6話前編:『10歳の誕生日の夜、母親は急な夜勤。「平気だよ」と笑う少女のために、商店街の大人たちが勝手に始めた大騒ぎ』
十歳の誕生日。マナにとって、その日は少しだけ寂しい朝から始まった。
女手一つでマナを育てている母親は、朝から申し訳なさそうな顔をして、何度も何度もマナの短い髪を撫でていた。
「ごめんね、マナ。今日の夜、どうしても外せない急な夜勤が入っちゃって……。ケーキ、明日じゃダメかな」
「別に平気だよ! 私もう十歳だし、お姉ちゃんだもん。お仕事頑張ってね!」
マナは努めて満面の笑みを作ってみせた。けれど、母親がバタバタと慌ただしく家を出て行った後の静まり返った部屋で、ポツンと残されたカレンダーの赤い丸を見つめていると、胸の奥が少しだけチクチクと痛んだ。
本当は、平気なわけがなかった。
放課後。夕暮れ時の商店街を、マナはわざと遠回りをして、ゆっくりと歩いていた。家に帰っても、明日の朝まで誰もいないからだ。
「あれ? マナちゃん。こんな時間にどうしたの?」
声をかけてきたのは、惣菜屋の前でバタバタと片付けをしていたアカネだった。
「あ、アカネお姉ちゃん。ううん、なんとなくお散歩」
「ふーん……。じゃあさ、お姉ちゃん今からちょっとお買い物行きたいんだけど、一人じゃ寂しいから付き合ってくれない?」
アカネはマナの寂しそうな横顔を無理やり引っ張り上げるように明るく笑うと、マナの小さな手をぎゅっと握りしめてくれた。
なんとなく始まった、二人きりの夕方の散歩。けれど、奇妙な「偶然の連鎖」はここから始まった。
「おぅ、マナじゃねぇか。何だそのツラ、シケた顔して歩いてんじゃねぇよ」
ラーメン屋『来てけろ』の店先から、油まみれのタオルを首に巻いた源蔵大将がぬっと大きな顔を出した。
アカネが「大将、マナちゃん今日誕生日なんですよ」と小さく耳打ちすると、大将はガラ悪くフンと鼻を鳴らした。
「チッ、ガキの誕生日かよ。おい、これ持ってけボケ!」
そう言ってマナの胸元にドンと押し付けられたのは、プラスチックタッパーから溢れんばかりに詰め込まれた、山盛りの特製チャーシューだった。
「あら、マナちゃんおめでとう。はい、これ先生からのプレゼントね」
通りかかった『山口診療所』の綾子先生は、白衣のポケットからイチゴ味の飴玉をいくつか掴んで、マナの小さな手のひらに溢れんばかりに握らせてくれた。
そこへ、ドタドタと騒がしい足音とともに、スウェット姿のタカシが息を切らせて走ってきた。
「おおお!? マナちゃん今日誕生日なのか!? マジかよ、ちょっとそこで待ってろ!!」
タカシはそう絶叫すると、近くのコンビニへ向かって猛ダッシュし、数分後、脇腹を押さえながら小さなホールケーキの箱を大事そうに抱えて戻ってきた。
「ロウソクがないと、せっかくのケーキの形がつかないよね」
いつの間にか夕闇の中から現れたジュンが、どこからか調達してきたカラフルな細いロウソクをケーキの箱に添えて、優しく微笑む。
気づけば、夕暮れのアパートの小さな広場で、商店街の大人たちに囲まれた、小さくて、ひどく賑やかな誕生日会が始まっていた。
「マナちゃん、十歳の誕生日おめでとう!」
みんなに手拍子をされながら、白いケーキのロウソクの火を思い切り吹き消した時、マナは胸の奥にあったあのチクチクとした痛みが、完全に消え去っていくのを感じていた。
夜、誕生日会が一段落した頃。
「マナ……っ! ごめん、遅くなっちゃって……! 」
駅の方から、髪を振り乱した母親が肩で激しく息をしながら走ってきた。夜勤の合間に、どうしても一目だけでもマナの顔を見ようと、無理を言って職場を抜け出して駆けつけてくれたのだ。
「お母さん!」
マナは母親の胸に全力で飛び込んだ。母親は、タカシの買ったケーキや、大将のチャーシューを見て、驚きと申し訳なさ、そして溢れるほどの感謝で、何度も何度も街の人たちにお辞儀をしていた。
「お母さん、あのね、最高の誕生日だったよ!」
マナの弾けるような満面の笑みに、母親も堪えきれずにボロリと涙を浮かべて笑った。
街のみんなが優しくて、たくさんの偶然が奇跡みたいに重なり合った、魔法のような一日。マナは母親と温かい手を繋ぎながら、この街が、もっともっと大好きになっていた。




