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終章 I will be here.



 カーンブリッジ大学医学部、空前の不祥事。


 郊外の孤児院を地獄に変えた、許されざる愚行。


 人道に反した魔術実験が招いた、凄惨なる事件。




 新聞、雑誌、週刊誌、テレビ番組などなど。

 各メディアは多様な煽り文句を掲げ、こぞって今回の事件を取り上げた。

 一応の区切りを迎えるまでに、多数の命が犠牲となった惨劇は、こうして衆目に晒されることになった。


 事件の真実と詳細は、スチュワート・パターソン逮捕から連日に渡って報道された。

 その非道な所業と残酷性から、首都ロンデニオンはもとより、近隣諸国の報道機関をも賑わせ、歓迎しかねる話題で人々はにわかに沸き立った。


 事態を重く見た関係各所は、民衆の声に押される形で拙速に収束を図った。

 異例の早さで裁判が行われ、しかしこれがまた、さらなる波乱を巻き起こした。


 犯人と犯人側の弁護団が、あろうことか『無罪』を主張したのである。


 女子供と老人ばかりを十数名殺めておきながら、これらをすべて『事故』と断じた。

 大学側と国立魔導院が金と権力に物を言わせてかき集めた弁護士の集団は、一連の原因を『魔法実験失敗による予想外の副作用と言える精神異常と錯乱がもたらした不幸な事故によるもの』と声高に謳い上げ、スチュワート・パターソンには殺人の罪も、また、正常な判断力、及び責任能力も無いと主張し、被害者側の───人狼四人の訴えを否定する方向で裁判に臨んできたのだ。


 これに対し、人狼氏族『ヴィシャス氏族クラン』と国際亜人連盟は怒り心頭に達した。


 国と種族の垣根を越えて、こちらもまた錚々(そうそう)たる顔ぶれの弁護団を結成。

 民衆と世界中の亜人の声を味方につけ、真っ向から対決する姿勢で受けて立った。


 第一審判決が出るまでにどれほどかかるか。

 また、何度審議を重ねれば双方が納得する結末となるのか。

 この一件は、昨今では類を見ないほど、もつれに縺れるだろう。

 これが、各メディアが出した共通の見解であった。


 なお、この裁判には、生き証人かつ一番の関係者でもあるメアリは関わっていない。

 彼女は人々の知らないところで、一部の権力者たちによって存在が隠匿されていた。

 これは国立魔導院、そして、人狼氏族の側からも、見えない力が働いた結果である。


 彼の者たちの真意が那辺にあるかは、神ならぬ人の身で知り得ることではなく。

 かくして事件の真なる幕引きは、期間未定で持ち越され続けているのだった。




 † † †




 3月27日 夜

 ゲイルニッジ教会 神官長私室




「国際亜人連盟の支持を得た人狼氏族ヴィシャスファミリーは、国際魔導連盟との全面対決も辞さない姿勢で裁判に臨んでおり、今後も厳しく罪と責任を追及していく方針を固めている……か」


 ヘルメスは深い嘆息とともに、読んでいたゲイルニッジタイムスの朝刊を、雑多な書類が散らばるデスクの上に放り出し、椅子の背もたれに身を預け、疲れたような表情で天井を仰いだ。


