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17/30

舞う白銀

 翌日。


 武闘会を明日に控えた昼頃、明羽(めいう)は緋乃(ひの)とともに客殿を出た。


 昼餉(ひるげ)を終え、これから書物庫へ向かうところである。


「そういえば緋乃」


「はい」


「明日の武闘会ですが、どのように戦うのですか?」


 武闘会に各国から三名の武人が出ることは聞いている。そのうちの一人に緋乃が選ばれたことも。


 しかし、肝心の試合がどのように行われるのかまでは知らなかった。


「試合は全部で三試合ございます」


「三試合?」


「はい。朱雀、白虎、青龍、玄武から一名ずつ。四人が同時に戦う乱戦形式です。それを三試合行うようです」


「四人で同時に……。一対一ではないのですね」


「ええ」


「では、二人を相手にすることも?」


「あるでしょうね」


「三人から狙われることも?」


「ないとは言えません」


「まあ」


 明羽の声が少し弾んだ。


 緋乃が横目で見る。


「殿下。楽しんでおられませんか?」


「もちろん楽しみにしておりますよ。緋乃が戦うところを見られるのですから」


「……以前も申し上げましたが、遊びで出るわけではございません」


「分かっております」


 明羽は笑って答えた。


「緋乃は何試合目に出るのです?」


「三試合目です」


「最後なのですね」


「はい」


「では、しっかり応援いたします」


「ありがとうございます」


 今度は緋乃も素直に礼を言った。


「武器はどうするのです?」


「白虎側が用意した木製のものを使います。何種類か用意されているそうです」


「本物の武器は使わないのですね」


「はい。それと、相手を殺めることは禁止されています」


「それは安心しました」


「ただし、怪我をしないとは限りませんよ」


「それくらいは分かっております」


 明羽が頷く。


「それで、どうすれば勝ちになるのですか?」


「出場者は、左胸に皿を一枚固定します」


「皿?」


 予想していなかった言葉に、明羽は聞き返した。


「はい。皿です」


「お食事に使うような?」


「形としては、そのようなものかと」


「それを胸に?」


「左胸です」


 明羽は自分の左胸へ目を落とした。


 そこに皿を付けた姿を想像してみる。


「少し変わっていますね」


「私もそう思います」


「そのお皿をどうするのです?」


「相手の皿を割ります。割られた者は、その時点で敗北となり、試合から離脱します」


「なるほど。では、最後までお皿を守った方が勝ちなのですね」


「はい」


 四人で同時に戦いながら、自分の皿を守り、相手の皿を狙う。


 一対一の勝負とは、随分と違った戦いになりそうだった。


「明日がますます楽しみになりました」


「……ほどほどになさってください」


「なぜです?」


「何となくです」


 緋乃の返事に、明羽は小さく笑った。



 ◇



 しばらく歩いたところで、明羽は池のほとりに人影を見つけた。


「あら」


 水面を眺めるように立っているのは、昨日、青龍の一行とともに白虎へ戻ってきた麗華(れいか)だった。


「麗華さん」


 明羽が声を掛けると、麗華が振り返った。


「あ、明羽!」


「ごきげんよう」


「うん。ごきげんよう!」


 緋乃も麗華へ一礼する。


「お一人ですか?」


「うん。ちょっとだけ抜けてきた」


「抜けてきた?」


「すぐ戻るから大丈夫だよ」


「そういう問題なのでしょうか」


「大丈夫、大丈夫」


 麗華は気にした様子もなく笑っている。


「明羽はどこか行くところだったの?」


「書物庫へ向かうところです」


「書物庫?」


「はい。絵巻物を読みに」


「へえ。明羽って絵巻物が好きなんだ?」


「はい。とても」


「どのくらい?」


「一日中読んでいても飽きません」


「そんなに!?」


 麗華が目を丸くした。


「そんなに、です」


「へえ……。明羽って意外と変わってるんだね」


「麗華さんに言われるとは思いませんでした」


「どういう意味!?」


「そのままの意味です」


「明羽、昨日より遠慮なくなってない?」


「気のせいではございませんか?」


「絶対違う!」


 麗華の声に、明羽は小さく笑った。


「それで麗華さんは、こちらで何を?」


「んー……」


 麗華は池へ顔を戻した。


「ちょっと考え事」


「何かございましたか?」


「今日の夜さ、神楽をやらないといけないんだ」


「神楽を?」


「うん」


 明羽は目を瞬いた。


「麗華さんが舞われるのですか?」


「そう」


「まあ」


「何、その反応」


「少し驚きました」


「ボクが神楽やるの、そんなに変?」


「変というわけではございませんが……」


 明羽は昨日の麗華を思い出した。


 青龍の一行から一人だけ馬を走らせてきて、正門前で大きな声を上げていた。


「何?」


「いえ」


「今、絶対何か考えたでしょ」


「何も」


