凱旋と、熱い頬
金獅子討伐軍の勝利が帝都・銀嶺府へ伝えられてから、数日が経った。
その日の帝都は、朝から大勢の人で溢れていた。
皇城へ続く大路の両脇には白虎の旗が掲げられ、店先はもちろん、建物の窓からも人々が顔を覗かせている。
金獅子との戦いを終えた討伐軍が、今日ようやく帝都へ帰還するのだ。
明羽も緋乃とともに、皇城近くから大路を眺めていた。
二人の白虎の女官と、街中での護衛を任された四人の兵も傍らに控えている。
「すごい人ですね」
「金獅子との戦が終わったのですから、皆、帰還を待ち望んでいたのでしょう」
「そうですね」
明羽は大路を埋める人々へ目を向けた。
数日前、勝報が届いた瞬間にも、銀嶺府は大きな歓声に包まれた。
今日は、それ以上だった。
「来たぞ!」
誰かが叫ぶ。
「討伐軍だ!」
大路の向こうから、低い地響きのような音が聞こえてきた。
馬蹄の音。
それに重なる、何百、何千という兵の足音。
やがて白虎の旗を掲げた騎兵たちが姿を現し、その後ろから鎧姿の兵が長い列を作って進んでくる。
「皇太子殿下だ!」
「景虎殿下!」
ひときわ大きな歓声が上がった。
明羽も軍列の先頭へ目を向ける。
そこにいた。
黒い軍馬に跨る、白虎皇太子・白牙景虎。
出陣の日と同じ黒い鎧を身につけ、その上から白い外套を羽織っている。
泥や埃で多少汚れてはいるものの、背筋を伸ばして馬を進める姿からは、戦を終えて戻ってきた総大将らしい迫力があった。
「景虎様……」
明羽が呟く。
その右腕には、白い布が巻かれていた。
「お怪我をされていますね」
「はい。ですが、あのご様子でしたら、動かせないほどではないかと」
「そうですか」
緋乃の答えを聞き、明羽はわずかに安堵した。
ちょうどそのとき、景虎の視線が大路の両脇をゆっくりと流れた。
歓声を上げる民衆。
並んで出迎える役人。
そして――。
その目が、明羽のいる場所で止まる。
「…………」
目が合った。
ほんの一瞬だった。
景虎は何も言わない。
ただ、わずかに顎を上げると、そのまま馬を進めていった。
「?」
明羽も軽く頭を下げ、その背を見送る。
景虎の後方には征吾の姿もあった。こちらには目立った怪我もなく、馬上から周囲の兵へ何か指示を出している。
帰還した兵たちへ、惜しみない歓声が送られる。
「お帰りなさい!」
「よくぞ金獅子を破ってくださった!」
「白虎万歳!」
兵たちの中にも、笑顔で手を振り返す者がいた。
だが、しばらく軍列を見ていた明羽は、ふと首を傾げる。
「思っていたより、兵の方が少ないような……」
「おそらく、半数ほどは金獅子の地に残っているのでしょう」
護衛の一人が答えた。
「金獅子の地に?」
「これから白虎が治める以上、現地に兵を置く必要がございます。治安も維持しなければなりません」
「なるほど」
勝って終わり、というわけではないらしい。
土地を支配下へ置けば、その後はそこで暮らす人々を治めなければならない。
明羽がそんなことを考えていると、軍列の後方が近づいてきた。
「……あれは?」
兵たちのさらに後ろを、何台もの荷車が続いている。
荷台には、白い布を掛けられた箱が並んでいた。
先ほどまでの歓声とは違う声が、民衆の中から聞こえ始める。
泣き声だった。
「緋乃……」
「戦死された方々の遺骨かと」
「…………」
帰ってきたのは、生きている者だけではなかった。
口元を押さえ、涙を流す女性。
深々と頭を下げる老人。
荷車を目で追ったまま動かない男。
誰の遺骨なのか、明羽には分からない。
それでも、一つ一つの箱に帰りを待っていた者がいたことだけは分かった。
勝利に沸く声と、帰らぬ者を悼む声。
その両方に迎えられながら、討伐軍は皇城へ入っていった。
◇
最後の軍列が通り過ぎても、大路に集まった人々はなかなか帰ろうとしなかった。
むしろ、多くの者が同じ方向へ歩き始めている。
「どちらへ行くのでしょう?」
「中央広場のようですね」
護衛兵の一人が答えた。
そのとき、近くを通り過ぎた男たちの話し声が聞こえてくる。
「ネメアイの首が晒されるぞ」
「本当か?」
「ああ。主要な将の首も並べるらしい」
明羽は足を止めた。
「ネメアイ……」
名前には聞き覚えがあった。
「金獅子の総大将ですね」
「おそらく」
緋乃が答える。
明羽は人々が向かう先を見た。
「私も行きます」
「よろしいのですか?」
「はい」
戦は終わったが、その金獅子を率いていた人物がどのような男だったのか、見ておきたいと思った。
一行は民衆の流れについて、銀嶺府の中央広場へ向かった。
すでに広場には大勢の人が集まり、その中央には木組みの台が設けられていた。
そして、その上に並べられたものを見た瞬間、明羽の足が止まる。
「…………」
いくつもの人の首だった。
