『ユウキと、初めてのワンマン』前編
半年前、駅前で折れそうな心を抱えて歌っていた頃に比べると、ユウキが商店街に顔を出す頻度は明らかに減っていた。
理由は単純だった。忙しい。
売れたわけでも、売れかかっているわけでもない。ただ、音楽の世界で生き残るために必死だった。
あれからバンドは解散した。最後のメンバーも現実を見て就職していき、残されたのはユウキ一人。ギター一本と、自分の歌だけ。
ライブハウス『ジ・エッジ』。その薄暗い壁に、一枚の粗末なポスターが貼られていた。
「ユウキ SOLO LIVE」
初めてのソロワンマン。キャパシティはわずか三十人。
手売りとSNSで必死に捌いたチケットは二十五枚。満員ではない。でも、半年前の自分なら、一人でこれだけの人間を集めるなんて想像もできなかった数字だった。
「……う、ぷ」
開演五分前。舞台袖の狭い空間で、ユウキは激しい胃の痛みに襲われ、吐きそうになっていた。
バンドの時は、横を見れば仲間がいた。音がズレても、誰かが埋めてくれた。
でも、今日は全部一人だ。失敗しても自分。成功しても自分。言い訳の効かない、逃げ場のない剥き出しの恐怖が、ユウキの指先を冷たく震わせる。
その時だった。
客席のドアが乱暴に開き、重苦しい緊張感に満ちていたフロアに、文字通りの爆音が響き渡った。
「ユウキ兄ちゃーーん!!! 頑張れえええええ!!!」
空気を読まない、限界突破の声量。ライブハウスにいた客全員とスタッフが、一斉に振り返る。
最前列のど真ん中。そこには、オレンジ色のライブハウスの照明を浴びながら、千切れんばかりに両手をぶんぶんと振り回しているスウェット姿のタカシがいた。
当然、すぐに黒服のスタッフに「お客様、他のお客様の迷惑になりますので大声は……」とガチで注意されている。
「……ふっ、あはは」
舞台袖で、ユウキは思わず声を上げて吹き出した。
あんなにガタガタと震えていた心臓のプロペラが、一瞬でいつも通りのテンポに戻っていく。
緊張が、綺麗に吹き飛んだ。
(ああ……いるんだ。あのバカ)
ブー、とアンプのノイズが鳴り、照明が落ちる。
ユウキはアコースティックギターを強く抱え、ステージの真ん中へと歩み出た。二十五人の拍手が、狭い空間に反響する。
最前列では、タカシがすでに感動したような顔でユウキを穴が空くほど見つめている。
開演。
ジャラン、と一本のコードを鳴らし、ユウキは声を張った。
全力だった。一人だからこそ、自分の声の全てを、ギターの弦の一震えの全てを、目の前の人間に届けるしかなかった。
一曲。二曲。三曲。
バンド時代よりも泥臭く、けれど、あの日駅前で歌っていた時よりもずっと鋭い歌声が、三十人キャパの空間を確実に満たしていく。
最後の曲を前にした、短いMC。
ユウキは額の汗を拭い、照れくさそうに客席を見渡した。
「俺……」
少しだけ、自嘲気味に笑う。
「本当は、途中で音楽を辞めるつもりでした」
フロアが、水を打ったように静まり返る。
「バンドも解散したし、売れないし。メンバーもいなくなるし。自分には才能がないんだなって、本気で思ってました」
客席の誰もが、ユウキの飾らない言葉を黙って聞いている。
「でも」
ユウキは、最前列を真っ直ぐに見据えた。そこには、なぜか自分のことのように神妙な顔をして話を聞いている大男がいる。
「ある日、変な人に会ったんですよ」
客席から、ドッと小さな笑いが起きた。
「全然知らない人なのに、俺の歌が好きだって、お前の歌には価値があるって、真っ直ぐに言ってくれる変な人です」
タカシが「えっ? 俺?」という顔をして、急に顔を真っ赤にして照れ始め、周囲の客からクスクスと視線を浴びている。
「だから、俺は今日ここに立ってます。その人に、届くように歌います」
会場から、温かい、今日一番の拍手が巻き起こった。
その拍手の中心で、タカシだけが「う、うぅ……ユウキ兄ちゃん……っ!」と、子供のように顔をくしゃくしゃにして号泣していた。
ギターを掻き鳴らし、最後の曲を歌い上げながら、ユウキは思った。
メジャーなんてまだ遠い。売れてもいない。
でも。俺は確かに、あの日から前へ進んでいる。