「この裁判は長引くな。決着がつくのは何年先になることか」


 ヘルメスの呟きには、隠しきれない徒労感と無念が込められていた。


「……神官長、これはもう本国に要請し、唯一神教も動くべきでは?」


「一つの手ではありますが……高位神官たちは静観を決め込むでしょうね。

 彼らはとかく魔法と亜人に対して腰が重い。いっそ無関心と言えるほどにね」


 静かな怒りを滲ませるイーリスの舌鋒に、アルバートは冷めた声音で応えを返した。

 応接用のソファに座り、畏まって背筋を正し、静かに瞑目している。


 そんな態度に大声で激昂しかけたイーリスは、しかし薄桃色の唇を閉ざした。

 振り向いて見下ろしたアルバートの顔には、不満や悲嘆の色が浮かんでいた。

 そこに諦念は見受けられず、この事態に対して些かならぬ怒りを抱いていることが読み取れたからであった。


「残念だが……セス君の言うとおりだろうな。神教も司法の畑には介入しにくい。

 まあ、それでも正式に要請はしてみよう。何もせんよりはいい」


 ヘルメスは銀縁眼鏡を外し、軽く目元を指で揉みながら、二人と同じく無念そうな声を絞り出し、のしかかる倦怠感を振り払うように背筋を正した。

 おもむろに引き出しから万年筆を取り出し、一枚の書類をしたため始める。


「ヘルメス神官長……」


 すらすらと走る万年筆は澱みなく文章を書き上げていく。

 迷いの無い筆の動きを見るに、予め文面が決まっていたことが窺える。

 どうやらヘルメスも最初からイーリスと同じことを考えていたのだろう。

 イーリスは言葉にせずとも己の意を酌んでいた老神官に、無言の拝礼をもって謝意を示した。


「いいさ。度し難きは人の業、などと投げ槍になったところで何の益も無い。

 歳を重ねると、人は苦きを飲み下すに慣れてしまい、やがて苦さも感じなくなる。

 これを罪と断じはせんが、業の苦さを忘れぬ努力は怠らぬようにせねばならん」


「……業の苦さを忘れた時、人は老いて愚者となるのだから……でしたね?」


「……いつかの愚痴は忘れてくれよ、セス君。相変わらず人が悪いな」


「失礼しました。もっとも、僕が人を語るのも不遜な話ですけどね」


 その身の半分が人外である男が人を語る。

 これを不遜と言うかどうかは、まさしく人によりけりであろう。


 二人が交わす会話を聞いて、イーリスがぴくりと反応する。

 言葉もなくアルバートに視線をやり、その顔をまじまじと見つめた。

 その視線は今までのように苛烈なものではなく、かといって親しげなものでもなく、どこか訝しげで、興味ありげな色を湛えていた。


「……僕の、親のことですか?」


「……ああ」


 イーリスは一瞬迷う素振りを見せたが、ややあって首を縦に振りつつ答えた。


「僕の母方の祖父の名は、吸血大公ヴラディミール・バートリー。

 曾祖母の名は『最も新しき始祖』エルゼビュート・バートリーです」


「……ッ!? その、二つの名は……!」


「はい。30年前の、『吸血大公・最後の事件』の負の遺産が、この僕というわけです」




 エルゼビュート・バートリー伯爵夫人。

 およそ400年前、失伝した邪教の呪法を解き明かし、それによって始祖吸血鬼となることに成功した、隣国の邪悪な天才魔術師の名である。


 最も新しき始祖。

 処女狩り婦人。

 串刺し夫人。

 鮮血の大淫婦。

 背徳の地母神。


 様々な通り名で呼ばれ、歴史の教科書にもその名を載せる、元人間の始祖吸血鬼。

 夫であるバートリー伯爵を喰い殺し、若い男子を次々と自らの眷属と成さしめ、討伐されたその日まで、日夜肉欲の宴に耽り、処女たちの生き血で湯浴みを愉しんだという。


 そんな中で産まれたのが、これまた有名な『吸血大公』の通り名を持つ『新祖吸血鬼』ヴラディミール・バートリーだ。


 時の唯一神教が武装神官の大部隊をもって臨んだ大討伐の中、彼女の子らの中で唯一逃げおおせた直系の『長男』であり、その後も長く人間社会の裏で暗躍し続けた。

 傲岸不遜な夜闇の民でありながら実に用心深く、また狡猾さも類を見ず、400年という長きに渡って人と各国の治安機関、及び唯一神教を煙に巻いてきた。


 その吸血大公がついに討伐されたのが、30年前のこの地における一大事件。

 世界的な大事件として報道された『吸血大公・最後の事件』である。




「表向きには、バートリーの血筋は根絶やしにしたということになっています。

 ですが実際は、ここに一人生き残っているんですよ。まぁ、4分の1ですけどね」


「では、貴様の母親は……」


「母がどういった経緯でこの世に生を受けたかは、僕も知りません。

 知っているのは、オークウッド家が母のことを世間に隠していたということ。

 父もそれを知った上で、オークウッド家の入り婿となったということ。

 そして、大公討伐において僕の両親は先陣を切り、武装神官隊との共同戦線の中、刺し違えて吸血大公をたおしたということだけです」


「そして私はその戦いを最後に引退、大神官を拝命し、セス君を引き取ったのだよ。

 唯一神教がハンターとして使うのはハーフの場合のみ。彼はクォーターなのでな。

 彼の父親の遺言だったのもあるが、色々無茶をやらかして、今に至るというわけだ」


 ペンを動かす手を止めず、ヘルメスがアルバートの言葉に続いた。

 声音は自然だったが、話の繋ぎ方とまとめ方には打ち切るような色があった。

 これは言外に「あまり聞いてやるな」というニュアンスを含んだものだろう。

 イーリスもそれに気付いたか、それ以上は踏み込まなかった。


「そのようなことが……ヘルメス神官長が、30年前の大討伐の生き残りとは聞き及んでいましたが……」


「……今に至る間にも、また色々ありましたけどね。

 なんにせよ、ヘルメス神官長には返しきれない大恩があります。

 自由を欲して魔術師の国家資格を取った後も、この教会の要請は受け続けているんですよ」


「この教会? では、貴様は『本国』の指示で動くのではないのか?

