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第11話 獣宴<銀夜閉幕>

 文量増えすぎた……2回に分けるべきだったかも。



 3月20日 夜

 オークウッド家 敷地内 正面広場




 ヘルメスの言葉に、大いなる主への祈りの言葉をもって応えたアルバートは、視線を前方のスチュワートに据えたまま、緩く両手を開き、構えるでもなく悠然と歩を進め始めた。

 かの魔術師が侍らせている人狼たちなど目に入らぬかのように。

 その様は、余裕と言うよりも、ある種の不気味さ妖しさのたぐいを見る者に感じさせた。


「グレゴリー、みんなを頼みますよ」


 歩みつつ、館の主は執事に告げた。

 忠臣たるホブゴブリンはいっそ優雅なほどの一礼をもって応じ、使用人たちを玄関の大扉の前まで下がらせる。


「畏まりました。皆、それにメアリ様とイーリス様も、こちらへ!」


「下ガンゾ小娘! 後ハ若旦那ニ任セリャイイ!!

 オラ陰険シスター! オ前モダ! コッチ来イ!!」


 ランタンの荒っぽい催促を半ば聞き流しながらも、無意識に足を動かして従うメアリとイーリス。

 この場にいて、しかし事情と詳細を知らないのはこの二人だけだった。


「変……身……? 許可?」


「ゲイルニッジ教会『固有兵力』だと……? 一体どういう……?」


 老神官が告げたのは、ひとつの命令とひとつの許可。

 しかしメアリは思い出す。たしかアルバートは『血が薄すぎて完全変身はおろか半獣人にもなれない』と言っていたのではなかったか、と。


 イーリスが知る情報もおおむね同じであった。

 アルバートは魔術師ではあるものの、そこまで飛びぬけた戦闘能力を持っている、といった話は聞いていない。

 むしろ『血』による『持病』と、学者や研究者に多い脆弱な肉体しか持たないと思っている。

 一応荒事の経験は少ないながらあるものの、ボディガードである人狼アーネストに守られなければ、ろくな戦力たりえないという認識は、ほぼ真実であるのだ。




「さて教授、こうして表に出てきて頂いて感謝しますよ。

 あなたが事件の首謀者であることは確信できていましたが、状況証拠ばかりで些か困っていたもので」


「貴様ァ……! なにヲぬけぬけとォ……!」


 およそ5メートルほどの距離を開けて立ち止まり、アルバートは語りかけた。

 アルバートの匂い立つような気品とは対照的に、スチュワートの方は、備えていたはずの賢者としての風格を、田夫野人の体にまで落とし込み、その醜悪さは侍らせている狂った人狼のそれをすら超えて獣じみている。


「あなたは以前から、近代魔法では不可能な、そう、古代魔法でしか実現できない『生物を使い魔とする秘法』を、近代魔法で実現可能にする研究をしていましたね。

 しかしそれはやがて行き詰まり、研究は暗礁に乗り上げる。

 それでも諦められなかった。というより、諦めるには遅すぎた……といったところですか?」


 アルバートは、そんな狂人じみた風貌をおよそ気にした様子も見せず、あくまで自然に話しかけている。

 そんな振る舞いが、より一層スチュワートの心を逆撫でする。


「最初に引っかかったのは、孤児院跡で受けた襲撃の時でした。

 僕が彼らを窒息させんと、水流操作で攻撃した際、不自然なほど覿面だった。

 人狼の足なら、絡みつく水塊を足で振りほどくことも可能だったはず。

 しかし、彼らはより苦しげに呻きながら、身動きすら鈍くさせて行動不能に陥った」


「……」


「その後、メアリの一言でピンときたんです。

 僕はそれをデビッド警部補に話し、ある調べものを頼んだところ、ビンゴ。

 教授、貴方は大学病院に保管されていたレイビーズ・ウィルス……狂犬病の病原菌を持ち出していた……そうですね?」




 狂犬病。


 毎年世界で数万人の死者を出している、ウイルス性の人獣共通感染症である。

 感染経路としては、犬、猫、狐、アライグマやコウモリなどに受けた咬傷だ。

 これによる唾液から体液への感染が主な原因となる。

 前段階として、風邪に似た症状のほか、感染の原因となった傷にかゆみや熱感が現れる。


 あらゆる哺乳類が感染するが、一部の亜人にはそれほど重篤患者が現れない。

 特に人狼にとっては、なんら脅威たりえない病と言っていい。

 さておき、この病は、やがて至る後期症状に、特徴的なものがあった。




「水を……極端に恐れるようになるんですよね、この病気は。

 いやあ、慌ててワクチンを接種しに行きましたよ」


 アルバートが気付いたのは、この類似症状が見られたことであった。

 これは恐水症状とも呼ばれ、液体の嚥下により嚥下筋が、痙攣を伴う強い痛みを感じるため、極端に水などを恐れるようになる症状として広く知られている。

 これは感覚器に刺激を与え痙攣等を起こすという症状であり、水だけではなく風や音にも同じ症状を引き起こす。


 他に、異常な興奮や精神錯乱、半麻痺などが現れ、この神経症状が出始めたのち、個体差にもよるが、二日から一週間程度で脳神経がやられ、全身麻痺、昏睡と症状が移り変わり、やがて呼吸困難によって死に至る。


