02
翌日。
王宮の一角にあるフェデリカの部屋には、朝から慌ただしく人の出入りが繰り返されていた。部屋のあちこちに大きな木箱が積まれ、パレリオ侯爵家から派遣された使用人たちが手際よく荷を詰めていく。
「その陶磁器は割れやすいわ、慎重に扱って」
「ドレスの木箱は馬車を分けて。湿気が入らないように防水の布は二重に」
忙しなく動き回る使用人たちの中心で指示を飛ばすのは、幼い頃からフェデリカについている侍女の一人だ。昨日、フェデリカを気遣い、代わりに憤ってくれた侍女でもある。
着々と調度品を減らしていく部屋の様子を、フェデリカはテーブルに着いたままカップを傾けながら眺めていた。時折、一覧と現物のすり合わせに侍女が声をかけ、フェデリカがそれに答えると侍女はすぐに作業へと戻っていく。
「これはいったい何の真似だ!」
荷物の搬出のために開け放っていた扉から、ズカズカとアンドレアが入り込んでくる。その後から目を丸くしたモニカと側近たちも続く。
いくら扉が開いていたとはいえ、令嬢──それも侯爵家の娘へ与えられていた部屋だ。一応は婚約者であるアンドレアはともかく、許可もなく踏み込んできた側近たちに向ける侍女や使用人たちの視線は冷ややかなものだった。その視線に気付き、マナー違反を自覚して居心地悪くしながらも出て行こうとしないのは、彼らの主がいるからか。
モニカは調度品の美しさや、この部屋の主のために居心地よく整えられていた空間に感嘆の息をこぼしていた。
フェデリカが招かれざる客たちを迎えるために椅子を立つより先に、またアンドレアの声が響いた。
「俺の言葉を忘れたか、フェデリカ!」
「いいえ? 殿下」
改めて立ち上がり、フェデリカは軽く頭を下げると侍女を呼び寄せた。心得ていた侍女から数枚の書類を受け取り、サッと目を通してからアンドレアに差し出す。
「こちらは私がこの部屋をお借りしてからこれまでの十二年間、この部屋に持ち込んだ品々の一覧となります。そのいずれも我がパレリオ侯爵家が購入した私財です」
「白々しい! こんなものいくらでも捏造できるだろう!」
アンドレアは書類を受け取ることなく払い退ける。その際に響いた手を打つような乾いた音に、どこからとなく小さな悲鳴が上がった。
フェデリカはじん……と微かな痺れを帯びる手をそっと擦ると、薄く笑みを浮かべた。慌てて駆け寄り、手当てしようとする侍女に首を振って下がらせる。
「まぁ。我が家がそのような捏造を行うなど心外ですわ。ですが、お疑いになられるのでしたら財務局をお訪ねくださいませ。まあ訪ねたところで、私が王室費を使用したことはありませんので、そのような記録は見つからないでしょうが」
「っだが! 俺が贈ったドレスや装飾品があるだろう!」
「ええ。殿下から頂戴いたしましたので、支出は殿下のお名前となっているはずです」
そこで一度言葉を区切り、フェデリカは疑問を抱いたように首を傾げた。
「ああもしや、殿下からお贈りいただいたものを返せということでしょうか。確かに私が受け取ったものではありますが、元は殿下のものですものね。ちょうどよかったですわ」
「……ちょうどよかった、だと?」
「はい。殿下から頂いたドレスや装飾品はどれも贈り先を間違えられていらしたようで……。私には袖を通すこともできず困っておりましたの。装飾品も私には活かすことができないものばかりでしたし」
あちらに分けてあります、と。
フェデリカが示したのは部屋の隅に置かれたハンガーラックだった。いくつものドレスや帽子、靴などが次々と詰められていく中、そこだけがぽつんと取り残されたように華やいでいた。
つられて視線を動かした者たちが、なんとも言い難い様子で口ごもる。
そこにあるのは大人びた雰囲気を持つフェデリカには似合いそうにない、フリルとリボンがあしらわれた愛らしいドレスたちだった。ドレスに合わせた帽子や靴も少女趣味をしている。
それがアンドレアの好みを押し付けたものであるならば解釈のしようもあるが、そもそもサイズが合わないとなればどうしようもない。