 役割はダンピールどもと同じと聞いたが、命令系統はどうなっている?」


「僕は国家によって身分を保証された魔術師であり、信仰は捨てずとも教徒ではありません。

 魔導管理法と国際法で守られた僕には、唯一神教が命令することはできないんです。

 たとえ『本国』の法王聖下であられても同様です。一人の魔術師という扱いです。

 僕はゲイルニッジ教会の『外部協力者』であり、契約社員のようなもの、ですね」


「しかし、貴様の屋敷は神教によって常に監視されているのだろう……?」


「ポーズですよ。神教の目の届く所でおとなしくしてますよ、っていう、ね。

 まぁ、唯一神教と国立魔導院の妥協点みたいなものと考えていただければ」


「付け加えると、あの屋敷にいる人外の使用人たちは皆、神教に狙われた過去がある。

 それを私とセス君が保護し、あそこに住まわせ、過激な連中から守っている。

 あそこなら、私の目が常に届く。これは警察にも話が通っていることでね」


 これは、元からあの屋敷に住んでいるアルバートと、別の経緯で身を寄せているアーネストを除き、オークウッド家の使用人たち共通の事情であった。

 拳法使いのホブゴブリン、はぐれ妖精犬のクー・シー、変り種の妖精シルキー、悪霊ジャック・オー・ランタン、彼らがあの屋敷に身を寄せている理由の一つなのだ。


 妖精と亜人の中間に分類されるホブゴブリン。

 妖精と幻獣の中間の存在であるクー・シー。

 妖精であり、人と変わらぬ姿の精霊であるシルキー。

 妖精であり、悪霊としての側面を持つジャック・オー・ランタン。


 彼らは一様に『二つの種族の狭間に生きる者』であり、主であるアルバートもそれは同じ。

 現代における人間社会のはみ出し者という偏見からは逃れられない故に、徒党を組んでいると言ってもいい。


「当家はヘルメス神官長のお力添えにより、罪無きあぶれ者たちの駆け込み寺としても機能しているんですよ」


「なるほど……だから神官長は彼女を保護したあと、貴様の屋敷に預けたのか」


 イーリスの言う彼女とは、無論メアリのことである。

 すると、ここでアルバートは困ったような表情を見せ、書類と向き合ったままの老神官に視線をやった。


「……そうだ。そのことです。ヘルメス神官長、どうしてくれるんです?」


 その言葉に、む? とイーリスも困惑を表情に浮かべる。

 次いでヘルメスに目をやれば、銀縁眼鏡の老神官は、なにやら悪戯が成功したような悪童の顔を見せており、そ知らぬ振りで無言の韜晦を決め込んでいた。


「まったくもう、メアリったら……あんなことを言い出すなんて……」




 † † †




 時をやや遡り、今朝方の話となる。

 アルバートは朝食の席にて、真剣な表情のメアリと向かい合って重い口を開いた。


「……住み込みの家事手伝いとして、雇ってほしい?」


「はい。この半月で、わたしでもお役に立てそうだと思いましたから」


 メアリは食卓から立ち上がり、その場にいる全員に向かって静かに告げた。

 この意外な申し出に、朝の紅茶を口に運ぶ手を止められたアルバートは、さてこれは困った、どうすべきか、といった具合に眉根を寄せた。


「……メアリ、貴女はまだ未成年だし、この家は色々複雑な事情を抱えてもいます。

 法律的な意味でも、世間的な意味でも、ゲイルニッジ教会の寄宿舎のお世話になった方が、ずっと将来のためになりますから……」


「お電話でヘルメス神官長に相談したら、アルバート様がいいと言うなら、法とか手続きなんかは任せなさい、って言ってもらえました」


「んな!? む、ぅ……」


 なんとか説得を試みたアルバートだったが、意外な名前が飛び出し、言葉に詰まる。

 唯一の泣き所と言ってもいいヘルメスの名を出されては、アルバートも二の句が継げず、すっかり困窮してしまった様子である。


「おやおや、手回しの良いことですな。

 私としましては、何も異存はございませんよ」


「だっはっは! 坊っちゃん、いいじゃありやせんか!

 今さら一人二人増えたところで、別に構いやせんでしょうに」


「ソウダゼ若旦那、ナンカ問題アンノカ?」


「───……」


「ワゥ?」


 周囲から飛ぶ賛同の声。実質アウェーに立たされたアルバートは腕組みして弱り切った。

 グレゴリーやオリビアは、この広い屋敷を管理・維持するための心強い援軍であるため言うに及ばず、アーネストとランタンとホリンも加わっては、とても首を横に振れるものではなかった。


「……何故です?」


 それでもアルバートが、なかなかがえんじられない理由は───


「何故、よりにもよって『ここ』なんです?

 僕が言うのもなんですが、ここは巷で『化け物屋敷』と蔑まれているんですよ?

 ごく普通の人外ハーフである貴女が身を寄せても、何も良いことは無いはずです」


 ───ひとえに、オークウッド家の特殊性に尽きる。


 アルバートの言葉に、使用人たちの口が一斉に閉じられる。

 普段は口にしない暗黙の了解を主があえて口にした真意は、全員が理解している。


 オークウッド家は『化け物屋敷』。正しい認識と言っていい。

 人外ハーフとはいえ、メアリは特に珍しくも無いウェアウルフ・ハーフである。

 唯一神教の庇護を受ければ、ごくごく普通の生活を送ることに差し支えない立場の彼女は、あえてこの魔窟とも言えるオークウッド家に居続けることの方が、様々な面で問題が多いのだ。


