくなるぞ」
ユウキは言葉を詰まらせ、黙り込んだ。西部は真空管を慎重に元に戻しながら、続ける。
「未来を考えるのは大事だ。だが、未来ばかり考えるのは違う。四十五歳で売れてない自分を心配してるうちはな、ユウキ」
西部は丸眼鏡を指先で少し上げ、ユウキを真っ直ぐに見た。
「お前の、今日の歌が雑になる」
その言葉だけは、ユウキの胸の最も柔らかい場所に、妙に深く、痛いほどに刺さった。
「未来の借金を、今から自分の財布から払おうとするな。そんなものは、その歳になったお前が勝手に払う」
店先に、冷たい夜風が吹き抜けた。軒先に吊るされた古いカウベルが、チリン、と小さく哀しげな音を立てる。
ユウキは、もう何も返せなかった。