「通常、人狼は狂犬病を発病しても、他の生物とは一線を画する抵抗力で、病状は軽い。

 しかし、そこの彼らはHIVに感染しており、その抵抗力が極めて弱まっており悪化。

 それに伴い、魔法抵抗力を大きく損なって、貴方の邪法の餌食となった」


 聞く者を知らず粛然とさせるような厳かな言葉は続く。

 思わず背筋を正させる幽玄としたその声音は、壇上にでも立てば、どんな暴徒やならず者でも耳を傾けるであろうほどに、ある種の神秘性すら秘めていた。


「貴方の論文、国立魔導院で読ませて頂きました。

 初期に、生物を使い魔とするのは近代魔術だけでは厳しいと結論を出していますね。

 そこで、研究を医学の分野から見つめ直すというアプローチを思いついている。

 そのために、医学にも手を出し、なんと医師免許まで取得するとは恐れ入ります」


「……黙れ」


「この方法なら『古代魔法』に届くと信じ、人生と財産のほとんどを費やした。

 当然そこに注ぎ込まれた私財と労力、そして時間は膨大なものだった。

 が……それでも届かないという確信が生まれ、人知れず絶望しつつあった」


「黙れト言っていル……」


「自分は魔導師という高みには届かない。いと高き先達の殿堂には昇れない。

 人生を懸けて歩んだ道が中途で途切れ、後に残るのは『無駄な研究』という烙印。

 魔術師と医師の二足の草鞋を履きながら、そのどちらにおいても一角ひとかどの人物となれるほどの非凡さと頭脳を持っていたために、挫折を経験したことが無く、その歳になって初めて敗北を味わった」


「聞こエんのか……! 黙れッ!! その……」


「ところが、思わぬ機会が訪れ……貴方の心に悪魔が囁いた。

 健康診断の再検査で、HIVに感染した4人もの人狼を前にして。

 貴方は『この方法なら届くかもしれない』という予感があった。

 それは倫理と人道に反した許されざる邪法でしたが──」




「──ソの口を閉ジろォッ!!