怒りにか、屈辱にか。アンドレアの顔が朱に染まり、これでもかとフェデリカを睨みつけてくる。反論の言葉が出ない悔しさか、歯軋りの音さえ聞こえそうだった。
ただ事ではない空気に使用人たちも搬出の手を止めて様子を窺っていた、その時。
「おや、殿下。わざわざ娘の見送りにいらしてくださったのですか。側近の方々も、ご足労ありがとうございます」
落ち着いた穏やかな声が室内にあった緊迫感を和らげる。向けられる多数の視線にも動じることはなく微笑みを湛えたジュゼッペ・パレリオ侯爵──この国の宰相であり、フェデリカの父親である男の登場に、使用人を始めとしてパレリオ家の者たちが一斉に頭を下げる。
ジュゼッペはそれらに鷹揚に頷き、娘フェデリカに向かって軽く両腕を広げた。フェデリカは恥じらうような仕草を見せ、侍女に促されておずおずと父のもとへ歩み寄る。フェデリカが近寄ると、ジュゼッペはおかしそうに笑いながら娘の体をそっと抱き締めた。
「皆が見ております、お父様」
「久しぶりの父娘の再会だ。水を差すような無粋な者はいないさ」
胸元にあるフェデリカの頭を優しく撫で、ジュゼッペはその穏やかな声とは裏腹にそのアイスグレーの眼差しを険しくしてアンドレアたちを見た。今まさに口を開こうとしていたアンドレアが、悔しげに口を引き結ぶ。
その姿にジュゼッペは微かに唇を歪めると、興味を失くしたようにあっさりとフェデリカに視線を戻した。
「来客があったようだが引っ越しは順調に進んでいるようだね」
「お父様がメイソン書記官を派遣してくださったお陰です。改めてお礼をお伝えください」
「ああ伝えておこう」
柔らかに目を細め、ジュゼッペが名残惜しそうに抱擁を解く。フェデリカの侍女に視線を向けると、心得ている侍女は作業の手を止めていた使用人たちを動かし始める。
忙しなさが漂い始める傍らで、フェデリカとアンドレアたちの周囲はどこか緊張した空気に包まれていた。
互いに相手の出方を探るような沈黙の中、先に口を開いたのはジュゼッペだった。
「お見苦しいところをお見せしました、殿下」
「あ、あぁ……。かまわない」
「感謝いたします。……ところで、何やら神妙なご様子でしたが、もしや大切な話し合いの最中に割り込んでしまったでしょうか」
ジュゼッペは申し訳ない表情を浮かべているものの、アンドレアに向ける眼差しはどこか冷ややかなものだった。室内での会話だったといえ、その扉は大きく開け放たれている。会話は盗み聞こうとする以前に筒抜けとなっていただろう。
アンドレアは今更その事実に気付き、たじろいだが、それを誤魔化すように軽く咳払いした。
「先ほどフェデリカが、王室費には手を付けていないというからな。それを確かめていた」
「なるほど。だからブラウン伯爵家のご子息もいらっしゃるのですね」
アンドレアの側近の一人、ステファノ・ブラウンの父は財務局に勤めている。
視線が向くとは思っていなかったらしいステファノが顔を伏せるように軽く頭を下げるのを見て、ジュゼッペはアンドレアに視線を戻した。
「──その通りですよ、殿下」
「は?」
「フェデリカは私の娘です。不本意な形で王宮に召し上げられてしまったといえ、娘に関わる費用を親が出さないということはないでしょう」
そこまで恥知らずではありませんよ、と微笑むジュゼッペに、アンドレアの隣に立つモニカが体を強張らせる。彼女の生家は男爵家だ。アンドレアに乞われる形で王宮に来ているといえ、養育にかかわる費用やドレス代がどこから出ているか。気付いていなかったか、気にしてすらいなかったかもしれない。
周囲の視線からモニカを隠すようにアンドレアが動くが、ジュゼッペもフェデリカも少しの興味を向けることもなかった。
「不本意、だと? フェデリカが婚約者という身分を振りかざし、不当に居座り続けていたのだろう!」
アンドレアは声を荒げ、それが真実であるように強く叫ぶ。だがその瞬間、これまでジュゼッペが浮かべていた笑みがふっと消え、湖畔を映し込んだような瞳が凍てついたように温度を失くした。
「確かにかつてはそのような噂がまことしやかに囁かれていましたが、まさか殿下の耳にまで届いていたとは。どうやら殿下に面白おかしく吹聴した者がいるようですね」