 街を歩けば、化け物もどきの使用人と後ろ指を指され、市井にていらぬ被害を被るだろう。

 これから神教学院の学徒となることが決まっているメアリには、この人外屋敷はマイナスイメージしかもたらさない存在に過ぎない。


 しかしてメアリはそういった諸々の問題も理解しているようだった。

 であれば、彼女の真意を問い質したくなるのは当然の流れである。


「これは、ヘルメス神官長にもお答えしたことなんですけど……」


 アルバートだけでなく、使用人たちからも視線を注がれる中、しかしメアリは動じることなく、一言一言噛み締めるようにして、緩やかに語り出した。


「わたし、まだウェアウルフが怖いです。憎しみも残ってます。

 みんなを……家族を手にかけたのは、あの魔術師のせいだってわかっていても。

 そして、わたしに流れるウェアウルフの血にすら、怖さと憎しみを感じてしまうんです」


 無理からぬ事であろう。これを責めるのは酷というものである。

 人狼たちを操っていた元凶がいたのだとわかっても、実際にメアリの命を脅かし、しかも大事な者たちを変わり果てた姿にしたのは、狂っていたとはいえ人狼たちなのだ。


 直接襲われた人狼たちには、強い負の感情が消し難く残ってしまっている。

 のみならず、無関係の人狼たちにすら、暗い思いを抱かずにはいられなくなった。

 恐怖と憎悪は理屈ではないのだ。ただの八つ当たりと簡単に斬って捨てられるものではない。


「だけど、それは間違ってるんだって、わかってもいます。

『個を見る目で種を見ている』んだって、わかってるんです。

 それじゃダメなんだって、偏見を捨てなきゃって、思うんです」


 しかしメアリは───




「だったら、わたしも『偏見の中に身を置けば』いい」




 ───思考をそこで停止させることはなかった。

 人の心の弱さが生み出す、蒙昧と逃避を良しとしなかった。


「『種を見る目で個に見られている』ここにいれば、わかると思うんです。

 そうしたらきっと、わたし自身の偏見も消えるんじゃないか、って」


 アルバートの口から「え……」と小さく声が漏れ、その両目が見開かれる。


「まだ、わたし自身ができないことですけど、だからこそって思います。

 個を見る目で種を、種を見る目で個を見ないように、なりたいんです」


 毅然として揺るがずといった態度で、まだ幼さの残る少女の風貌に決意を浮かべ、メアリはまっすぐにアルバートの目を見つめた。


「一時の偏見で心のゆとりを得ても、なんにも成長できないだろうから。

 たくさんの人から偏見を持たれる、この家に身を置きたいんです。

 ……これが、ここに住みたいっていう、わたしの本音です」


 その姿に、初めて出会ったときの怯え竦んだ様子は、もはやどこにも見られない。

 恐怖と寂しさに震えるだけだった仔犬の影は嘘の様に消えている。


 だが───


「僕が……怖くはないんですか?」


 ───アルバートはこれを聞いておかなければならない。

 いや、聞かずにはいられないと言った方が正しいか。


 吸血鬼。バンパイア。人類の天敵にして怨敵。

 亜人も含めた全ての人間社会において、あらゆる国と民族から危険視される存在。

 テロリストや伝染病のように、存在を全力で排除せんとされるモノなのだ。


「僕は、吸血鬼もどきですよ? いつか君に危害を加えるかもしれないとは考えないんですか?」


「正直に言えば、ちょっと怖いです。でも、満月の夜だけなんですよね?

 それに、ここに住む使用人の皆さんは、アルバート様と一緒にいるじゃないですか。

 他の方々にも同じ事を聞いたんでしょうけど、わたしの答えもきっと皆さんと同じですよ」


 だというのに、メアリの言葉に迷いは無かった。

 そして後半の指摘については言葉を詰まらせるアルバート。

 居並ぶ使用人たちは、それを見ながら小さく笑みを浮かべていた。


「ここの皆と僕とは立場も危険度も違いますし……」


「でも、わたしはここにいます」


「近隣住民からの風当たりも強いし、君自身も疎まれる事に……」


「ですけど、わたしはここに住みます」


「街も遠いし、交通手段も乏しいし、なのに厄介ごとや面倒ごとは多いし……」


「ですけれども、わたしはここがいいんです」


「……君はあまりに純粋すぎる。家族から疎まれ、三年も野山で暮らしたとは思えない」


 尚も思いとどまらせようと言葉を重ねるアルバートに対し、しかし一歩も引かず。

 意地を張る子供のように。矜持を曲げぬ老兵のように。


「その清廉な心とバイタリティは素晴らしいですが、もう少し警戒心を───」

  

