決着
明羽と緋乃が観覧席へ戻ると、麗華がすぐにこちらを向いた。
「おかえり、明羽。間に合ったね」
「はい」
明羽は元の席へ腰を下ろし、改めて試合場へ目を向けた。緋乃もその後ろへ控える。
景虎はすでに戻っており、係の者が槍を確認する傍らで、右手を何度か握っていた。休憩前までの悪い顔色は消え、立ち姿にも不自然なところはない。
その右手が問題なく動いているのを見ているうちに、つい先ほど控えの間で聞いた声が蘇った。
『……助かった、明羽』
「…………」
「明羽?」
麗華に呼ばれ、明羽ははっとする。
「……何でもございません」
「そう?」
「はい」
ほどなくして、理斗も戻ってきた。髪の先が少し濡れている。
自分の位置へ歩いていく途中、理斗の視線が景虎へ向き、一瞬だけ右腕に留まった。
だが、何も言わずに歩いていく。
理斗が所定の位置へ戻る頃には、武器と左胸の皿の点検も終わっていた。係の者たちが試合場から下がると、審判が四人を見渡す。
「各人、位置へ!」
翔義、景虎、青嵐、理斗がそれぞれ武器を構えた。
明羽は景虎の右手を見る。
槍の柄をしっかりと握っており、休憩前のように指が浮くこともない。
「特別試合――再開!」
合図と同時に、四人が動いた。
真っ先に青嵐との間合いを詰めたのは景虎だった。左胸へ突き出した槍を青嵐がかわすと、そのまま横薙ぎへ切り替える。
青嵐の槍がそれを受け止め、乾いた音が響いた。
「景虎兄上……さっきと全然違う」
隣で麗華が目を見張る。
「……はい」
槍を引く動きにも、次の一歩へ移るまでにも、休憩前までのような不自然な間はない。
青嵐が槍を弾いて懐へ入ろうとするが、景虎はすぐに穂先を戻し、その進路を塞いだ。
「今度は食らわねえぞ」
「そのようだな」
「余裕ぶってんじゃねえ!」
再び景虎が攻める。
そこへ横から翔義の太刀が入り、景虎は槍の柄で受け止めた。
「邪魔すんな!」
「乱戦だ。文句を言うな」
「またそれかよ!」
さらに理斗まで加わると、景虎が露骨に顔をしかめる。
「お前まで来んな!」
「三人は多い、とでも?」
「てめえ……」
「先ほど聞きましたから」
理斗が涼しい顔で返した直後、横から青嵐の槍が伸びる。
「よそ見をするな」
「誰のせいだ!」
観覧席から笑いが起こった。
それからしばらくは、誰か一人が攻めれば別の者がその隙を狙い、四人の位置も相手も絶えず入れ替わっていった。
やがて明羽の目は、翔義と理斗の攻防へ引きつけられる。
翔義の太刀を、理斗は剣で受け流しながら距離を取っていた。しかし、退いた分だけ翔義が詰めていくため、なかなか間合いを切れない。
「おや。容赦がありませんね」
「試合中に手加減を望むのか?」
「まさか」
理斗が笑う。
再び太刀と剣がぶつかり、押された理斗が一歩、さらに一歩と後退していく。
「兄上……!」
明羽が翔義を見つめる。
その間にも、翔義は理斗との距離を詰めていく。
「翔義殿下、お強いですね」
太刀を受け流しながら、理斗が言った。
「今さらか?」
「いえ。想像以上でした」
「そうか。知れてよかったな」
翔義が太刀を振り上げる。
振り下ろすと見せかけ、理斗が受けに動いたところで横へ返した。
左胸へ迫った太刀を、理斗は上体を捻ってかわす。
「惜しい!」
隣で麗華が身を乗り出す。
翔義はそのまま間合いを詰めて逃がさない。
もう一度左胸を狙って太刀が走ったとき、理斗は受けずに身体を沈めた。
刃が肩の上を抜ける。
その懐へ、理斗が踏み込んだ。
「!」
翔義もすぐに太刀を戻そうとする。
だが、理斗の剣先がわずかに早かった。
ぱきっ。
乾いた音とともに、翔義の左胸に取り付けられた白い皿へ亀裂が走り、そのまま二つに割れた。
「鳳院翔義殿下――脱落!」
明羽は思わず息を呑む。
試合場では、翔義が割れた皿へ目を落とし、すぐに理斗へ向き直った。
「最初から狙っていたのか」
「途中からですよ。正面から続けていても、こちらが先に割られていましたので」
「それで、わざと退いたか」
「ええ」
しばらく理斗を見ていた翔義が、小さく笑う。
「見事だ」
「ありがとうございます」
翔義が太刀を下ろすと、理斗も剣を下げて一礼した。
明羽は兄の背中が試合場の外へ消えるまで見送る。
「理斗様は、よく見ていらっしゃるのですね」
「はい。そのようですね」
背後の緋乃が答えた。
試合場では、残った景虎、青嵐、理斗の三人が、すでに武器を構え直していた。
「さて。三人になりましたね」
理斗が二人を見比べる。
「だから何だ」