 ノーマンッ!! スティーブッ!! ジーンッ!! シャーロットぉッ!!」


「「「「 グォアアアッッッ!! 」」」」




 スチュワートの残り少ない忍耐力が許したのはそこまでであった。

 アルバートの言葉がどれほどの真実を言い当てたのかは定かでないが、どうやら少なからぬ正解を含んでいたようだ。


 茶番は終わりとばかり、隷下に置いた罪無き咎人の使い魔へ命令を下す。

 その牙と爪を振るう時を、今か今かと待っていた狂狼たちが殺到する。

 たかが5メートル強の距離など、文字通り一歩の踏み切りで到達できる。


 元々無に等しい間合いを真なる無に成さしめた人狼たちは──




「「グァオッ!?」」


「「ガァ……!?」」


「なんッ……!?」


「えっ……!?」


「な……ッ!?」




 ──何もない空間を裂いて戸惑い、そして驚愕した。

 それを間近に見たスチュワート、加えて、少し離れたメアリとイーリスの口からも同質の声が漏れる。




 そこには『なにも』無かった。

 ただ霧の様に煙る黒い『なにか』を残して。

 ぼやけた『なにか』があるだけで、そこには『なにも』無かった。




「……貴方は、道を踏み外した」




 しかしてその場に声だけが響いた。

 次いでその直後、殺到した人狼たちのすぐそばに、その『黒いなにか』が集まり出す。

 呼吸ひとつの間を置いて、集まったそれは人の形へ姿を変えた。


 たった今、消えたかに見えたアルバートの姿へと。


「グルオァッッ!!」


 気付いた人狼のうち一人がすぐ近くに佇むアルバートへ爪を振るう。

 やや遅れてもう一人が牙を、残る二人も同じようにして。

 野生と神性を畜生以下に堕とされたままに。


 だが───


「失敬」


 ───アルバートは受け止めた。こともなげに。


 ───優男の細腕が、丸太のような人狼の腕を掴み。

 ───逆に引っ張りひねり上げ、膝をつかせ。

 ───膝蹴りで大顎をかち上げのけぞらせ。

 ───浮かせた踵で蹴り落とし、首と肩を踏みつけて。


 大人が子供をあやすように容易く。

 虎が子猫の戯れるままにするが如く。

 4人のうち3人までが瞬く間に、成す術も無く拘束された。


「グゥ……ルルル……!」


 拘束されずに済んだ一人は、唸りながら少しずつ後退する。

 両手が塞がり移動もままならぬ、獲物に等しき小さな男を前に。

 邪法と狂気が忘れさせたはずの本能と野生が、真の危機を前に警戒心を呼び覚ましたか。




 不可解。その一語に尽きた。


 魔術による単純な筋力強化ではない。

 例え筋力で上回ろうと、体重60キロ弱の人間が、200キロ近い体重の巨体を複数押さえつけるなど、物理法則上ありえない。


(これハ……何だ!? こレは……今起きている、この現象は……ッ!!)


 狂気に染まったといえども、魔術師の脳はこの現象を理解する。


 物体構成変質。

 分子配列変換。

 魔力浸透完全化。

 対象選別再構成。

 加えて──質量操作。


 いずれも『古代魔法』の領域にある奇跡であった。

 しかし魔法を行使した様子も、それに伴うはずの詠唱も無い。

 しかも、これほど瞬時に効果を及ぼすことは、圧縮言語による高速詠唱をもってしても──事実上『不可能』なのだ。


 目の前の『魔術師』は『魔導師』にも成し得ぬ奇跡を行使している。

 そう認めざるを得なかった。




「何が……何ガ、どう、なっていル……!?

 貴様ッ……! 何ヲどうシて、ドうさせて……」


 スチュワートがふと振り返れば、半人狼の少女も、武装神官の女も、理解を超えた光景に唖然とするばかりに見える。

 翻って、人外の使用人たちは落ち着き払っていた。

 まるで当然のことだとでも言わんばかりに。


「後ろを気にしていて……よろしいのですかな?」


「ソウダゼ人間……『影ニ食ワレ』チマッテモ知ラネエゾ?」


「……何ィ?」


 執事と悪霊が唐突に投げかけた言葉は意味不明にしてやはり不可解。

 が、その直後、スチュワートはその意味を肉眼をもって認識した。

 ソレは、認識はできても理解はできない『なにか』ではあったが。


「さて『おまえたち』……ちょっと彼らを頼むよ」


「……ッ!?」


 影が伸びた。伸びて伸びる。

 闇を淡く照らす月光が、地に産んだ影が。

 満月フルムーンを背にしたアルバートの足元から、別個の生物の如く『影』が伸びた。

 それは伸びゆく中途で四つに枝分かれし、人狼たちの影と重なり合う。


 そして、その中から──




『GRLLLLLWOOHHW……』




 ──怪奇にして奇怪な、墨のように黒く淀んだ『イヌの顎』が現れた。


 影から産まれた『イヌの顎』のような何か。それが四つ。

 ソレに手足は無く、目も鼻も無く、影すらも無い。


 ただの『イヌの顎に似た黒いナニか』は、大口を開けた。


 途端に目に入る赤色。

 薄桃色の壁。

 赤紫の壁。

 青白い壁。

 肉やはらわたや傷口を思わせる、生々しい赤色。


 中には何かが蠢いていた。別個の生物のような何かが。

 怖気と吐き気を催させる、醜悪な蛭か芋虫のような何かが。

 小さく震えながら伸縮する、表面がざらっとした湿った何か、つまりは『舌』が。


 そして伸びる。舌が伸び『顎』も伸びる。びくびくと蠢きながら。

 伸びるに従い、ずらりと並んだイヌの歯が『無』から産まれて増えていく。

 人はおろか、人狼の巨体をも凌駕するほど、大きく大きく膨れ上がっていく。


「ギャアアアァッッッ!?」


「ギャヒィイイイッッッ!?」


 ソレは噛んだ。うまそうに。丸呑みにするように。

 ぱくりと噛んで閉じ込め、封じ込めた。その大口に。

 囚われて恐怖に震え絶叫する人狼四人など、露ほども気にせず。


「つッ……!? 使い魔ッッッ!? 生物のッ!?」


「使い魔? いいえ、この子達は『僕が産まれた時から僕の一部』ですが?

