それぞれの帰路
姫たちが共に過ごした夜から二日後。
朝の白虎皇城、その正門前には朱雀と玄武、それぞれの一行が出立の準備を整えていた。
馬車のそばでは荷の確認が進み、兵たちもすでに隊列を作り始めている。
白虎からは皇帝・冥利をはじめ、第一妃の蘭、第二妃の霞、景虎や征吾、高官たちが見送りに出ていた。
その少し離れたところには、青嵐と三人の将軍、麗華や白亜といった青龍から来た者たちの姿もある。
明羽も緋乃とともに、見送りに加わっていた。
武闘会が終われば、兄たちは朱雀へ帰る。
分かっていたことではある。
それでも、こうして出立の光景を目の前にすると、兄たちが白虎へ来てから続いていた賑やかな日々が終わるのだと、改めて感じられた。
「明羽姫」
声に振り向く。
そこには、旅装を整えた理斗と深仙がいた。
深仙の後ろには、翠蘭が静かに控えている。
「もう出られるのですか?」
「ええ。こちらの準備は終わりましたので」
理斗が玄武の一行へ目を向ける。
三人の上級将校や兵たちも、すでに出立を待つばかりのようだ。
「今回の武闘会では、朱雀の皇太子殿下たちと戦えたことも、よい経験になりました」
「兄上たちも、同じように思っているのではないでしょうか」
「そうだと嬉しいですね」
理斗はいつもの柔らかな調子で笑う。
「そういえば、以前のお約束ですが」
「お約束?」
「玄武の絵巻物ですよ」
その一言で、明羽はすぐに思い出した。
「覚えていてくださったのですね!」
「もちろんです。明羽姫が玄武へ来られた際には、ご案内しますよ」
「ありがとうございます。楽しみにしております」
「その時までに、明羽姫のお眼鏡にかなうものを探しておきましょうか」
「本当ですか!?」
「あはは……そこまで期待されると、少し困りますね」
理斗の笑いに、明羽もつられて口元を緩めた。
「明羽姫……」
隣にいた深仙が、小さく声を掛ける。
「はい」
「先日は……楽しかったです」
「私もです。大浴場も、その後のお話も、とても楽しかったですね」
「はい……」
深仙の口元が僅かに緩む。
その姿を見ているうちに、明羽はふと青龍の一行へ目を向けた。
青嵐は少し離れたところで、冥利たちと話をしている。
「そういえば、深仙さん」
「……はい?」
「青嵐殿下には、もうお別れのご挨拶をなさいましたか?」
「はい……。先ほど」
深仙の視線が兄の方へ向いた。
「でも……まだ少し、話し足りなくて」
「そうでしたか」
「また、しばらく会えなくなりますから……」
「そうですね」
明羽と同じように、深仙も人質の身だ。
兄と離れて他国で暮らしているからこそ、こうして再び別れる寂しさは、明羽にも分かる気がした。
「次の異文化交流は青龍でしたね」
「はい……」
「もしかしたら、案外すぐにお会いできるかもしれませんよ」
「……そうですね」
深仙が小さく頷く。
「また……お話しできると、嬉しいです」
「私もです」
明羽が答えると、深仙の表情が僅かに和らいだ。
その後ろにいた翠蘭とも目が合う。
「翠蘭さんも、お気をつけて」
「…………」
翠蘭は何も言わず、静かに頭を下げた。
「そろそろ行きましょうか」
理斗の言葉に、深仙が頷く。
「では、明羽姫。また」
「はい。道中、お気をつけください」
理斗たちが玄武の一行へ戻っていく途中、深仙は青龍側の前で足を止めた。
青嵐が妹へ何か短く声を掛け、深仙もそれに答える。
ここからでは言葉までは聞き取れなかったが、深仙はすぐに離れようとはせず、しばらく兄の前に立っていた。
やがて青嵐が何かを告げると、深仙も小さく頷く。
その横では、麗華が大きく手を振った。
「深仙! またみんなで集まろうね!」
「はい……」
深仙も小さく手を振り返し、翠蘭とともに馬車へ向かった。
ほどなく玄武の一行が動き始め、騎兵を先頭に馬車や荷車、兵たちが正門を抜けていく。
深仙を乗せた馬車の窓から小さく手が上がり、明羽も手を振り返した。
黒を基調とした玄武の旗が、少しずつ遠ざかっていく。
「行かれましたね」
「はい」