「いえ。お二人とも、私より互いの方が気になっているようですので」
「……」
景虎が黙っている横で、青嵐が口を開いた。
「……僕は違う」
すぐに否定した青嵐へ、理斗が目を向ける。
「否定するのは青嵐殿下だけですか」
「うるせえ」
景虎が青嵐へ踏み込み、二本の槍がぶつかった。
そこへ理斗も加わり、三人の攻防が始まる。
景虎と青嵐が互いを狙えば理斗が横から入り、理斗が一方へ攻めれば、残った一人がその隙を逃さない。
「お二人とも、少しは順番というものを――」
「乱戦だろ」
景虎が即座に返す。
「同感だ」
青嵐まで続き、理斗が苦笑した。
「……先ほどは、私も同意していましたね」
いったん離れた三人のうち、先に仕掛けたのは理斗だった。
景虎へ斬り込み、受けられるとすぐに剣を返して青嵐へ向かう。
青嵐を追って踏み込んだことで、理斗の意識がそちらへ偏る。
その隙へ、景虎の槍が伸びた。
同時に、後退していた青嵐も踏み込み直す。
二人の狙いが、理斗の左胸へ重なった。
「……っ!」
理斗は景虎の槍を剣で受けたものの、青嵐の一撃までは防げなかった。
ぱきっ。
「玄海理斗殿――脱落!」
観覧席から歓声が上がる。
理斗は割れた皿を見下ろしたあと、景虎と青嵐を交互に見た。
「二人がかりは卑怯とか言うなよ」
景虎が先に口を開く。
理斗は一瞬黙ったあと、笑った。
「乱戦とは、そういうものでしょう?」
「……てめえ」
「翔義殿下のお言葉ですよ」
「知ってるよ!」
理斗は剣を下ろす。
「さて、敗者は席に戻りますか」
そう言って試合場をあとにした。
残ったのは、白牙景虎と蒼宮青嵐の二人。
「やっぱり、この二人が残ったね」
隣で麗華が呟く。
「やっぱり、ですか?」
「だって景虎兄上、最初から青嵐殿下ばっかり狙ってたじゃん」
「それは……そうですね」
「何かあるのかな?」
「どうなのでしょう……」
明羽にも理由は分からない。
それ以上は何も言えないまま、改めて試合場を見る。
向かい合った青嵐と景虎は、すでにそれぞれ槍を構え直していた。
青嵐へ目を向けたとき、昨夜告げられた言葉が頭をよぎる。
『僕は……あなたが好きだ』
そこから景虎へ目を移すと、今度はつい先ほどの声が蘇った。
『……助かった、明羽』
「…………」
二人から目を離せないでいるうちに、景虎が槍を握り直した。
向かいの青嵐も静かに構える。
もう、二人の間へ割って入る者はいない。
「やっと邪魔がいなくなったな」
「……お前、最初から僕を狙っていただろう」
「だったら何だ」
「別に。僕も、お前には負けるつもりはない」
「……上等だ」
二人の槍先が持ち上がる。
「行くぞ、青龍の金髪頭!」
「ああ」
二人は同時に地を蹴った。
正面からぶつかった木製の槍が、乾いた音を響かせる。
互いに譲らない攻防が続く中、青嵐が景虎の槍を外へ払い、その懐へ踏み込んだ。
休憩前、景虎を蹴り飛ばしたときとよく似た距離だった。
身体を捻った青嵐に対し、景虎は蹴りの軌道から素早く外れる。
「二度も食らうかよ!」
返された槍を青嵐が弾き、再び間合いが開いた。
そこから何度か槍が交わされたものの、どちらの皿にも届かない。
先に均衡を崩したのは青嵐だった。
景虎の槍を強く右へ払い、空いた左胸へ一気に穂先を伸ばす。
景虎は退かず、逆に一歩踏み込む。
左肩を引いたことで、青嵐の槍先は白い皿の縁を掠めるだけに終わる。
その勢いで身体が前へ流れたところへ、景虎は右へ弾かれた槍を引き戻さず、柄を滑らせるように握り替える。
石突きが青嵐の左胸へ迫る。
「……っ!」
青嵐も身体を捻るが、間に合わない。
ぱきっ。
白い皿が割れ、破片が地面へ落ちる。
一瞬の静寂のあと、審判が大きく腕を上げた。
「蒼宮青嵐殿――脱落!」
「特別試合、勝者――白牙景虎殿下!」
「やったー! 景虎兄上の勝利だー!」
麗華が勢いよく立ち上がる。
一方、深仙は心配そうに青嵐を見つめていた。
「……兄様」
明羽は、いつの間にか握り締めていた手をゆっくりと開く。
試合場では、青嵐が割れた皿へ目を落としたあと、景虎へ向き直った。
「……僕の負けだ」
「ああ」
「次があれば必ず倒す」
「次も俺が勝つ」
「……」
青嵐が槍を下ろし、景虎も構えを解いた。
やがて正面上段で、皇帝・白牙冥利が立ち上がる。
片手が上がると、武道館を満たしていた歓声も次第に静まっていった。
「見事であった!」
冥利の声が響き渡る。
「これをもって、本日の武闘会はすべて終了とする!」
再び、大きな拍手が沸き起こった。