それぞれの前には名を書いた札が置かれている。
中央に晒された首の前には、
――金獅子総大将、音目阿夷。
そう記されていた。
「あの方が……」
「ネメアイだ!」
民衆の中から声が飛ぶ。
「こいつが何度も辺境の街を荒らしたんだ!」
「ようやく死んだか!」
「これで安心して暮らせる!」
別の場所からも次々と声が上がる。
明羽は何も言わなかった。
ここにいる者の中には、金獅子の襲撃で家族を失った者もいるのだろう。
家を焼かれた者も、財を奪われた者もいるかもしれない。
事情も知らずに、その怒りを責めることはできない。
それでも、晒された首を長く見続けることはできなかった。
「行きましょう、緋乃」
「はい」
明羽は踵を返し、人々で溢れる広場をあとにした。
◇
その日の夜。
皇城では、金獅子討伐軍の帰還を祝う宴が開かれた。
広間には豪華な料理が並び、いくつもの酒壺が運び込まれている。
皇帝・白牙冥利をはじめ、妃たちや皇族、軍の将たちが席につき、その中には明羽の姿もあった。
宴が始まって間もなく、冥利が杯を掲げる。
「景虎! 征吾! そして此度の討伐に加わった者たちよ! よくやった! 予定通りの帰還であったな!」
「当たり前だ」
景虎が答える。
続いて征吾も静かに口を開いた。
「予定より長引かせるつもりはありませんでしたので」
征吾の言葉に、将たちから笑い声と労いの声が上がった。
何度も杯が交わされ、広間はすぐに賑やかになった。
総大将だった景虎のもとへは、特に多くの者が酒を持ってやって来る。
勧められるまま杯を空ける景虎を、明羽は少し離れた席から見ていた。
目に留まったのは、その右腕だった。
昼間にも見えた傷には、新しい包帯が巻かれている。
しばらくして景虎の周りから人が途切れたところで、明羽は席を立ち、彼のもとへ歩み寄った。
「景虎様」
「あ?」
景虎が顔を向ける。
「そのお怪我は、どなたに?」
「これか?」
景虎は自分の腕を見る。
「ネメアイだ」
「金獅子の総大将にですか?」
「ああ。あいつが最後に放った矢だ。避けきれなくてな」
「では、直接戦われたのですね」
「最後は俺がやった」
「…………」
昼間、広場で見た首が明羽の頭をよぎった。
あの男を殺したのが、目の前にいる景虎なのだ。
「何だ?」
「いえ……」
「かすり傷だ。大したことはねえ」
「それでも、お酒はほどほどになさってください」
「これくらい平気だ」
「そうおっしゃると思いました」
「じゃあ言うなよ」
「言っても聞いてくださらないことと、言わなくてよいことは別です」
「面倒くせえな」
そう言いながら、景虎はまた杯を口へ運ぶ。
「ですから、ほどほどにと申し上げているのです」
「分かった分かった」
「本当に分かっていらっしゃいます?」
「うるせえ」
まったく信用できない返事だった。
明羽が呆れていると、近くに座っていた老将が征吾へ声をかけた。
「これで、金獅子の支配していた地もすべて白虎のものとなりますな」
「ええ」
「現地には兵も十分残してある。しばらく混乱はあるでしょうが、いずれ統治も落ち着きましょう」
征吾は手にしていた杯を置いた。
「落ち着けば、ですが」
「何か懸念がおありで?」
「土地を手に入れただけでは終わりません」
明羽の視線も征吾へ向く。
「金獅子の兵はほぼ壊滅しました。しかし、そこに暮らす民は残っています」
「それは当然でしょう」
「その民が、いずれ新たな兵になる可能性もあります」
老将の表情が変わった。
征吾は淡々と続ける。
「今は白虎の統治に従ったとしても、その子供たちまで従う保証はありません。父や兄を討たれた者が、十年後、二十年後にどう考えるか」
「征吾」
景虎が低い声で名前を呼ぶ。
だが、征吾は止まらなかった。
「禍根を完全に断つのであれば、金獅子という集団そのものを残さない方が確実です」
周囲から話し声が消えた。
「老人であろうと、女子供であろうと、血が残れば再び集まる可能性はあります」
「征吾」
今度は景虎がはっきりと遮った。
「その話はやめろ」
「私は事実を申し上げているだけですが」
「民には手を出すなと言ったはずだ」
景虎の声は低かった。
酒に酔っていても、その言葉だけははっきりしている。
「ですから従いました」
征吾は平然と答える。
「ですが、私は今でも甘い判断だったと思っています」
「…………」
景虎が征吾を睨む。
征吾はそれ以上続けず、何事もなかったように杯を手に取った。
明羽も黙って二人を見ていた。
――向こうが死ぬ分には知ったことじゃねえ。
出陣前、景虎はそう言った。
敵兵の犠牲を気にかけることもなく、勝つためなら自軍の兵を前へ出すこともためらわない。
その考え方を、明羽は今でも好きではない。
けれど。
老人も、女性も、子供も関係なく殺せという征吾の考えには、景虎は迷わず反対した。