緋乃の声に頷いていると、後ろから聞き慣れた声がした。
「明羽」
「兄上」
振り返ると、翔義が立っていた。
その向こうには、二人の大納言と朱雀の兵たちの姿がある。
茜もすでに旅支度を整え、馬のそばに立っていた。
「玄武は先に出たか」
「はい。たった今」
「そうか。こちらも、もう出る」
「……はい」
それだけのやり取りなのに、先ほどまでより正門前が静かに感じられた。
翔義は明羽をしばらく見たあと、その隣へ視線を移す。
「緋乃」
「はい」
「明羽を頼む」
「承知しております」
「兄上。私は子供ではございませんよ」
「知っている」
予想していたものとは違う返事に、明羽は瞬きをした。
「だからといって、心配しなくなるわけではない」
「…………」
「何かあれば手紙を寄越せ。些細なことでもいい」
明羽は少しだけ迷ってから、素直に頷いた。
「はい」
「ならいい」
それだけ言うと、翔義はいつもの表情に戻った。
そこへ茜が歩いてくる。
「緋乃」
「はい、母上」
「明羽殿下の護衛を怠らぬように」
「もちろんでございます」
「それから、鍛錬も続けなさい」
「承知しております」
「茜殿も、道中お気をつけください」
明羽が声を掛けると、茜は深く一礼する。
「ありがとうございます。明羽殿下も、どうかご自愛くださいませ」
「はい」
茜はもう一度緋乃へ目を向けてから、もう一人の大納言が待つ方へ戻っていった。
続いて、渚が沙月を連れてこちらへやってくる。
「私たちもそろそろ乗るわ」
「はい。朱雀までお気をつけください」
「……あなたも元気でいなさいよ。緋乃さんもね」
「ありがとうございます」
「お気遣い、ありがとうございます」
渚は二人へ軽く手を上げた。
「沙月さんも、お気をつけて」
「は、はいっ! 鳳院殿下も、お元気で!」
「行くわよ、沙月」
「はい!」
渚と沙月が馬車へ向かう途中、麗華が大きな声を上げた。
「渚! また一緒にお風呂入ろうね!」
「何で最後にそれなのよ!」
「楽しかったじゃん!」
「……まあ、否定はしないけど」
「ほら!」
「大声を出さないで!」
明羽は思わず笑った。
その後ろ姿を見送ってから、再び翔義へ顔を向ける。
「兄上」
「何だ」
「持ってきてくださった絵巻物、ありがとうございました」
「やはり最後はそれか」
「最後ではございません」
「そうか?」
「本当です」
明羽は少しだけ間を置いた。
「白虎まで来てくださって、嬉しかったです」
翔義が僅かに目を見開く。
口にしてから少し気恥ずかしくなり、明羽は兄の顔を見上げた。
「……何ですか?」
「いや」
翔義はそれ以上何も言わず、明羽の頭へ手を置く。
「元気でいろ」
「はい」
すぐに手が離れた。
「兄上も、お元気で」
「ああ」
「父上と母上にも、よろしくお伝えください」
「分かった」
その後、翔義は白虎と青龍の者たちへ別れの挨拶を済ませ、馬へ向かった。
翔義が馬に跨ると、茜ともう一人の大納言もそれに続く。渚と沙月を乗せた馬車の扉が閉じられ、朱雀の兵たちも列を整えた。
「では、出るぞ」
先頭の騎兵が動き、朱雀の一行が正門の外へ進み始める。
「翔義殿下ー! またね!」
麗華の声に、馬上の翔義が振り返って片手を上げた。
冥利たち白虎の者も、青嵐たち青龍の者も、遠ざかっていく一行へ目を向けている。
明羽も、馬上の翔義と、その後ろに続く茜たち、さらに馬車と兵たちが少しずつ小さくなっていくのを見つめていた。
やがて朱雀の旗も、正門の向こうへ見えなくなる。
「……行ってしまわれましたね」
隣に立つ緋乃が静かに言う。
「はい」
つい先ほどまで人と馬で埋まっていた正門前が、急に広くなったように見えた。
明羽はもう一度、朱雀の旗が消えた方角へ目を向ける。
少し寂しい。
けれど、二度と会えないわけではない。
「明羽!」
麗華の声に振り返る。
「戻ろう!」
その傍らには青嵐や白亜の姿もあり、少し離れたところでは景虎たちも皇城へ戻り始めていた。
「はい」
明羽は答え、緋乃を見る。
「参りましょうか」
「はい、殿下」
二人もまた、白虎皇城へと歩き出した。