「事実ではないというのか」
「ええ。殿下には知らされていなかったのでしょうか。フェデリカは殿下の婚約者に指名された後、王妃様直々に王族に連なる者の教育のためと、この部屋での生活を命じられたのですよ」
「なっ……」
動揺を隠しきれないアンドレアに、モニカやステファノたち側近が困惑の表情を見せる。「アンドレア様……?」と不安げにモニカが呼ぶ声にアンドレアが我に返るが、その顔には明らかな戸惑いがあった。
ジュゼッペはそれを眺めて小さく嘆息し、これまでのフェデリカへの待遇を思い、労わるようにその華奢な肩を撫でた。フェデリカは父を安心させるように微笑む。
何とも言い難い空気が漂い、使用人たちも気を遣って息を殺しながら作業を推し進める中で、不意にジュゼッペが何かに気付いたように扉の外に目を向けた。
つられた皆が視線を向けたところで、現れた人物に全員が揃って頭を下げる。
「これは何事です!」
慌てて駆けつけたように息を弾ませながら、甲高い声が鋭く響き渡る。開け放たれた扉から三度目に現れたのはこの国の王妃であるマヌエーラだった。
搬出されていく荷物と、最低限の荷物だけを残して荷造りされていく室内を見て、マヌエーラが体をふらつかせる。慌てて、追いかけてきていた彼女の侍女や近衛騎士たちが王妃を支える。
「これは……、これはどういうことなの、ジュゼッペ」
「母上……?」
マヌエーラが呼び慣れたようにジュゼッペの名前を口にする。そして真っ先に息子ではなく侯爵に縋ったことに、アンドレアが呆然と呟きを漏らす。公務の時も私的な場でさえも、マヌエーラがアンドレアの前でジュゼッペを名前で呼んだことはない。
だがそんな息子の声など聞こえていないように、マヌエーラは気を持ち直すとまっすぐにパレリオ侯爵親子のもとへと駆け寄った。
「これは王妃陛下、ご機嫌麗しゅう」
「ジュゼッペ、説明してちょうだい。フェデリカも。どうしてあなたの荷物が運び出されているの?」
挨拶も無視して、マヌエーラは二人に説明を求める。
アンドレアは目の前で見せつけられる、王妃たる母が一臣下にすぎない者に縋るように媚びを売る姿に少なくない衝撃を受けていた。マヌエーラが夫である国王に甘える姿は度々見てきたが、それとはまったく異なる。
両家が揃う時でさえも、マヌエーラは適切な距離感で彼らに接していた。
母の変わり様に愕然としているアンドレアを視界の端に収めて、フェデリカはジュゼッペに向かい小さく頷いて見せた。ジュゼッペも息をこぼし、肩を竦ませる。
「どうやら観客が集まり過ぎたようだ。──王妃陛下、ご覧のようにこの部屋は少々立て込んでおりまして……。お部屋の移動を提案いたしましてもよろしいでしょうか。そちらでご説明いたします」
「そう……そうね。ここでは落ち着かないものね。──お前たち! 今すぐ荷を元に戻しなさい!」
「ああ、彼らは我が家の者たちですのでどうぞお気になさらず。気にせず搬出を続けるように」
マヌエーラが飛ばした命令に、ジュゼッペがやんわりとだがはっきりと拒絶を見せる。そもそも王妃といえど、他家の使用人にまで自由に扱っていいわけではない。
使用人たちはジュゼッペの言葉に安堵の様子を滲ませながらも、さすがに王妃を前にして動き回ることはできずに息を殺して気配を断っていた。
「ジュゼッペ! どうして!?」
「殿下のご命令ですので」
悲鳴のような叫びにもジュゼッペは少しも動じることなく受け流す。
簡素なその言葉に、マヌエーラがアンドレアを睨みつける。憎しみが込められたようなその表情に、アンドレアは最早何も告げることはできなかった。
「ビル。陛下へ至急の面談の申し入れを。家族の大事だとね」
「はっ」
「ま、待ちなさいっ。どうして陛下に──」
ジュゼッペの命を受けた秘書官が部屋を出ようとするのを、マヌエーラが慌てて制止しようとする。しかし王妃付きの侍女が引き止める前に、ビルは素早く部屋を抜け出していた。
「申しましたでしょう、家族の大事と。陛下も当事者です」
天丼は二回まで…