「───三年も一人ぼっちだったから、人との触れ合いに飢えてるんです。

 警戒心が薄いのは、きっとわたしの頭が悪いからなので、仕方ないんですっ!」




 † † †




「……なんて一幕がありやしてねぇ」


「くははっ! いいじゃねえか。塞ぎ込むよりゃァよっぽどマシだ!」


 アーネストの話を聞いたその人物は、呵呵と嬉しそうに笑って見せた。

 伝法な空気を滲ませる、容貌魁偉な老人であった。

 顔に刻まれた皺と無数の傷痕は、笑顔になると、威圧感の代わりに不思議と愛嬌を感じさせるパーツに変わった。


 特注のブランドスーツに包まれた筋骨隆々の体は非凡の一語に尽きる。

 2メートル半に届こうかという超長身に、体重など300キロ近いであろう巨魁だった。


 肩幅はアーネストよりもはるかに広く、胸まわりなど、女が前から抱きついても背中に指先がかかるかどうかという分厚さである。

 三人がけのソファの真ん中に座っているので両脇には充分な余裕があるが、二人分のスペースを一人で埋めていた。


「違ぇねぇ。しかし可愛い顔してやたら頑固なところがありやす。ありゃ坊っちゃんも苦労しそうでさ」


「ぬかせ、頑固さならおめぇもいい勝負じゃねえかよ」


「はて、俺ぁもっと頑固な御仁を知ってますがね」


「けっ、耳が痛ぇや」


 巨老はソファをぎしりと軋ませてテーブルの上のカップを取ると、頑固そうな唇の間から大きく鋭い犬歯を覗かせて、中身をうまそうに飲んでみせた。

 ブランデーと紅茶の香りが卓上にふわりと広がり、落ち着いた空気と交じり合う。


「おめぇを無理やり引退させて、オレの不始末に巻き込んじまってんのは……申し訳ねえし、ありがたく思ってる」


「とんでもねぇ。光栄の至りですねぇ。獣人界にその人ありとうたわれるギルバート・ヴィシャスから、そんだけご信頼を頂いてるってことですぜ?」


「やめやがれ、くすぐってぇ」


 この人物こそ誰あろう、人狼氏族の長、ギルバート・ヴィシャスであった。


 国内に住むウェアウルフの取り纏めである、ギルバート・ヴィシャスが族長として君臨する、ヴィシャス・ファミリー。

 その氏族クランは、ロンデニオンブリッジを北に渡った先に、一つの街を形成している。


 人口は約3900人と小さな街だが、この国の人狼人口が約9000人であることから考えると、いち氏族としての規模を超越した大氏族である。

 ちなみにこの街は人外だけの街としては世界最大であり、街の外周各所にある入り口ゲートは国の役人が配置され、世界的に見ても代表的な亜人社会と言えた。


 その人狼市街の中心にたたずむ大豪邸に、族長ギルバート・ヴィシャスは住む。


 いわく、狼神の先祖返りで『変身』すれば並みのウェアウルフの倍近い体躯を誇る。

 いわく、ザ・ワールド・ウォーⅡにおいて、生身で戦車数車両を鉄屑に変えた。

 いわく、戦車の砲弾を生身で受け止め、投げ返して見せた。

 いわく、全身に74発の銀の弾丸を受けてなお戦い、自国の捕虜を救い出した。


 これらは嘘のような本当の話、何の誇張もない実話であり、世間一般では畏敬の念を込めて老ヴィシャスと呼ばれ、国民の英雄でもある彼の武勇伝は子供でも知っている。


 今年で308歳。

 ギュネス・ワールド・レコーズに記録されている、ウェアウルフの最長老である。


「んで……ウラが取れたんですかい?」


「ああ」


 ここで二人は笑顔をしまい、神妙な顔つきへと変わる。


「あの子を孤児院に捨てた、アンナって元助産師の婆さんが見つかった。

 産み落としてすぐにくたばっちまった母親の背中には、三色の薔薇と、蝶を象った刺青があったとよ」


「その絵は……」


「婆さんは写真も持ってた。こいつで親類縁者を探そうと思って撮ったらしいが、厄介事に巻き込まれんのを嫌ってやめたようだな」


 ギルバートは懐から一枚の写真を取り出すと、テーブルの上に置いた。

 その写真には、うつ伏せに寝かされた女の背中と、言葉どおりの刺青が写っている。


「……よく見つかったもんで。警察もまだ手を焼いてるってのに」


「警察にこそ見つけられねえさ。そういう手合いだ。

 もちろん表には出さねえ。あの婆さんは今後、南の国の農園で、ゆっくり余生を過ごしてもらうことになった」


「そうですかい……ひとまずは安心で?」


「いいや、一件落着さ。これでな。

 あの子……メアリのことも表に出すつもりはねえ。

 アルバートとヘルメスに任せつつ、オレは裏から見守るさ」


 ここでギルバートはソファの背もたれに身を預けた。

 疲れたような、安心したような、複雑な表情を浮かべてそっと瞑目すると、人狼氏族の長は搾り出すような声音で一言だけ呟いた。


「マリア……やっと見つかったってぇ思ったのにコレだ。

 あの馬鹿娘……ガキなんぞこさえてやがったとはな……」


 暫時、沈黙が室内を支配する。


 詳しい事情、事の発端などを、アーネストは聞かない。

 かける言葉など無いし、あってもかけるつもりが無い。

 これはそういう沈黙であり、そういう流儀の悼み方でもあった。


 アーネストは無言のまま、出された紅茶で口を潤す。

 そしてブランデーの香りと味を楽しんでから、この男には似合わない小声で聞く。


「……父親は?」


「昔オレがぶっ潰した、ルシアンマフィアの若いのだった。

 ついでに言えば、そうだと知らずにオレが半殺しにした」


「……まさか、助産師の婆さんのところに?」


「一緒にいたそうだ。もっとも半死半生で、だったらしいがな。

 だが……手当ては拒んで、子が産まれた直後に笑って死んだとよ。

 血液鑑定と魔術鑑定、両方の結果とも、実の父親で間違いねえんだとさ」


「そうですかい……どんな男だったんで?」


「その辺のオスとは一味違ったな……まぁ、なかなかの雄だった」


「ギルバート・ヴィシャスに『なかなかのオス』と言わせる人族たぁ……ちょいと会ってみたかったですねぇ」


「くたばったら会いに来な。そん時ゃオレが顔つなぎしてやらぁ」


「……族長オヤジ?」


 アーネストは眉をひそめた。


 お前が死ぬよりオレが死ぬ方が早い。

 そういう意味を込めた冗談であり、特におかしな答えでもない。