 まぁ、似たような何かですけど……使役できるのは『満月の夜』だけですし」


「まっ……『満月の夜』……だけ、だと!?」


「はい。僕の『血の4分の1』は、普段は『弱点』しか表面化しません。

 ですが、満月の光を浴びた時だけ『本物』に並ぶほどになります。

 本来であれば、これほど血が薄い場合、こうはならない、のですが……」


 地面に引き倒され、影の中で呻き悶える人狼たちに害は無いようだった。

 とはいえ、生きながら食われるが如き拘束に苛まれ、半狂乱になっている。

 そんな彼らに目もくれず、アルバートはただスチュワートだけを視界に捉えていた。


「ですがもう一方、こちらではない『血の4分の1』はウェアウルフでして。

 ウェアウルフは数多の亜人種の中で『月光の影響を最も大きく受ける』種族。

 恐らくその影響で『こちらの血』も相乗効果を発揮し、活性化しているんでしょうね」


「──き……さマ、は……ッ」


 スチュワートは眼前に佇む優男を異界の魔物ではと錯覚し始めた。

 危機にあっても、それが既知の危険ならば、恐怖を和らげる術はある。

 だが、理解を超えた正体不明の危機に直面した時、生物は真の恐怖を知る。


 手足は知らず震えだし、膝は笑い、歯の根は合わず。

 全身の血管が収縮し、血流は滞り、排泄を司る神経が制御できず。




 外法に身を染めた魔術師は脳髄を懸命に働かせる。

 自らの誕生まで遡る勢いで記憶を検索し対処を探る。




「 ── ETH SH STC SJ FEP!! 」




 しかし答えは得られなかった。対処など見つからなかった。

 正常な判断力を失った頭脳が導き出したのは、魔の力を紡ぐことだけ。

 恐怖に駆られながら最後に縋ったのは、人生を費やして極めんとした魔道の知識だけであった。


 整然と敷き詰められた石畳が軋みをあげて浮かび上がる。

 さきほど放ったロックスプラッシュに倍する量の石が集結し、氷柱つららのような形状を取り始めた。

 無数の石が寄り集まって形成した氷柱は、スチュワートを主として付き従うように、彼の周囲を囲むようにして浮遊しながら、その先端を一斉にアルバートに向けた。


 その数10あまり。一つの大きさは約80センチと少し。

 ここまでくれば氷柱というより槍と呼んだ方が正しい。

 先端はまさしく槍のそれと同じ鋭さで尖り、人の体など苦も無く貫くであろうことは想像に難くない。


 スチュワートが行使できる攻撃系近代魔法。

 その中にあって最強を誇る『 RockJavelinロックジャベリン』の魔法である。


「いけないっ! ……ッ!? グレゴリーさん!? どうして!?」


「ご心配には及びません、メアリ様。大丈夫、大丈夫でございます」


 思わず飛び出しかけたメアリだったが、その機先を制して彼女の前に立ちはだかった忠臣たるホブゴブリンが、両手を広げて行かせぬ意を示し、首を横に振った。

 執事の表情は言葉の通り余裕を滲ませており、メアリも渋々従った。


 イーリスはと言えば、こちらは最初からアルバートの心配などしていない。

 むしろ、先程の不可解な回避方法がもう一度見られるであろうという思考から、アルバートの一挙手一投足を注視していた。


 いや、実を言えば、イーリスはつい今しがた、あれが何なのかに思い至っていた。


(次こそ、しかと見極める……今一度見せてみろ、畜生ハーフ……)


 武装神官は元より、人類にとっての仇敵と言える『ある種族』がこういう力を持つことを。

 太古の昔から、人と亜人を脅かし続ける、最凶最悪の人外にして夜闇の民の頂点に立つ種族を。

 彼女自身はまだ一度も対峙した事は無いが、知識としては知っていたのだ。


「死ねッ! ここデ死ねッ! 疾く死にさラせェエエエッ!!」


 未知の恐怖に駆られながら、スチュワートは絶叫した。

 それと同時、宙に浮かびながらゆらゆらと揺らめいていた10個あまりの石の投槍ジャベリンたちが、一瞬ピタリとその動きを止め、アルバートに向けて猛然と降り注いだ。


 アルバートの表情は変わらず余裕を張り付かせていた。

 射出された石槍の群れを、しかし見もせずに、その視線はスチュワートから離さない。

 ただその場に佇みながら、外法の魔術師を冷ややかに見つめ続ける。


 半瞬の後──




 どす。どすどす。ずぶぞぶり、ぐちゃり。




 ──アルバートは、当たり前のように串刺しとなった。


「なッッッ!?」


「……あ、アル、バー……ト、様っ!? いやぁあああっ!!」


 イーリスが驚愕と共に零した声と、メアリの悲鳴が重なった。


 手に、足に、胸に、腹に、そして脳天に。

 鋭い石の槍は容赦なく突き刺さり、貫通していた。

 こぽこぽと音を立てて流れ落ちる血液は、亀裂だらけになった白い石畳をたちまち真っ赤に染めていく。


 背骨はひしゃげ、手足はあらぬ方向に折れ曲がり、奇怪なポーズで固まりながら、指先や顎がぴくぴくと蠢いており、かろうじて死んでいないことが見て取れるが、ここまで破壊され尽くした人間が、あとどれほど生きていられよう。


