『閉店五分前の平行線』前編
夕暮れ時の商店街。街灯がぽつぽつと灯り始める中、セーラー服姿のアキラは、老舗のケーキ屋『ブレ・ドール』のショーケースの前で、文字通りカチコチに固まっていた。
ガラスの向こうに並ぶ、イチゴが乗った小さなホールケーキ。
今日は、母親の誕生日だった。
それなのに、朝、本当にくだらないことで大喧嘩をして飛び出してきてしまった。
気まずい。謝りたい。でも、今さら家へ帰って「ごめんなさい」なんて素直に言うプライドは、アキラにはなかった。だから、せめてケーキくらい買って帰ろうと思ったのだ。
しかし。アキラが財布の中身を何度数え直しても、現実に打ちのめされるだけだった。
残金、2780円。
目当てのケーキ、3000円。
「……二百二十円、足りない」
致命的だった。店員さんに「おまけして」なんて恥ずかしいことは逆立ちしても言えない。かと言って、今から家に戻って小遣いを足すこともできない。
アキラは財布を開いては閉じ、閉じては開いた。
十分。十五分。二十分。
時間だけが虚しく過ぎていき、アキラはその場から一歩も動けずにいた。
「おい、何やってんの?」
背後から降ってきたのは、スウェット姿にコンビニの袋を下げた、底抜けに気の抜けた声。幼馴染のアカネを待っている途中らしき、タカシだった。
「何って……別に」
アキラがそっぽを向くと、タカシは強引にアキラの財布とショーケースを覗き込み、「あー、お金足りないの?」と一瞬で事情を察した。
「買え」
タカシが短く言う。
「買えません。足りないんです」
「いいから買え」
「だから! 二百二十円足りないって言ってるじゃないですか!」
「足りないなら店員さんに『足りませーん!』って相談しろよ!」
「そんな恥ずかしいことできるわけないでしょ! バカなの!?」
「なんでだよ! 相談するのはタダだろ!」
「できないから、ここで困ってるんです!!」
完全に平行線だった。タカシのように羞恥心ゼロで突っ走ることもできず、アキラはただその場に立ち尽くし、プライドを握りしめて怒るしかなかった。
タカシは腕を組み、「うーーん……うーーん……」と本気で念仏のように唸りながら悩み始めた。 陰を落とした顔を上げ、ポンと拳を叩く。
「じゃあ、俺が二百二十円やるよ。ほら」
「ダメです! 絶対に受け取りません!」
「なんでだよ!?」
「知らない人からお金なんて借りません!」
「俺だってな、知らない女子高生に二十分もケーキ屋の前で見つめられる方が怖いわ!!」
その時、店内のスピーカーから、無情にもホタルの光が流れ始めた。
『本日の営業時間は、まもなく終了いたします――』
「あ……」
アキラの顔から、すうっと血の気が引いていく。閉店五分前。もう、終わりだ。アキラは絶望に肩を落とし、小さなため息をついた。
「あのさ」
店の奥から、白いコック帽を被った店主が、ゆっくりと扉を開けて出てきた。
タカシとアキラが同時に身を硬くする。
「さっきから、ずーっと見てたんだけどね」
店主は困ったように笑いながら、ショーケースから例のホールケーキを取り出した。
「これさ、よく見たらイチゴの位置がちょっとズレて、形が崩れてるんだよね。売り物にならないから、二百二十円引き。2780円でいいよ」
「え……」
アキラが目を丸くする。手元のお金と、ぴったりの金額。
「ほらみろ! 言った通りだろ! 買れたじゃん!」
タカシが我が物顔でガハハとアキラの背中を叩く。
アキラは、まだ狐につままれたような顔をしながらも、差し出されたケーキの箱を大切に両手で受け取った。
「……ありがとうございます」
アキラは店主に深く頭を下げると、急に恥ずかしさが押し寄せてきたのか、ケーキを抱えたまま、夜の商店街を家に向かってダッシュで走り去っていった。
「ほらな! 俺の手柄!」
胸を張るタカシの横で、ようやく合流したアカネが呆れたようにため息をつく。
「いや、タカシさん、あなた何もしてませんよね?」