 なにしろ308歳という生きた骨董品である。

 老い先短い老人の諧謔としては定番と言ってもいい。


 しかし目の前に座る巨魁の台詞としては、耳を疑う言葉だった。


 アーネストの知る限り、ギルバート・ヴィシャスという男は、たとえ冗談であっても己の弱みを話の種にしたりはしない頑固さと、屈強な心身を誇る益荒男であったはずなのだ。


 まるで、ただの老人のような言葉。

 こんな弱音が口をついて出るということは、まさか───


「───アーネストよ」


 ギルバートが呼ぶ。

 アーネストが聞く。


「オレの孫『二人』を頼む」


「へい。この血に懸けて」


 全霊をもって応える。

 その時が、すぐそこに迫っているのならば。


「……おう。これでようやく、安心できらぁ」


 人狼族の頂点に立つ男が見せた顔は、安堵の笑み。

 その笑みは、まるで『その辺のオス』のようだった。




 † † †




 3月28日 正午

 メル・ベリー孤児院跡地




「これは……」


「ゲイルニッジ市が建立した慰霊碑です。

 この土地は市が購入し、管理する事に決まりました。

 午前中、ここで慰霊式が開かれていたんですよ」


 明けて翌日。

 メアリはアーネストとアルバートに連れられて、再び惨劇の地へ訪れ、黒い石碑の前に立ち尽くしていた。


「ヘルメス神官長やシスター・イーリスをはじめ、市長や市民団体、ヴィシャス・ファミリーの幹部たち、国際亜人連盟の方々、市警からもデビッドたちが出席しました。民放テレビ局も来ていたようですね」


「私たちは……出なくてよかったんでしょうか」


「ちょっと色々ありまして、貴女という生き残りのことは公表できないんです。

 ですからこうして、時間をずらして来ることにしました。

 本当は来ない方が無難ですが、それはあんまりだと思いましたから」


 焼けてしまった孤児院はすっかり片付けられ、炭カス一つ落ちていない。

 地面はいつの間にか石のタイルで敷き詰められ、周囲は花壇で囲まれている。


 黒光りする石碑には犠牲者の名前が彫りこまれていた。

 土と石を盛って一段高くした土台は広場となった土地の中央に位置し、まだ新しい、色とりどりの花束が添えられている。


 もはやただの公園であった。

 幼い頃の思い出にある物置も、子供用の遊具も、みな片付けられてしまっている。

 唯一残っているものといえば、庭に引いてあった水道だが、瀟洒な屋根の小さなガゼボ、西洋風東屋が建てられ、公共用として生まれ変わっていた。


 もっとも、街から離れた辺鄙な立地のうえ、親類縁者のいない死者を偲ぶ慰霊公園など、わざわざ訪う者などいるまいが。


「向こうは……」


「あちらは市が、人と亜人の共同墓地にすると決めました。

 ヴィシャス・ファミリーは今回の件を受け、流れ者や身寄りの無い人狼を、ここに葬るそうです」


 孤児院裏手の墓地もやはり整備され、より広いスペースが確保されている上に、ご丁寧にも駐車場が作られていた。

 もともとあった子供たちの墓はそのままだったが、綺麗に掃除され、周囲には今回の犠牲者を葬った墓がいくつか新しくできていた。


「……」


 メアリは呆けたような表情で漫ろ歩く。

 アルバートはお馴染みの日傘をさしながら、黙ってついていく。

 アーネストは二人から目を離さずに、しかし車の傍から動かず、一人静かに紫煙を燻らせている。


「わたしのお墓も……まだあるんだ」


 メアリが足を止めたのは、昔作られた自分の墓だった。

 Maryメアリと刻まれた、眠るべき者がまだ生きている墓に虚ろな視線を注ぎながら、小さく呟いた。


「ここはすっかり別の場所みたいになっちゃったのに、お墓だけはそのままなんて、なんかおかしいですね」


「メアリ……?」


「おっかしいなぁ……もっと悲しくなると思ったのに。

 なんかぽっかり……寂しいだけなんだもんなぁ」


 膝を折り、地面に埋まる形の墓碑に、メアリはそっと指で触れる。

 口の端をわずかに吊り上げるだけの、幽かな笑みを浮かべながら。


「……じゃ、みんな、また来るね。これからは、毎年お墓参りに来るから」


 暫くして、メアリは立ち上がった。表情はそのままに。

 エプロンドレスのスカートに付いた草の葉を手で払い、アルバートに振り返る。


「わざわざありがとうございました。もう大丈夫です」


「……もういいんですか?」


「はい。お忙しい中すいません。お世話になりっぱなしで。

 戻ったら、来月から通わせて頂く神教学院の準備、しなきゃですし」


「……」


「……アルバート様?」


 アルバートは返事をせず、メアリを見つめていた。

 瞳には微かな哀惜の色が浮かんでいる。

 メアリもまた、わけがわからず彼の瞳を見つめ返した。


「そういうこと、でしたか」


「え? そういう、って、何がですか?」


 メアリの横に立ち、自分の日傘に入れながら、地面に埋まった墓碑を見る。

 静謐な空気の中、アルバートは横に立つメアリに問いかけた。


「メアリ、このお墓は掃除されているだけで、場所は昔から移動していないんですね?」


「……? ええ、そうですけど」


「なら、たぶん大丈夫かな」


 いまいち要領を得ないアルバートに不振なものを覚え、メアリはつい彼の横顔を凝視してしまう。


「デビットにバレたら『残留情報魔術保護法』の違反で逮捕されちゃうんですが、まぁ、知ったこっちゃありません。僕は悪党魔術師ですからね」


「あの、えっと、アルバート様? 何を……」


「メアリ、もう一度しゃがんで、そして、僕と一緒に手を触れて」


「……は、はぁ……?」


 日傘が引っかからないように、まずメアリをしゃがませ、アルバートも続く。

 二本の腕が伸び、その指が墓碑に触れたところで。

 魔力を圧縮したアルバートの多重簡略言語が魔術詠唱を紡ぎ出し、そして───




「 Set up. Begin to read. 」




 ───『過去』が『今』に映し出される。




 ねえメアリ、帰ってこないの?───




「え……っ!?」




 ───メアリ、早く帰ってきて遊ぼうよ?