 不気味なオブジェと化したアルバートは──




「 Interesting(面白い)…… 」




 ───さも愉快そうに、ワラっていた。


 ピンで縫い止められた昆虫の標本より凄惨な姿で。

 針鼠だの蜂の巣だのといった形容より無惨な姿で。




 † † †




 見よ。あれは人に非ず。


 すがたかたちを同じくしても、決して人とは相容れぬ。


 たとえ半ばは人だとしても、その魂は別なのだ。


 日の光には見捨てられ、ただ月だけが慈悲を示す。


 見よ。あれは人ではない。


 人ではなかろう何かであって、きっと我らの敵なのだ。




 † † †




「な……ひ、ぃいいッ!?」


 その光景を自ら作り出したスチュワートは、肝を潰してへたりこんだ。

 腰を抜かしたか、立つこともできず、失禁しながら顔面を恐怖で塗り潰していた。


「釘や剣で刺された事は何度もありますが、石で貫かれたことは初めてですねぇ……」


 言葉と共に、アルバートの体がゼリーのように崩れ落ちた。

 次いで、抜け落ちた石の投槍ジャベリンは力を失い、ごとんごとんと鈍い音を響かせて転がった。

 もはや動く事もなく、物言わぬ無機物であることを思い出したように。


「ひ……!」


 声にならない悲鳴をあげたのはメアリである。

 理解を超えた奇怪極まる事態を目にして、彼女もまた恐怖に身を凍らせていた。


「 集え…… 」


 異界と交わったかの如き空気の中、アルバートの声が空間に染み渡る。

 やがてゼリー状になった体は地面に広がった血液を吸収しながら無形の肉塊となった。

 その中から、まるで生えてくるかのように、アルバートの姿が現れる。


 あの凄惨な光景は幻だったかと錯覚するほどに、その姿は元のまま。

 貫かれた体も、その身にまとう地味なスーツも、首元まで締めたネクタイすら。

 何もかも、元のままに『復元』されていた。


「そうか……これが……化け物めッ……!」


「そうですねえ……化け物ですねえ……」


 イーリスが思わず漏らした言葉に、アルバートは暢気なほどの追従で返した。


「そう。化け物だ。いいや、化け物に等しい。

 だが、私の部下であり、私の教え子であり、私の義子だ。」


「ヘルメス神官長ッ!? 何を仰るのですか!? こいつは……これでは──」


 今までずっと無言だった銀縁眼鏡の老神官は、そこでようやく口を開いた。

 ヘルメスの言葉に驚きつつも、イーリスは赫怒かくどと鋭鋒を向けて己の上司に噛み付いた。




「──吸血鬼バンパイアではありませんか!!」




 吸血鬼。バンパイア。

 人間の血液と『命』を捕食する、国際法第1種有害種族。


 悪霊、怨霊、淫魔、夢魔。

 それら夜闇の民の頂点に君臨し、未知の力、邪悪な力を数多持つ不死の怪物。

 この世で最も忌み嫌われ、また、常命の者たちからの羨望を一身に受ける、人の姿をした、しかし人ならざる種族。


 バンパイアと目が合った者、あるいは『名前』を呼ばれた者は『心』を奪われ傀儡となる。

 人間や獣の血液を好み、血液を摂取──牙を突き立てられた生物は、人間、獣を問わず、知性を持たぬ生ける屍、屍食鬼グールと化す。


 血を吸われた対象が人間の場合、処女もしくは童貞ならば、意志を持つ新たな吸血鬼となる。

 その場合、血を吸ったバンパイアを『親』と呼び、従うようになる。

 まれに、数少ない『始祖吸血鬼』が、そういった『血族』と交配して『新祖』と呼ばれる新たなバンパイアを産む、あるいは産ませることもあるという。


 また、世界に数ある亜人・人外の中で、唯一『人権』を与えられていない亜人でもある。

 警察・軍隊を含む世界中の治安機関から、第1種有害種族【特類】と認定されている『絶対敵性種族』。


 世界の常識を無視した超能力は、それこそ数が知れない。


 生物無生物の括りを超越する『霧』への変身。

 急速催眠術、即死性光学暗示などと呼ばれる、魅了・奪魂の魔眼。

 細胞分裂の限界と生物学の常識を覆す、固体分裂、及び別種生物へのメタモルフォーゼ。

 肉体の損傷、欠損、そればかりか、臓器や脳髄などへの致命的損傷すらも瞬時に治癒してしまう『復元能力』とも言うべき不死性。


 そして、質量を無視するかのような、不可思議で、ありえない『怪力』。

 神霊術、銀の武器、白木の杭、サンザシの棘でしか傷が残らず、しかも、それらによって心臓を完全に破壊しなければ決して死なないという、人類の敵対存在。


