7話前編:『逃げ込んだ先は、逃げ場のない袋小路』
夕暮れ時の駅前広場。オレンジ色の西日に照らされたベンチで、若い母親が今にも泣き崩れそうな顔で立ち尽くしていた。
その傍らには、何が起きたか分からず不安そうに母親の服の裾を握りしめている小さな女の子。
「どうした、お姉さん。顔真っ青だぞ」
自販機で缶コーヒーを買っていたタカシが、その尋常じゃない空気に気づいて声をかける。母親はすがるような目でタカシを見上げた。
「さ、財布を……落としちゃって……。中には今月のお金も、保険証も、この子の診察券も、全部入ってたんです。どうしよう, これから病院に行かなきゃいけないのに……っ」
財布、現金、保険証、診察券。生活と子供の健康が詰まった「全部」。
それを聞いた瞬間、タカシの脳細胞は考えるのをやめた。熱い血液が全身を駆け巡る。
「よし、分かった! 病院何時までだ!?」
「ろ、6時です……」
「あと40分か! 街中ひっくり返してでも見つけてやるから、お姉さんはここで待ってろ!」
タカシは回らない頭のまま、駅前広場へと全力で飛び出した。
「財布ーっ! 誰か黒い財布見なかったかーっ!」と大声を上げながら、ゴミ箱の裏から植え込みの中まで、血眼になって探し回る。額から流れる汗が西日に光る。段取りなんて何もない。ただ、あの母親と子供の涙を止めたい、その一心だけでタカシの足は動いていた。
捜捜を開始して15分。焦りばかりが募る中、駅裏の少し薄暗い路地裏へと突っ込んだタカシは、正面から歩いてくる二人組とバッタリ遭遇した。
ジャージ姿に金髪。以前、夜の街で揉めてタカシが不格好に突っかかっていった、あの半グレ風な「ヤカラ」の先輩と後輩だった。
「あ……」
タカシの動きが止まる。最悪のタイミングでの再会だった。
ヤカラの先輩の方が、タカシの顔を見るなり「あッ! おい、お前!」とドスの利いた声を上げて指を差す。
(ヤバい、完全に絡まれた! 今はこいつらと遊んでる時間ねえんだよ!)
「悪い! 今取り込み中だからまた後でな!」
タカシは叫ぶなり、踵を返して猛ダッシュで逃げ出した。
すると背後から「待てコラ! 逃げんな!」と地鳴りのような怒号が響く。振り返ると、ヤカラ二人が鬼の形相で、凄まじい勢いで追いかけてくるではないか。
「待てって言ってんだろ兄ちゃん!」
「誰が待つかボケェ!」
ここから、街中を巻き込んだ大チェイスが始まった。
タカシは商店街のアーケードを駆け抜け、買い物客の間をすり抜け、自転車置き場を飛び越える。なぜ今、なぜ俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ。理不尽すぎる展開に頭が混乱しながらも、タカシは必死に足を動かした。
しかし、ヤカラたちの足も異常に速い。
「おい待てって! 話を聞け!」
「話すことなんかねえわ!」
住宅街の路地へと逃げ込み、必死に角を曲がる。しかし、タカシが飛び込んだその先は、高いコンクリートの壁に阻まれた、逃げ場のない「袋小路」だった。
「うわ、嘘だろ……っ!?」
勢いよく振り返るが、すでに時遅し。路地の入り口には、肩を激しく上下させたヤカラの先輩と後輩が、逃げ道を完全に塞ぐようにして立っていた。
「ハァ……ハァ……ここまでだ、コラ……!」
「お前……どんだけ逃げるんだよ……っ」
タカシは背中を壁につけ、ゴクリと唾を飲み込んでファイティングポーズを構えた。全身汗だくで息は絶え絶え、足はガクガクと震えている。
病院の受付終了まであとわずか。財布は見つからず、自分はここでヤカラにボコボコにされる。最悪の結末が頭をよぎる。
ヤカラの先輩が、ドカドカと荒い足取りでタカシとの距離を詰めてくる。
タカシはギュッと目を瞑り、殴られるのを覚悟して奥歯を噛み締めた。
(くそ……せめて一発だけでも入れてやる……っ!!)
迫り来る足音が, タカシのすぐ目の前でピタリと止まった。




