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愛のかたち、家族のかたち  作者: にのまえ


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01

 あたたかな春の空気に満たされた温室には、色とりどりの花が美しく咲き誇っていた。丹精に手入れされているとわかるその光景は見る者の目を奪い、心を弾ませるだろう。

 その中央では、テーブルを挟んで二人の女性が向かい合って座っていた。

 上座に座る女性──この国の王妃であり、この温室の主であるマヌエーラがカップに注がれたハーブティーに静かに口をつける。ほぅ、と息をこぼした後で、何かに憂いているように眉を寄せる。僅かに顔を傾けた拍子に、緩く波打つ栗色の髪が静かに肩を流れた。

 気遣わしげな気配を乗せた藍色の瞳に、フェデリカ・パレリオはそっと背筋を伸ばした。


「何か困ったことや、不便はないかしら?」

「……はい。格別の配慮をいただきありがとうございます」


 何度も繰り返し訊ねられるその言葉に、フェデリカは定型句となった言葉を返す。マヌエーラはしばらくの間フェデリカの様子を窺うように眺め、そして小さな溜息を吐いた。


「そう。それならいいのだけれど。……アンドレアとはどうかしら」

「ご多忙でいらっしゃる殿下を煩わせるわけにはまいりませんので」


 言葉の裏に隠されたものに、マヌエーラは困った様子で頬に手を添えた。

 第二王子アンドレアとパレリオ侯爵令嬢フェデリカの婚約が調ったのは二人がまだ幼い──五歳の誕生日を迎えた後のことだった。あまりに早い婚約にパレリオ侯爵家は反対し、せめて保留にするよう求めたが、王家がそれを聞き入れることはなかった。

 以来フェデリカは生家を離れ王宮で暮らすことになったのだが、アンドレアとの仲は決して良いものとは言えなかった。

 幼少の頃はまだマシだった。しかし成長し、アンドレアが政務に関わり始めると、ますます二人の仲は冷えきったものとなっていった。


「何も心配いらないわ。あの子にとってあなたは身近になりすぎてしまったのよ。だけど婚約者はあなたなの。胸を張りなさい」


 どこか浮ついて響くマヌエーラの言葉に、フェデリカは波立つことのない湖面のような瞳で静かに頭を下げた。


「お気遣いいただきありがとうございます、王妃陛下」

「王妃陛下だなんて他人行儀はやめてちょうだい。あなたはいずれ私の娘となるのだし、娘のように思っているのだから心配するのは当然のこと。それに私のことは母と、そう呼んで構わないのよ」

「……恐れ多いことです」


 頭を下げたままのフェデリカにマヌエーラは少しだけ不満げな顔を見せ、顔を上げさせる。そしてフェデリカを見つめながら柔らかな微笑みへと切り替える。


「焦る必要はないわね。それより、あなたの顔をもっと近くでよくみせてちょうだい」


 マヌエーラの求めに、フェデリカは席を立つとテーブルをまわってその傍らに立った。伸ばされたマヌエーラの手に合わせてフェデリカが軽く体を傾ける。

 頬を、ひやりとした指先が撫でていく。


 静かに凪いだ湖面を思わせるアイスグレーの涼やかな目元。

 柔らかな日差しを受けて透き通るようにきらめく淡い金色の髪。

 スッと筋の通った鼻梁がその端正な顔立ちに凛とした気品を添え、しかし発せられる声は柔らかな響きを帯びている。


 マヌエーラが満足するまでフェデリカは従順にそれを受け入れ、そっと目を閉じた。


「私は幸せだわ」


 うっとりとそう囁くマヌエーラに、フェデリカは長い睫毛を静かに震わせた。





「お嬢様」


 温室を出てしばらくした後。周囲に人の気配がないことを確かめた侍女が、潜めた声をフェデリカにかける。その気遣いを帯びた声にフェデリカは薄い笑みを返し、首を横に振った。侍女は心得た様子で背後にそっと控える。

 色とりどりに目を楽しませる温室の花々も、王宮でのみ供されるお茶の味も、何ひとつとしてフェデリカの心を揺らすことはない。

 込み上げてくる溜息を飲み込んで、庭園を横目にしながら王宮へと続く石畳の回廊を歩いている時だった。


「やだっ、アンドレア様ったら!」

「俺はそんなにおかしなことを言ったか? モニカ」


 周囲に響くように聞こえた男女の話し声に、フェデリカはぴたりと足を止める。しばらくと待たずに前方に見えた一団の姿に、壁に避けて道を開ける。

 先頭に立っていたのはフェデリカの婚約者であり、この国の第二王子であるアンドレアだ。王妃譲りの栗色の髪を短く刈り上げており、藍色の瞳は他者に迎合しない冷やかさが込められていた。だがその瞳は今、穏やかに和らいで傍らの少女を見つめている。数か月前に、アンドレアが地方視察の折りに連れ帰ってきた男爵令嬢だ。

 赤茶けた髪は遠目にも目立ち、屈託なく感情を見せてはころころと変化する表情はまるで市井で暮らす者のよう。

 人目もはばからず王宮内を腕を組んで歩く二人の後ろには、仕方がなさそうに肩を竦めながらも二人の様子を微笑ましく見守る側近たちの姿もあった。


「──っ、無礼な!」

「おやめなさい」


 短く息を飲み、怒気を孕んだ声を漏らす侍女を窘める。侍女が憤るのも当然だろう。フェデリカという婚約者がありながら、他の令嬢、それも男爵家の娘との付き合いを隠そうともしないのだから。