 星の覇者『ドラゴン』が『第二次世界人竜大戦』における『核攻撃』で絶滅して以来、事実上、文字通りの『地上最強種』である。




「4分の1は、な。しかし、彼は人間だ」


「そうだとしてもッ! こやつは最早バンパイアそのものです!!」


「満月の夜だけは、だ。繰り返そう。

 彼は、ウェアウルフ・ハーフとバンパイア・ハーフの間に生まれた人外ハーフ。

 国際法での定義の通り50%人間、すなわち、社会においては『人間』なのだよ」


「しかし我らの教義においては!!」


「社会秩序は、世界の秩序は、神の教えのみによって在るわけではない」


「大神官たる貴方がそのような……! 背教者と見なされかねませんよ!?」


「この件は『本国』も認知している。

 彼はダンピールではないが、それに準ずる役割を与えられており、それを監督するのが私の役目だ」


「な……なんですって!?」


 ダンピールとはバンパイア・ハーフの別の呼び名であり、彼らは普通に死ぬと吸血鬼になる。

 しかし、普通に死ぬ前に吸血鬼と同じ殺し方をすると、死んでも吸血鬼にはならない。

 よって、ダンピールは見つかり次第殺されるか、唯一神教お抱えの吸血鬼ハンターになる。

 もちろん死ぬ時は、唯一神教教徒によって、バンパイアとして殺される。


 これもまた、国際法で定められた世界共通の法である。


「僕の祖父母は、男爵家としての力で母の事情を隠匿していましたがね。

 もっとも、それが発覚したせいで、当家は爵位を剥奪されたわけですが」


 他人事のように付け足したアルバートに、イーリスは敵を見る目をもって睨みつける。

 それでもアルバートは委細気にした様子は無く、視線をやろうともしない。


「……娘をそんな目で見られることが、わかっていたからでしょうね」


 しかしイーリスの視線はわかっているようで、そんな答えを返した。


「僕がこうして人権を認められ、家と立場と仮初の自由を持っていられるのは、そうした法の抜け道と、ヘルメス神官長の口利きと大変な苦労があってこそです。

 教団の神官たちには愛想が尽きましたが、義父への恩と信仰は失っていません。

 なればこそ、神と義父のために微力を尽くすことに、なんの躊躇いがありましょうや」


 世間では──世界では、ダンピールもまた蔑視の対象に他ならない。

 死した後に吸血鬼となることがわかっているからだ。

 約束された未来がダンピール個人の人間性を否定し、薄汚く汚らわしい、番犬以下の傀儡としてしか見られることはない。


「大恩あるヘルメス・リベラトーレに背くなかれ。

 数多の神官・神職を見限りはしても、信仰を失うなかれ。

 神官の長たる大ヘルメスを、己を虐げる隣人たちを憎み恨むなかれ。

 もって『種を見る目で個を見る』なかれ。『個を見る目で種を見る』なかれ」


 その言葉にはっとして目を見開いたのはメアリだった。

 先日、ヘルメスから去り際に聞いた言葉が、アルバートの口から出たために。


「これが僕の信念。僕は、この信念に殉じましょう」


 そう言い切ったアルバートは、一片の迷いも窺えない。

 これをメアリは虚心に聞き、また一心に見つめていたのだった。




 義理とはいえ、ともに育った家族を殺した人狼たちが憎いか?


 憎い。憎まずにいられない。


 直接手を下してはいないが、同じ種族である人狼が憎いか?


 憎いと思う。冷静にはなれない。


 転じて、自分に流れる、彼らと同族である血は憎いか?


 憎々しい。忌み嫌わずにいられない。


 ならば不幸を招いた原因たる、あの人間は憎いか?


 憎い! にくんで、うらんで、なお足りない!




 ──で、あらば。人間は憎いか?

 魔術師は憎いか? 医者は憎いか?

 人狼もその合いの子も、誰も彼もが憎いか?


 それは、否だ。




(そうだ。わたしはあの人狼たちを恨むんじゃない。

 あの魔術師を、あの人こそ憎むべきなんだ……!

 今すぐは難しいけど、そう思うべきなんだ……!)


 三年という長きに渡って深い寂寥に苛まれた幼き心では。

 かつて愛した者たちを、目の前で殺され傷ついた心では。

 簡単には、切り替えられないことではあるけれど。


(わたしが悩むことはない。この血を恐れる事もない。

 決して狂うなかれ、って、心を戒め律していけばいいんだ……!)