戦う者と、そこで暮らす民。
景虎の中では、その二つは同じではないらしい。
「…………」
また一つ、知らなかった景虎を見た気がした。
だからといって、彼の考え方に納得できたわけではない。
ただ――以前より少しだけ、単純には決められなくなった。
しばらくして、明羽は手にしていた果汁の杯を卓へ置いた。
「緋乃」
「はい」
「少し、外の空気を吸ってきてもよろしいでしょうか」
「もちろんでございます」
広間では今も酒が酌み交わされ、将たちの笑い声が絶えない。
明羽は席を立つと、緋乃を伴って広間をあとにした。
◇
扉が閉じると、先ほどまでの賑やかさが幾分遠のいた。
夜の皇城には涼しい風が流れている。
「少し冷えますね」
「羽織をお持ちいたしましょうか?」
「お願いします。私はここでもう少し風に当たっています」
「お一人で大丈夫でございますか?」
「皇城の中ですし、すぐに戻られるのでしょう?」
「はい。では、少々お待ちください」
「ありがとうございます」
緋乃は一礼すると、羽織を取りに広間の方へ戻っていった。
明羽は一人、回廊から夜の庭を眺める。
宴の席で聞いた征吾の言葉が、まだ頭に残っていた。
――老人であろうと、女子供であろうと。
そこまでして禍根を断つ。
明羽には、やはり理解できない。
「…………」
「おい」
背後から声がした。
聞き慣れた、少し乱暴な声。
「朱雀姫」
明羽が振り返る。
「景虎様」
そこには景虎が立っていた。
いつの間に宴を抜け出してきたのだろう。
普段より顔が赤く、目つきもどこかぼんやりとしている。
「随分とお飲みになりましたね」
「別に」
「そのお顔で言われても説得力がありません」
「うるさい」
返事だけはいつもの景虎だった。
だが、一歩こちらへ踏み出したところで、その身体がわずかに傾く。
「景虎様!」
明羽が咄嗟に手を伸ばした。
景虎は回廊の柱へ片手をつき、どうにか踏みとどまる。
「……何でもねえ」
「何でもない方は、今のようによろけません」
「床が悪い」
「皇城の床へ責任を押しつけないでください」
「うるせえな」
「やはり、お部屋へお戻りになった方がよろしいのでは?」
「平気だ」
「先ほども、そのお怪我を『平気』とおっしゃっていましたね」
「まだ気にしてんのか?」
「怪我をされているのですから、当然でしょう」
「…………」
景虎が黙った。
「どうかなさいました?」
「昼間」
「はい?」
「俺を見てただろ」
明羽は瞬きをした。
「凱旋のときですか?」
「ああ」
「それは……」
白い布の巻かれた腕が目に入ったのだ。
「お怪我をされていましたので」
「心配したのか」
「怪我をされていれば、心配くらいいたします」
「…………」
「景虎様?」
景虎が明羽をじっと見る。
「俺だからじゃないのか」
「え?」
何を言われたのか分からず、明羽は目を瞬いた。
「どういう意味ですか?」
「…………」
景虎は答えない。
酒のせいなのか、普段よりも視線が熱っぽい。
一歩。
景虎が近づいた。
「景虎様?」
さらに一歩。
明羽が怪訝そうに顔を上げる。
近い。
いつもなら言い合いをするときでさえ、これほど近づくことはない。
「酔っていらっしゃるのですよね?」
「…………」
「景虎様?」
景虎の手が伸び、明羽の肩へ触れた。
「っ……」
明羽の身体が強張る。
そのまま、景虎が顔を近づけた。
何をしようとしているのか。
さすがの明羽にも分かった。
「…………!」
頬が一気に熱くなる。
あと少し。
その唇が触れるより先に――。
ぱんっ。
乾いた音が、夜の回廊に響いた。
「…………」
景虎の顔が横を向く。
明羽の右手が宙に残っていた。
叩いた本人も、驚いたように自分の手を見る。
「……貴様」
景虎がゆっくりと顔を戻した。
「知りません!」
「は?」
明羽の顔は真っ赤だった。
怒っているのか、恥ずかしいのか、自分でも分からない。
「酔っているからといって、そのようなことをなさらないでください!」
「俺は――」
「聞きたくありません!」
「まだ何も言ってねえだろ!」
「知りません!」
「さっきからそればっかりだな!」
「景虎様など知りません!」
明羽は勢いよく背を向け、広間へと足早に去っていく。
「おい、朱雀姫!」
景虎の声が背後から飛んできた。
だが、明羽は振り返らなかった。
熱くなった頬だけが、いつまで経っても元に戻らなかった。
金獅子総大将、音目阿夷の名前の元ネタは『ネメアーの獅子』です。
また、名前にある『夷』の文字は、自分達の支配下にない者達(異民族など)を指す言葉です。
日本の歴史の中でも、蝦夷や征夷大将軍などの言葉があります。
本作のネメアイさんは、自らこの字を使った訳ではなく、白虎側が勝手に漢字に置き換えたものになります。