 だが所詮は王命で結ばれただけの婚約。フェデリカはアンドレアに恋慕も敬愛も抱いてはいない。関係を育む前に、アンドレアから一方的に拒絶されたのだ。それでいてなお慕うほど、フェデリカは愛に飢えてはいない。

 アンドレアに望むことなど何もない。


「……また母上のところか」


 頭を下げて一行を見送ろうとしていたフェデリカの前で、ふいに足が止まり声が降ってきた。フェデリカは頭を下げたまま、頷く。


「はい、殿下。自室へ戻る途中でございます」

「母上のお気に入りだからと我が物顔で王宮を歩くな。不快だ」

「……失礼いたしました」


 淡々と答えるフェデリカにアンドレアはつまらなく鼻を鳴らす。そしてフェデリカに顔を上げさせると、いいことを思いついたと言わんばかりの顔で提案する。


「そうだ。お前に伝えるべきことがあった」

「……なんでしょうか」

「モニカをお前の実家であるパレリオ家の養女とする。必要な手続きはそちらに任せるが、優先的に処理するよう伝えておこう。そうすれば面倒な貴族どもも黙るほかあるまい」


 アンドレアはフェデリカが受け入れ、従うことを信じて疑わない。

 家格を合わせるため、下位の者を上位の家に養子として迎えることは確かにある。だが手順も踏まずに一足飛びに男爵家から侯爵家へと招き入れるなど、痛くもない腹を探られる行為に等しい。


 確定事項となったようにアンドレアはモニカの腰を抱き、「これで気兼ねなくお前を迎えられる」と囁いている。モニカもまんざらではないのか、うっすらと頬を朱に染めてアンドレアを見返す。

 しかしすぐにモニカの表情はくもり、不安げにフェデリカに視線を移した。


 フェデリカはその視線に気付かない振りをして、アンドレアを見返した。


「恐れながら殿下。そのように重大な我が家の大事は、私の一存では決めかねます。父に直接お話しいただくか、一度持ち帰り改めて返事を──」

「俺を誰だと思っている!」


 ビリビリと空気を震わせるような怒号に、それを間近で浴びたモニカがびくりと体を竦ませる。それに気付いたアンドレアが慌ててモニカを慰めるが、その目はフェデリカを忌々しく睨みつけていた。

 フェデリカは目を逸らすこともなく、毅然と向き合う。


「存じているからこそ申しているのです。この国の第二王子とあろう方が道理を守らねば、いったい誰が道理を守るというのです」

「ならばお前はどうだ! 家臣の娘にすぎないお前が何故、王宮に部屋など持っている!? もう王族にでもなったつもりか!」

「あ、アンドレア様! 落ち着いてください。そんなに怒鳴ってはフェデリカ様も……!」


 ヒステリックに怒鳴り散らすアンドレアを、モニカが慌ててその腕に縋り制止する。その必死さにアンドレアは怒気を緩めていき、モニカもほっと安堵を滲ませるが、ただ一人。フェデリカだけは平静を繕った表情の下で、ぎゅっときつく手のひらを握り締めていた。

 モニカが割って入ってしまったことで、フェデリカは反論の機会を失ってしまった。それにモニカには名前を呼ぶ許可など与えていない。大方、下位貴族の奔放さゆえか、責めたところでアンドレアが自分が許可したとでも言い出すのだろうが。


「モニカはこうも思いやりに溢れているのに、お前ときたら……」


 アンドレアの見下す視線にも、フェデリカは身じろぎひとつ見せない。

 それを忌々しく眺めて、アンドレアは興が削がれたというように軽く手を振った。


「わかったわかった。この件に関しては俺から侯爵に伝えよう。──フェデリカからはすでに同意を得たともな」

「殿下──!」

「うるさい!」


 一喝し、アンドレアは立ち去ろうとした足をすぐに止める。


「ああそうだ。王宮にあるお前の部屋を明け渡せ」


 拒否は許さないという冷酷な眼差しに、フェデリカは小さく息を飲んだ。


「……あの部屋は王妃陛下がご用意くださったものです。私の一存で明け渡すわけには参りません。王妃陛下のご許可をいただかなければ」

「母上にも私からうまく伝えておく。それで問題ないだろう? ──いいか、三日だ。三日以内にお前の私物は全て運び出せ。ただし、国費で賄ったものは持ち出すことを禁じる。これは命令だ」


 煩わしげに顔を歪めて、アンドレアは有無を言わさぬ口調で言い放つ。その傍らでモニカが「それはさすがにお可哀想では……」とアンドレアの袖を引く。

 モニカを宥めるアンドレアを眺めながら、フェデリカは粛々と頭を下げた。


「──殿下のご命令とあれば」


 アンドレアは口元を僅かに歪め、鼻で笑う。そして見せつけるようにモニカの肩を抱き、側近たちを引き連れ去っていく。

 フェデリカは遠ざかる背中を半ばまで見送り、居室までの道を急いだ。

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