 メアリは迷いを晴らし、この答えに至った。

 もう人狼の血に思い悩むことはないだろう。


 優しそうで、寂しそうで、恐ろしくて、おぞましくて。

 色んなことの境界で生きている人が、心の置き方を教えてくれたのだから。




「さて、いい加減に終わらせましょうか。もう夜も更けていますから。

 ──オリビア、メアリが飲まなかった、アレを」


「───……」


 呼びかけられた妖精シルキーの召使いは、恭しく一礼した。

 暫時あって、開け放たれた玄関の奥から現れた何かが、アルバートのもとへ飛んでいく。


 それはメアリが飲むはずだった『魔獣の眠り酒』だった。

 満月に高揚することを善しとせず、自らを戒めんとする人狼が深く眠るための酒。

 月光を反射して輝くガラスのビンは、すっぽりとアルバートの手の平に納まった。


「さあ。お嬢さん方……悪い夢は、これでお終いですよ」


 レディーファーストを気取ってか、アルバートは今も影の大顎の中で悶える人狼のうち、女性と思しき二人の口に酒を注いだ。

 紳士の行為としては些か乱暴に過ぎるが、この場合は致し方あるまい。

 ややあって、二人の人狼は動きを止め、それと同時に『変身』が解けていく。


「グゥ……アァ……ぅ、ぅ……ん」


「グルル……ォ……ん、ふぁ……」


「おっといけない……オリビア、シーツか何かを頼むよ」


 人の姿に戻った女性二人は全裸であった。

 見れば片方は、まだ少女と言える年頃で、メアリとそれほど離れていない。

 恐らくこの二人が、デビッドの話に出てきた内の二人、ジーン・リットン21歳と、シャーロット・ミルトン16歳であろう。


「アーネスト、お嬢さん方をお願いします」


「へい坊っちゃん、お任せを」


 先程のように、玄関の奥から白く大きなシーツが一枚飛来した。

 全裸の乙女二人を手早くシーツにくるむと、アルバートはヘルメスの傍に控えていた己のボディガードを呼び、二人とも預けた。

 そしてふと空っぽになったビンを見て、困ったように苦笑する。


「うーん……眠り酒がなくなっちゃいましたね。

 ヘルメス神官長、あれの『使用許可』をいただけますか?」


「ああ……『プレイヤ』かね。よかろう、許可しよう。

 だが、あまり手酷くしないように。彼らも被害者だ」


「 As you wish(仰せのままに). オリビア、いいかい?」


「──……」


 オリビアが再び頷くと、少し離れた倉庫の扉がひとりでに開いた。

 その奥から、鈍く光る細長い何かが現れ、やはりアルバートのもとへ飛来した。


(あれは……あの時の……)


 メアリはそれに見覚えがあった。

 倉庫の奥にあった小さな小部屋の壁にかけられていた、銀の軍刀サーベルだった。


 アルバートは懐から黒皮の手袋を取り出して両手にはめ、ナックルガードに包まれた柄を柔らかく握ると、鞘からゆっくり抜いていく。

 月光の下に晒されたのは、夜闇にあって目も綾な白刃の照り返し。

 その場にいる全員の目を惹くほどに、妖しい誘引力を纏った刃であった。


「さて、男性二人には少々荒っぽくなってしまいますが、どうかお許しを。

 不名誉な傷跡を作ることになってしまいますが、抗議は後日お受けしますから」


 アルバートは残った二人の人狼のもとへ歩み寄ると、影の大顎に命じて正面を向かせると、やおら軍刀サーベルを振りかぶり、ヒュッと音を鳴らして胸板を薄く斬り裂いた。

 これを同じようにもう一度、都合二人分、刃を走らせた。


 瞬間、傷口からみるみるうちに『変身』が解けていき、全裸の若い男が二人転がった。


「あなた方は僕が運びましょう。さて……教授?」


「ひぃッ!?」


 その手に銀の刃を携えたまま、アルバートはスチュワートに向き直った。

 顔面を引きつらせて恐怖で固まっている彼のもとへ、従容しょうようと歩を進める。

 なんの気負いも激情も無く、ただ庭を漫ろ歩くかのように。


 そうして目の前で片膝を着き、座り込んだままのスチュワートと目線の高さを合わせると、アルバートは粛々と最後通牒を投げ放った。




「二人は眠り、二人は『斬り放し』ました。

 もう抵抗は無駄です。おとなしく投降して下さい」


「ッッッ!? き……貴、様ぁ……」


 その時、恐怖で濁ったスチュワートの眼に力が戻った。

 アルバートが放つ優位者の目線がよほど腹に据えかねたのだろう。


「ふざケおってッ!! さゾ良い気分であろウなッ!!

 それダけの力を自在に操り、魔道と唯一神教の頚木くびきかラも逃れッ!!