 ───あなたはどこかで生きているの?


 ───あの時、貴女はみんなを助けてくれたの?




「これ、は」




 ───おれは信じないぞ! こんなお墓にメアリはいないんだ!

 ───今もどっかで生きてて、こわがって隠れてるだけなんだ!


 ───メアリの椅子と机、わたしが取っちゃうよ!

 ───くつも、服も、だから、早く帰ってきてよ!




「……よし、大成功だ」


「っ! ア、アルバート様! 今のは!?」


 その声は、その姿は、確かにメアリの義弟たち、義妹たちだった。

 年長だったメアリが面倒を見て、時に遊んで、遊ばれていた、手のかかる、しかし大切で大好きだった家族たちの姿だった。


 瞼の裏に浮かぶ、などというレベルではない。

 脳裏に直接映像と音声を再生させたかのごとく。


「これは余程強い思念なんでしょうね。普通この魔術は、池や湖の水面など、主に液体に使う術なんですが、固形物でもここまで読み込めるとは、いや、驚きです」


「お、驚いたのはこっちです! 今の、今のはなんですか!? 魔法ですか!?」


「はい、魔法です。しかしこうなると、お墓じゃあまり良くないなぁ。

 悲しい場面ばかり見えてしまうかもしれませんね……メアリ、むこうの広場で、何か昔から残っているものはありませんでしたか?」


「あ、あります! 庭の水場、水道が! よくみんなで遊んだ……!」


「いいですね。行きましょう」


 一目散に駆けていくメアリに、アルバートは笑顔でついていく。

 そして二人は、新しく作られた瀟洒なガゼボで同じ魔術を発動させた。




 ───やーい! ソフィーの泣き虫ー!


 ───うわぁああああん! ドミニクのばかぁあああ!


 ───こらぁー! ドミニク! またソフィーをいじめたなー!


 ───うぇえええ……メアリぃー!


 ───げっ! メアリねえちゃん!




「あ、今のメアリですよね? いやぁ、小さいのにお姉ちゃんですねぇ」


「あ……これ、ドミニクがソフィーにホースで水を浴びせて泣かせた時の……!」




 ───メアリぃー! ねえ、メアリ!


 ───なぁに、どうしたのロレッタ?


 ───なんかね、お水が出ないの。ほら。


 ───やだ、水道が凍ってる!? イライザさんに教えなきゃ!




「ああ、ここらは冬じゃ寒いでしょうねぇ。

 時に、イライザさん? とは、孤児院での?」


「はい、子供たちのお義母さんです。

 そうそう、あの年の冬は特に冷え込みましたっけ」




 ───さ、踊りましょ! ルビルビ……あれ?


 ───違うよー、ほら、一、二、三、一、二、三。


 ───右手をちょっと……あれ? 左手をちょっと……あれれ?


 ───あははは! へったくそー! あはははは!




「あ、この童謡懐かしいなぁ。微笑ましいですねえ」


「アルバート様、ご存知なんですか? ちょっと意外です」


 浮かんでは消えていく在りし日の光景。

 まるで思い出のアルバムをめくるように。

 知らず、メアリの顔には柔らかで自然な笑みが浮かんでいた。

 もう二度と見ることも聞くことも出来ないはずの光景と声が、彼女の渇いた心を潤している。


 メアリは思い出していた。

 あの頃、自分は確かに、小さな幸せの中で暮らしていたのだという事を。


「あ、れ?」


 唐突に、メアリの目尻にじわりと熱いものが滲んだ。

 涙はたちまち大粒の雫となって、頬を流れていく。


「あれ? やだ、もう、止まんない……あれぇ?」


 笑顔の上を伝う感覚に、メアリは大きく戸惑った。


「ごめんなさい、こんな、急に……嬉し泣きなんて」


「いいえ、違います」


 メアリは驚き、思わずアルバートの顔を見た。

 アルバートの口から、ここまではっきりした否定の言葉が自分に向けられたのは初めてだったからだ。


「誤解していました。もっと早く気付くべきだった……

 僕は貴女を、とても強い子だな、などと思っていましたが、こんな勘違いをしていたとは……不覚です」


 確信めいたその言葉が、胸奥の何かを震わせた。


「貴女は心に『蓋』をしている。それはいけない。

 それでは心が壊れてしまう。ただでさえ貴女の心は傷だらけなのに」


 気付くまいと、知らん振りを決め込んでいたことを指摘されて。


「その涙は、悲しいから流れているんですよ、メアリ」


「そんな、違い───」


「───いいえ、違いません」


 先程と同じ、はっきりとした否定にメアリは思わず口を閉じる。


「貴女は己に、悲しむ事を禁じている。どうして?

 自分には悲しむ資格が無いと思っている。なぜ?」


 アルバートの問いには容赦が無かった。

 まるで受刑者に悔い改めるよう教え諭す、教誨師のように。


「メアリ、僕の『眼』を見て」


「───ぁ」


 アルバートの右目と左目に、金と赤、二つの光が淡く灯る。


「勝手に魔眼を使ったことが神教にバレたら審問会行き確定……

 それよりも、女性の心を覗くなど、紳士どころか痴漢暴漢の所業。

 罰とお叱りは、後で如何様にもどうぞ。ですが、これだけは教えて下さい」


 金の魔眼、右目の『呪縛』は最小限に。

 赤の魔眼、左目の『催眠』を局所的に。


「貴女が貴女に科している罰……悲しんではいけない理由とは、如何に?」


「だって……だってわたしは……わたしが……!」


 痩せた仔犬の鳴き声のような小声は、徐々に声量を増していく。


「わたしがあの時おうちにいればッ!!

