神前の言葉
麗華が舞台を下りたあとも、演舞の間には神楽の余韻が残っていた。
明羽はもう一度、神前へ目を向ける。
先ほどまで麗華が舞っていた場所には、もう誰もいない。それでも、白銀色の髪を揺らして舞う姿が、まだ目に残っている。
「見事な舞であったな」
冥利の声に、明羽は神前から視線を戻す。
白虎の皇帝が席を立った。
「さて、明日は武闘会だ。ここで改めて確認しておく」
演舞の間に集まった者たちの視線が冥利へ向く。
「通常の試合は三試合。各試合、各国から一名ずつ出し、四人で戦う。武器は白虎が用意した木製のものを使い、左胸の皿を割られた者から退場だ。殺しは禁止する」
昼間、緋乃から聞いたものと同じ内容だった。
「そして明日は、通常の三試合とは別に特別試合を設ける」
演舞の間がざわめく。
「そんな話、聞いてねえぞ」
景虎の声だった。
「ああ。知らせていない」
冥利は当然のように答える。
「せっかく四国の次代を担う者が揃っているのだ。見ているだけで終わらせるつもりはない」
冥利は列席する者たちを見渡した。
「出場するのは、朱雀皇国皇太子・鳳院翔義。帝政白虎皇太子・白牙景虎。青龍王国王太子・蒼宮青嵐。そして、玄武合区国家主席補佐・玄海理斗。この四名で一試合を行う」
「兄上も出られるのですか?」
明羽が尋ねると、翔義が答えた。
「そうらしいな」
「兄上もご存じなかったのですか?」
「ああ。初耳だ」
理斗が冥利へ向き直る。
「陛下。一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「何だ」
「特別試合も、通常の試合と同じ形式で行われるのでしょうか」
「ああ。四人同時に戦い、最後まで皿を守った者を勝者とする」
「承知いたしました」
理斗は丁寧に頭を下げた。
冥利は青嵐へ目を向ける。
「青龍の王太子も、それでよいな」
「はい。異存ありません」
「翔義殿下は?」
「承知いたしました」
最後に、冥利の視線が景虎へ向いた。
「お前は聞くまでもないな」
「勝手に決めたのは親父だろ」
「嫌なのか?」
「誰がそんなこと言った」
「ならば決まりだ」
冥利は満足そうに頷く。
「特別試合は通常の三試合を終えたあとに行う。四国の次代を担う者同士、存分に腕を競え」
第三試合には緋乃が出る。そのあとには翔義も戦うことになった。
明日は、緋乃だけでなく兄のことも応援できる。
もっとも、その分、絵巻物を読む暇はなさそうだった。
◇
冥利の話が終わると、列席していた者たちは順に演舞の間を出ていった。
明羽も客殿へ戻ろうとしたところで、白虎の役人が緋乃のもとへやって来る。
「南條様。明日の出場について、最終の確認がございます。少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「承知しました」
緋乃は明羽へ視線を向ける。
「殿下。すぐ戻りますので、こちらを離れないでください」
「分かっております」
「本当にでしょうか?」
「……分かっております」
まだ何か言いたげな様子を見せながらも、緋乃は役人とともに演舞の間を出ていった。
片づけを終えた者たちも退出し、演舞の間は先ほどまでの賑わいが嘘のように静かになる。扉の外、少し離れたところには白虎の衛兵が控えていた。
明羽は席で緋乃を待ちながら、気づけばまた神前を見ていた。
先ほどの麗華の舞が、まだ頭から離れない。
やがて席を立ち、麗華が舞っていた舞台の手前まで歩いていく。
池のほとりで笑っていた麗華と、神前で舞っていた麗華。同じ少女なのに、あれほど印象が変わるとは思わなかった。
もう一度見てみたい。
「明羽姫」
後ろから呼ばれ、明羽が振り返る。
「……青嵐殿下」
そこには、蒼宮青嵐が立っていた。
「青嵐殿下も、まだこちらに?」
「ああ」
「深仙様は?」
「理斗殿と玄武の客殿へ戻った」
「そうでしたか」
青嵐は明羽を真っ直ぐ見つめる。
「僕は、あなたと話したかった」
「私と?」
「ああ。一つ、伝えておきたいことがある」
「何でしょう?」
「僕は……あなたが好きだ」
明羽は目を見開いた。
一瞬、その言葉の意味を飲み込めず、誰もいない静かな演舞の間で、青嵐の言葉だけが耳に残る。
返事をしなくては――そう思うのに、声が出ない。
「……私を、ですか?」
「ああ」
「ですが……青嵐殿下と私は、昨日初めてお話ししたばかりですよね?」
「話したのはな」
「え?」
「初めて会ったのは、もっと前だ」
その言葉で、明羽にも思い当たる節があった。
「人質交換の日……?」
「ああ」
四国の国境で、人質と神器の受け渡しが行われた日。
青嵐は深仙を見送るため、青龍から来ていた。言葉を交わしてはいないが、明羽もその姿は覚えている。
「最初に会った日からだ」
「人質交換の日から、ずっと……?」
「ああ」
あまりに迷いのない返事に、明羽は神前へ視線を向ける。
「……青嵐殿下。ここは神前ですよ」
「ああ」
「そのようなことを、冗談で仰る場所ではありません」
「冗談ではない」
青嵐は明羽から目を逸らさない。
その視線を受けきれず、明羽はそっと目を伏せた。
すると、不意に別の声が蘇る。
『俺だからじゃないのか』
景虎の言葉だった。
なぜ今、この言葉を思い出したのかは分からない。明羽はそれを振り払うように、青嵐へ顔を戻す。
「申し訳ございません。私……今すぐには、お答えできません」
「分かっている」
「よろしいのですか?」
「ああ。今すぐでなくていい」
青嵐はそれ以上、返事を求めなかった。
「ただ、伝えておきたかった」
「……はい」
「では」
明羽へ一礼し、青嵐はそのまま演舞の間を出ていく。
あとに残された明羽は、再び神前へ目を向けた。
青嵐にどう答えるのか。
今はまだ、その答えを出せそうにない。
◇
少し時を遡る。
列席者たちが演舞の間を出始めた頃、景虎は冥利に呼び止められていた。
「景虎。お前は少し残れ」
「何だよ」
「明日の警備について確認しておくことがある」
そのまま冥利とともに演舞の間を出て、廊下の先にある一室へ入る。
話はすぐに終わった。
「以上だ」
「それだけか?」
「ああ」
「なら最初からそう言え」
「皇太子がその程度で文句を言うな」
「誰のせいだ」
冥利は景虎の文句を取り合わず、侍従たちを連れて部屋を出ていった。
少し遅れて廊下へ出た景虎が、演舞の間の前を通りかかった、そのときだった。
『僕は……あなたが好きだ』
その声に、景虎の足が止まる。
青嵐の声。
景虎は中へ入らず、その場で黙って続きを聞いていた。
『最初に会った日からだ』
拳に力がこもる。
しばらくして聞こえてきたのは、明羽の声だった。
『申し訳ございません。私……今すぐには、お答えできません』
それを最後まで聞くと、景虎は無言で踵を返し、演舞の間から離れていく。
明日の特別試合には、蒼宮青嵐も出る。
その事実は、先ほどまでと何一つ変わっていないはずだった。