 勝手気侭に振舞うのは、さぞや気分の良いコとであろうナあッ!!」


 医学部教授にして魔術師という、絵に書いたような賢人。

 人々から教えを請われ、深淵を探求し、成功だけを積み重ねてきた傑物。

 目下の者からそんな目を向けられることには、耐えかねたのかもしれない。


「庶人を笑い、学徒ヲ嘲り、神教に背を向けッ!!

 その力と業をモって、自侭に生きるダけとはなッ!!

 神にデもなったツもりかッ!! 恥を知レ、化け物ッ!!」


 怯え竦んだ態度はどこへやら、舌鋒鋭い長広舌を振るい続ける。


「……非道に走る前に、妥協はできなかったのですか?

 医師の道へと歩みを変えることはできなかったのですか?

 魔法とは、魔導師とはそれほどまでに狂おしく求める価値がありますか?」


 アルバートは、まず彼が言いたい事を全て吐き終えるまで待っていた。

 そうしてから改めて、疑問の形で言葉を返した。


「悪魔の所業に手を染めて、下手を打って心を狂わせて。

 無辜の亜人の手を血に染めさせ、知の探求を気取るとは。

 神にでもなったつもりですか? 恥を知りなさい、馬鹿者」


「貴様ッ! よくも──」


「──黙れ。そしてこの『眼』を見るがいい」




 闇の中に、金と赤、二つの光が淡く灯った。




「な、ガッッッ!? ギ……ぃ、ぁ……」


「次に目を覚ました時、お前は罪を白日の下に晒されるだろう。

 法のもとに裁きを受け、もって悔い改め、罰を受けよ───眠れ」


「ア──ぁ」


 小さな呻きを最後に、外道に堕ちた魔術師は意識を手放した。

 直後、ウェアウルフとバンパイアの『呪縛』と『催眠』の魔眼は光を失う。

 金と赤の光が消えたあと、アルバートの瞳は再びとび色に戻っていた。


「医師と魔術師……二つの世界の狭間を選んだ、貴方の行く末には興味があったのですがね」


 使用人たちには聞こえないよう、そっと呟いた言葉は夜気に溶けた。

 オークウッド家の中庭にようやく静けさが戻った。が、そのすぐ後。

 敷地の外にサイレンが聞こえ、パトカーの赤色警光灯が連なって入ってきた。


「おや、警察も来たようですね」


「アルバート様……あの……」


「メアリ、怪我はありませんでしたか?」


「え、あ、はい……それで……えっと」


「それは良かった。さて、デビッドが来たようですから、あともう少しだけ付き合って下さいね。そうしたら、今夜はもう休みましょう」


「は、はい……? あの、アルバート様、そのですね……?」


「はぁ、疲れました。グレゴリー、オリビア、ホリン。

 とりあえず、中庭の片付けは明日以降に回しましょう」


「はい若様。そのように」


「──……」


「ワゥ」


「ちょ、ちょっと、え?」


「アーネスト、満月の中で自制し続けるのは辛かったでしょう。面倒をかけました」


「なに、若いのとは年季が違いやすからね」


「アルバート様!? もしかしてわざと無視してますかっ!?」


「ヘルメス神官長、よろしければ今夜は泊まっていかれますか?」


「いやいや、仕事が山積みでね。すぐに帰らねば」


「わざとだっ!? 皆さんわざと無視してますよねっ!?」




 事が終わり、一同は思い思いに言葉を交わし始めた。

 使用人たちは皆ボロボロの格好で、合流組はそうでもなく。

 皆一様に、やっと気を抜けたという安堵の空気が漂っている。


「……デ? オ前ハ混ザラネエノカヨ、石頭シスター?」


「……やかましい。こっちに来るな、カボチャ」


 それをやや離れた所から、イーリスはただ眺めていた。

 寄ってきたランタンをいつも通り邪険に追い払ったのだが、その声音からは辛辣さが少し抜けているのに気付かないまま。


 イーリスの眼に映るのは、一人の半人狼の少女。

 そして彼女の問いに、空惚けて韜晦とうかいを決め込んでいる魔術師の男。

 彼女が、武装神官が守るべき人の血を、半分しか持たぬ者たち。


 胸中に渦巻く複雑な感情を持て余しながら、イーリスは案山子かかしのように立ち尽くしていた。




 かくして、人と獣の狂った宴は幕を閉じた。


 真円を描いた夜の女神はただ空にあり、煌々と闇を照らし出す。

 いまだ騒々しさを失わぬ下界のことなど、そ知らぬ顔で浮いている。


 冷たく冴え冴えと、しかし穏やかな銀色の光で、月は変わらず輝いていた。




 - 続 -





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