 お山に隠れてなんかいなければッ!!

 みんなを助けられたかもしれなかったのにッ!!」


 三日間寝込んでいた時、無意識に閉じ込めた感情だった。


「わたしがさっさと帰っていれば、みんなを守るために戦えたかもしれない!!

 全員は無理でも、小さい子たちを逃がすことくらいはできたかもしれない!!」


 三週間の間、溜め込んでいた嘆きの奔流が、堤防を決壊させた。


「なのにわたしは隠れていた!! 一人だけ安全なところにいて、みんなを犠牲にして生き残ってしまった!! みんなが怖い思いをしている時に、臆病風に吹かれて隠れていたくせに、遠いどこかで一人で生きていく覚悟もなく、寂しいからって、少しでもみんなの近くにいたいって、目と鼻の先に隠れ棲んでいたくせにッ!!」


 三年間悲しみ続け、怯え続けた日々は、本人によって否定されていく。


「わたしにもっと勇気があれば!!

 わたしがずっと臆病なせいで!!

 だからみんなを見殺しにした!!」


 三人だけしか人のいない、もっと沢山の人がいた場所に響く哀惜の声。


「こんなわたしが悲しんでいいはずがない!!

 見殺しにしながら悼んでいいはずがない!!」


 懺悔は悲痛に空気を震わせ、昔の面影を失くした場所に拡散していく。


「本当はここに来る資格だって無いんだからッ!!

 みんなを死なせたのはッ! わたしなんだからッ!!」


 そして、間髪入れずに───


「もしも貴女があの場にいても、死体がひとつ増えていただけでしょう」


 ───その懺悔を、教誨師は否定する。


「あの夜は満月。人外の昂る時。加えて、その影響を最も強く受ける人狼が四体。

 そして貴女は人との混血。戦って勝ち目は無し。かてて加えて人質は複数の子供。

 どうにも出来ない。どうにか出来たはずがない。だから貴女に、罪など無い」


 滔々と、淀みなく、謳うように、少女の心に言葉が注がれる。

 壊れぬように、砕けぬように、陶芸品を仕上げるように。


「貴女は、悲しんでいいんです。

 貴女は、悲しむべきなんです」


「うぁ……ああ……」


「子羊よ。人と亜人の狭間に生きる、産まれながらの迷い子よ。

 今はただ泣きなさい。人より長い人生の中、心を壊してしまわぬように」


「うぁああ……ぁあああ……」


「悲しみなさい、おさな子よ。貴女はここにいていいのだから。

 悲しいのなら、泣きなさい。貴女はここで、愛する者を失ったのだから───」


「───うぁあああっ!! ぅああああああああっ……!!」


 幼い慟哭が響く。

 死者の眠りし聖なる地に、狼の遠吠えのように。

 風に晒されひび割れた、渇いた土のような心を、泪の雨で潤しながら。

 



 † † †




 4月2日 朝

 オークウッド邸




「本当に送迎はいいんですか? 街までは距離がありますよ?」


「そうだぜ嬢ちゃん。やっぱ俺が送ってってやるって」


「大丈夫ですってば。血の力の慣らしも兼ねてるんですから」


 オークウッド邸は正面玄関前。

 神教学校の制服に着替えたメアリは、住人一同の見送りを受けていた。

 今日は神教学校の亜人ハーフ専門課程の生徒としての、登校初日であった。


 制服のデザインは、唯一神教の女性用法衣、黒いカソックによく似ている。

 首から下げた十字架と、裾に並ぶ銀の飾りボタン。これらは魔除けの加護もある。

 シスター・イーリスが、昔着ていたものをメアリに譲ってくれたのだという。


「車に気をつけて下さいね。危ない場所にもお近づきになりませんように」


「───……」


「もう、グレゴリーさんもオリビアさんも、心配性なんだから。

 でも、ありがとうございます。ちゃんと気をつけますね」


 メアリは朗らかに微笑んで応える。

 その顔に影は無かった。

 泣いて泣いて泣きはらして、そうして得られた笑顔だった。


「ファ……アフ、毎朝コンナ早ェノカヨ……小娘モ大変ダナァ」


「クァ……ァゥ」


「ランタンくんもホリンも、無理しないで寝てていいよ。でも、見送りありがとね」


 生まれた日から親がおらず、義理の家族も失った少女が笑う。

 悲しみに泣き濡れる日々は終わりを告げ、新たな人生が始まるその日に。

 二つの世界の狭間に生まれた者が集う、この場所で。




「では、いってらっしゃい」


「いってきな!」


「いってらっしゃいませ」


「───……」


「イッテコイ!」


「ワゥ」




 新しい、しかし、少々変わった家族に見送られながら。

 少女は元気に、大きな声で応えを返す。




「はい! じゃ、いってきまーす!」




 黒の法衣にはやや不釣合いなスポーツシューズで。

 メアリ・メル・ベリーは、一歩目から駆け出していった。






 ───つらいことや、かなしいことがありました。


 ───でも、わたしはここにいます。いきています。


 ───わたしはここで、がんばっていこうとおもいます。






 † THE END †






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