姫たちの夜・前編
その日の夜。
夕餉を終えた明羽は、客殿の卓に一巻の絵巻物を広げていた。
翔義が朱雀から持ってきてくれたものの一つだ。
明羽が少しずつ巻物を進めていると、扉を叩く音がした。
「失礼いたします。鳳院殿下」
扉の向こうから、白虎の女官の声が聞こえた。
「麗華様、深仙様、渚様がお見えでございます」
「まあ。三人とも?」
明羽は思わず絵巻物から顔を上げた。
「緋乃、何かお聞きしておりますか?」
「いいえ。私も何も伺っておりません」
「そうですか……。どうされたのでしょう」
「お会いになりますか?」
「もちろんです」
明羽が頷くと、緋乃は女官へ声を掛けた。
「お通しください」
「承知いたしました」
ほどなくして扉が開いた。
「こんばんは! 明羽!」
真っ先に入ってきた麗華が、いつもの明るい声を上げる。
その隣では、深仙が静かに会釈した。
一方、渚は腕を組み、どこか不満そうにそっぽを向いている。
「こんばんは、皆様」
明羽も挨拶を返した。
麗華と深仙ならともかく、渚まで一緒なのは少し意外だった。
「渚様もご一緒なのですね」
「何よ。私がいたら悪い?」
「いいえ。ただ、少し意外でしたので」
「……まあ、最初は断ったけど」
「そうなのですか?」
明羽が麗華へ目を向ける。
「うん。あ、それより明羽。今夜、ボクたちと一緒に過ごさない?」
「今夜ですか?」
「前に言ったでしょ? それぞれの国に帰る前にいっぱい話そうって」
「そういえば、おっしゃってましたね」
「だから、今日はみんなで集まろうと思って」
「どちらで?」
「ボクの部屋!」
「麗華さんのお部屋ですか?」
「うん。青龍へ行く前まで使ってた部屋。父上に頼み込んで、今夜は使っていいって言ってもらったんだ。それに、今日はそのまま泊まっていいって!」
「お泊まりなのですか?」
「その方がゆっくり話せるでしょ?」
「それは楽しそうですね」
明羽の頬も自然と緩んだ。
「緋乃も連れて行きたいのですが、構いませんか?」
「もちろんいいよ! 最初からそのつもりだったし。……というか、父上から必ず侍女は連れていけって言われてるんだけどね」
麗華が少しだけ肩をすくめた。
「では、ぜひご一緒させてください」
「やった! これで四人揃ったね!」
深仙も小さく微笑んだ。
「それと、もう一つ朗報があるんだ」
「朗報、ですか?」
「皇族専用の大浴場も使っていいって!」
「大浴場?」
「そう! すっごく広いお風呂があるんだよ」
「まあ。そのようなものがあるのですね」
「でしょ? それで、渚にも大浴場へ行こうって言ったら、来てくれたんだ」
「そうだったのですか。……渚様は、お風呂がお好きなのですか?」
「別に、そこまで――」
「好きなんだって」
「っ! 白虎の姫! 私はそんなこと一言も言ってないわよ!」
「だって、そう聞いたんだもん」
「……誰に?」
「理斗殿下」
「兄さ……国家主席補佐に? いつ、どこで、誰が聞いたのよ!?」
「ボクじゃないよ。深仙に聞いてもらったの」
渚の視線がすぐさま深仙へ向いた。
「青龍の姫が?」
「はい……。麗華さんから頼まれて……」
「兄さん……」
渚は眉間を押さえた。
「普通に誘ったら断られちゃったからさ。どうしたら来てくれるかなって思って」
「だからって国家主席補佐に聞く?」
「何が好きなのか、一番知ってそうだったし」
「それで大浴場だったのですね」
「そういうこと!」
「……せっかく白虎まで来たんだから、入ってみたいと思っただけよ」
「やっぱり好きなんじゃん」
「……もうそれでいいわ」
渚が諦めたように息を吐くと、麗華は楽しそうに笑った。
「じゃあ、大浴場に入ったあとは、部屋でいっぱい話そうね」
「はいはい」
渚が面倒そうに返す。
「私も……楽しみです」
「それでは、すぐに支度を済ませますので、少しばかりお待ちください」
「うん!」
明羽は卓に広げていた絵巻物を丁寧に巻き納めると、緋乃とともに急いで泊まる支度を整えた。
◇
麗華に案内され、明羽たちは白虎皇城の一角にある部屋へやって来た。
「ここが麗華さんのお部屋なのですね」
「そうだよ。青龍へ行く前までは、ずっとここを使ってたの」
中へ入った明羽は室内を見回した。
寝台や卓はきちんと整えられ、棚の上にも物が散らかっている様子はない。
「……意外に綺麗ね」
渚がぽつりと呟いた。
「ちょっと! 意外って何!?」
「そのままの意味よ。もっと散らかってると思ってた」
「失礼だなあ。ボクだって自分の部屋くらい綺麗にするよ!」
「本当に?」
「本当だよ! ね、白亜?」
麗華が後ろを振り返る。
「麗華様。人が来るときだけは、綺麗にされますよね?」
「白亜!?」
渚が吹き出し、深仙も小さく笑った。
「もう! それより、荷物置いて大浴場へ行こう!」
「そうね」
真っ先に答えたのは渚だった。
「…………」
麗華がじっと渚を見る。
「何よ」
麗華は何も言わず、にやりと笑った。
明羽たちは荷物を部屋に置き、緋乃たち付きの者とともに大浴場へ向かった。