「怪しいなあ」


 麗華がじっと見てくる。


 明羽は微笑んで話を戻した。


「ですが、なぜ麗華さんが?」


「神楽をやるのは、別にボクじゃなくてもいいんだよ。分家の女でもできるし」


「そうなのですか?」


「うん。でも今はボクがいるから。本家の女がいるのに分家へ任せるわけにはいかないんだって」


「なるほど」


「青龍から帰ってきたばっかりなのにさ。父上は人づかいが荒すぎるよ」


「ふふ。お疲れなのですね」


「ほんとだよ」


「神楽はお嫌いなのですか?」


「嫌いじゃないよ。やるならちゃんとやるし。ただ、今日はゆっくりできると思ってたから」


「そういうことでしたか」


「それに、みんな見に来るんでしょ?」


「私も拝見できるのですか?」


「たぶん。他国の人たちも来るって聞いてる」


 それを聞いた明羽の顔が明るくなる。


「楽しみです」


「えっ」


「麗華さんの神楽、楽しみにしております」


「ちょっと待って。急に嫌になってきた」


「なぜです?」


「明羽がそんなに楽しみにするから!」


「では、楽しみにしない方がよろしいですか?」


「それはそれで嫌だけど」


「難しいですね」


「明羽、たまに変なこと言うよね」


「そうでしょうか?」


「うん」


 麗華は迷いなく頷いた。


 明羽には心当たりがなかった。


「では、応援しております」


「神楽って応援されるものなのかな……」


「いけませんか?」


「いけなくはないけど」


 麗華は少し困ったような顔をしたあと、笑った。


「まあ、見ててよ。やるからにはちゃんとやるから」


「はい。楽しみにしております」


「だから、それ言われると緊張するんだって!」


 麗華の声が池のほとりに響いた。



 ◇



 そして、その日の夜。


 白虎皇城の演舞の間には、四国の要人たちが集まっていた。


 正面には神前があり、その手前には今夜の神楽のための舞台が設えられている。


 明羽も席に着き、始まるのを待っていた。


「いよいよですね」


「はい」


「昼間は緊張すると仰っていましたが、大丈夫でしょうか」


「麗華様でしたら、問題ないのではないでしょうか」


「そうですね」


「ただ、昼間は殿下が随分と楽しみにしておられましたから」


「それが何か?」


「麗華様が緊張するお気持ちも分かります」


「私は応援しただけですよ?」


「それが原因かと」


「ひどいですね」


 明羽が小声で抗議したところで、それまで聞こえていた話し声が静まっていった。


 明羽も正面を見る。


 やがて、麗華が姿を現した。


「…………」


 白銀色の髪を下ろし、神楽の装束に身を包んだ麗華が、鈴を手に静かに歩いてくる。


 昼間の快活さはすっかり影を潜めていた。穏やかな表情にも、一歩ずつ進む足取りにも、いつもの麗華とは違う静謐さが宿っている。


 明羽は思わず、その姿に見入った。


 麗華は舞台へ進み、神前へ深く一礼した。


 ほどなく、楽の音が静かに響き始める。


 麗華は鈴を持つ手をゆっくりと上げる。広がった袖が柔らかく揺れ、それに合わせるように白銀色の髪もさらりと流れる。


 ちりん――。


 澄んだ鈴の音が、演舞の間を渡っていく。


 一歩、また一歩と足を運び、麗華はゆるやかに身体の向きを変える。そのたびに袖が美しい弧を描き、次の所作へと途切れることなく繋がっていく。


 昼間、池のほとりで父への不満を口にしていた少女とは、まるで別人のようだ。


 白銀色の髪が舞に合わせて揺れ、袖が静かに翻る。鈴の音が楽へ重なり、その一つ一つの所作が、神に捧げる祈りのように見える。


 緩やかな舞でありながら、その所作には一分の迷いもない。


 観客も息を潜めるように、麗華の舞を見つめている。


 明羽も目を離すことができない。


 一つの所作から、次の所作へ。


 その流れを追っているうちに、明羽はふと絵巻物を思い出す。


 絵巻物も、一つの絵から次の絵へと目を移しながら物語を追っていく。


 けれど、今目の前にいる麗華は、自ら舞いながら、物語の続きを見せてくれている。


 まるで、絵巻物の中に描かれていた人物が、そのまま神前に現れたようだった。


 ――美しい。


 そう思っても、明羽はそれを言葉にすることすら忘れている。


 やがて、舞が終わりへ近づく。


 麗華はゆるやかに最後の所作へ移り、鈴を鳴らす。


 ちりん、と澄んだ音が余韻を残す。


 わずかに遅れて楽の音も止まり、演舞の間を深い静けさが包む。


 麗華は神前へ深く頭を下げる。


 誰も、すぐには声を発さない。


 明羽もしばらく、その姿を見つめている。


『やるからにはちゃんとやるから』


 昼間の言葉通りだった。


 やがて麗華が顔を上げる。


 舞はすでに終わっている。それでも、明羽の目には先ほどまでの麗華の姿が残ったままだった。


 絵巻物を読み終えても、すぐには巻き納めたくない時がある。


 今は、あの時とよく似ていた。

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