返事は、まだ
翌朝。
朝餉を終えたばかりの明羽のもとには、旅支度を整えた麗華がやって来ていた。
「もう出立のご準備はよろしいのですか?」
「うん。あとは出るだけ!」
昨日は朱雀と玄武を見送ったが、今日は青龍の一行が銀嶺府を発つ。
麗華も再び人質として、青龍へ戻ることになっていた。
「そうだ、明羽」
「何でしょう?」
「白虎の絵巻物、まだいろいろ読みたいんだよね?」
「もちろんです」
明羽は迷うことなく答える。
「だったら、白綾に行ってみたら?」
「白綾?」
「うん。古都なんだけど、絵巻物とか書物を作ってるところが多いんだよ」
「…………」
明羽は麗華を見つめた。
「そのような場所があるのですか?」
「あるよ」
「絵巻物を作っているところが、たくさん……」
皇城の書物庫だけでも、まだ読み終えていない絵巻物はいくつもある。それとは別に、そのような土地まで存在するらしい。
「白綾には、どのくらい絵巻物があるのでしょう?」
「そこまでは知らないけど……」
「朱雀では見たことのない絵巻物も、きっとたくさんありますよね?」
「うん。それはあると思うよ」
「それは……ぜひ見てみたいです」
明羽がそう言うと、麗華が楽しそうに笑った。
「やっぱり」
「教えてくださってありがとうございます。機会があれば、ぜひ行ってみたいです」
「うん。明羽なら絶対喜ぶと思う」
そこで扉の近くに控えていた白亜が声を掛けた。
「麗華様。そろそろお時間でございます」
「あ、もう?」
「はい」
「分かった」
麗華は立ち上がると、明羽へ顔を向ける。
「じゃあ、続きは正門でね!」
「はい」
元気よく手を振り、白亜とともに部屋を出ていく。
扉が閉まったあとも、明羽の頭には先ほど聞いた名前が残っていた。
古都・白綾。
白虎にいる間に、一度は訪れてみたい。
◇
ほどなくして、白虎皇城の正門前。
青龍の一行はすでに出立の準備を終え、騎馬や荷車が青龍の旗の下に並んでいた。
冥利をはじめとした白虎の皇族や高官たちも見送りに集まっている。
明羽が緋乃とともに正門前へ出ると、麗華がこちらに気づいて手を上げた。
「明羽!」
「麗華さん」
白亜を伴い、麗華がこちらへやってくる。
「さっきぶりだね」
「ふふ。そうですね」
「またみんなで集まろうね!」
「ぜひ」
「明羽も元気でね」
「麗華さんも」
麗華がにっこりと笑う。
次の異文化交流は青龍だが、明羽自身が参加することになるのかはまだ決まっていない。
そこで麗華と会えるかどうかも、今は分からなかった。
「白綾のことも忘れないでよ?」
「忘れるはずがございません」
「即答だ」
麗華が吹き出す。
「じゃあ、またね」
「はい。またお会いしましょう」
麗華はもう一度手を振ると、白亜とともに青龍側へ戻っていった。
その姿を見送った明羽は、青龍の一行へ目を向ける。
将軍たちの中には水城の姿もあった。
そして、少し離れたところに青嵐がいる。
ふと、目が合った。
「…………」
明羽は隣に控える緋乃へ顔を向ける。
「緋乃」
「何でございますか?」
「水城殿も本日お帰りになりますね。先日の宴でもお話しされていましたし、ご挨拶をなさってきてはいかがですか?」
「私が、でございますか?」
「はい」
緋乃は僅かに首を傾げる。
「ですが、殿下をお一人にするわけには――」
「ここには白虎の方々も大勢いらっしゃいます。それに、水城殿もすぐそこではありませんか」
「……左様でございますが」
「行ってきてください」
少し迷った末、緋乃は一礼した。
「承知いたしました。すぐに戻ります」
「はい」
緋乃が水城のもとへ歩いていく。
ほどなくして、青嵐もこちらへ向かってきた。
「明羽姫」
「青嵐殿下」
目の前で足を止めた青嵐は、少しの間を置いて口を開く。
「この前のことだ」
「……お返事のことでしょうか?」
「そうだ」
明羽は僅かに言葉を詰まらせた。
あの日から何度か考えてはいるものの、今もまだ答えは出ていない。
「申し訳ございません。私、まだ――」
「返事は、まだいらない」
明羽は顔を上げた。
「以前も、そのように仰ってくださいましたね」
「ああ。だが今は、別の理由もある」
「別の理由?」
青嵐は一拍置いた。
「景虎殿に負けた」
「……武闘会のお話ですか?」
「そうだ」
「ですが、それと私のお返事に何か関係があるのでしょうか?」
「僕にはある」
迷いのない返事に、明羽はそれ以上言葉を挟めなかった。
「景虎殿に負けたまま、あなたの答えを聞くつもりはない」
「…………」
「次は勝つ」
「それまでは、お返事をしなくてもよろしいのですか?」
「そうしてほしい」
「分かりました」
青嵐の表情が僅かに和らぐ。
「ただ、僕の気持ちは変わっていない」
「…………」
真っ直ぐに見つめられ、明羽はすぐには言葉を返せなかった。
「……はい」
少し離れたところから、青龍の者が青嵐を呼ぶ声が聞こえた。
「行く」
「はい。道中、どうかお気をつけください」
「ありがとう」
青嵐は踵を返した。
だが数歩進んだところで、一度だけ足を止める。
その視線の先には、景虎が立っていた。
景虎も青嵐を見ている。
二人の間に言葉はない。
ほんの短い間だけ互いを見たあと、青嵐は前へ向き直り、そのまま青龍の一行へ戻っていった。
ほどなくして出立の声が掛かり、騎馬を先頭に青龍の一行が正門を抜けていく。
「明羽ー! またね!」
馬車の窓から、麗華が大きく手を振っていた。
「はい! 麗華さんも、お元気で!」
明羽も手を振り返す。
青龍の旗は少しずつ遠ざかり、やがて麗華の姿も見えなくなった。
しばらくその方角を見つめてから、明羽は後ろを振り返る。
景虎は、まだそこにいた。




