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22「HEU(ヒュー)」

この話で最終回です。

ホシで影たちと闘うプランジ。ホシに戻ったウィズとリジー。

彼らの運命はーー?





「あれだ!」

 ホシに近づきつつある円柱群の中で、リジー達は目を見張った。

 そこは、壁に囲まれて一方がモニターになっている無重力の部屋。既にウィズも

リジーも来た時と同じ服に身を包み、いつでもホシに降りられる状況だった。ただ、

未だにライフルとリボルバーだけは見つかっていなかったが。

 今、星空に浮いているウィズとリジーの眼前にはイエの先ーー軌道エレベーター

の屋上と思われるスペースが見えてきていた。

「やはりそうか……」

 ウィズは今まで何度かそういう仮説を考えてはいたが、結局確かめる方法が無か

ったのだった。今こうしてみると、イエはそれとしては非常に合理的な素材と形を

している様に見えた。

「さて、どうするかーー」

「え?」

「あそこまでどうやって移動するか」

「あ、そうか」

 リジーは観察者の方を見やった。相変わらず観察者は浮いているリジーたちとは

違い見えない壁についた椅子に座ったままだ。

「何とかならない?」

 観察者は落胆した様な顔のままだった。

「やはり行くのか…」

「うん」

 リジーは全く動じなかった。フランクに話している様だがその決意が固いことは

ウィズにも容易に想像出来た。

「では……あれを」

 観察者は手元を動かして空間にモニターを出して見せた。そこには前回観たフネ

の残骸が置いてある巨大なハンガーが映った。

「その中には何もないぞ」

 それはホシに不時着した時に間違い無く確認していた筈だ。

「此処にはあった」

 モニターを寄せるとその巨大なハンガーの脇に別の瓦礫の一群があり、その中に

小型の探査ポッドが一つ鎮座していた。それは大気圏の突入の衝撃かあちこち焼け

焦げてはいたが、とりあえず機能は大丈夫そうに見えた。

「……落ちる途中でバラバラになった破片も来ているってことか」

「その真偽は分からないが」

 観察者はもう諦めた様だった。

「此処を出るまでは協力しよう」

「……」

 リジーとウィズは顔を見合わせた。

「じゃ、行こう」

「あぁ」


   *   *


 そこだけ、光が当たっていた。

 ホシの一角にある、青空とサバンナの様な乾いた地面が広がっている場所。そこ

にある小さな商店の脇で、老夫婦が紅茶を飲んでいた。数キロ先はぐるりと廃墟が

取り囲んでいる。そこから先は夜の面で、『ヒュー』と『ファントム』の光が暴れ

狂っているのが遠くに見えた。だがその商店の周りだけは、静かな昼間の世界が広

がっていた。老夫婦はゆっくりとカップを口に運び、そよぐ風に身を任せていた。

「………」

 男性の方はスーツに身を包んだブロンドで長身の白人だった。そこそこ筋肉質で

顔の深い皺は長年の苦労を感じさせていたが、今は穏やかな顔をしていた。

 女性の方は長い金髪を後ろで結んでいた。スラリと細い長身の身体を白いドレス

に包み椅子に沈ませていた。気の強そうな顔立ちに、それなりに年月を経て来た倦

怠感が現れていた。

 二人とも、じっと廃墟の向こうを眺めながら佇んでいた。


   *   *


 ネコは、廃墟の遺跡でハコを組んで地平線の辺りをじっと見つめていた。

 その先にはどす黒い光と緑の光が陽炎の様に揺らめいている。

 側ではあの小さなプランジの姿をした緑色の光、ネコが『ヒュー』と名付けた存

在が興味深げな表情を浮かべて浮遊していた。

「ニャウ……」

 ネコは少し寂しそうに鳴いた。側の『ヒュー』がそっと額を撫でた気がした。

 二人には遠く離れたプランジの姿が見えていた。プランジは歩いている。その先

には、謎の人影が無数に存在していた。あれはーーあの邪悪な存在『ファントム』

が形になったものなのだろうか。それとも別の何かなのかーー?

 それでもプランジは、覚悟して出て行ったのだ。

 出来れば、帰って来て欲しいとネコは思った。

 またあの腕に抱かれて心臓の音を聴きたいと思っていた。


   *   *


 プランジは、廃墟の中を歩いていた。

 あちこちで火の手が上がり、遠くでは緑色の光やどす黒い炎がオーロラの様にな

びいている。プランジはそれを遠目に見ながら、まっすぐ歩いていった。既に小一

時間歩いている。廃墟の幾多の丘のその先に、何かがある様な気がしていた。

 思えば、このホシはずっと自分に何かを語りかけていた様な気がする。自分は、

それにちゃんと応えていただろうか。そして、あの緑色の謎の光『ヒュー』ーー!

今日こそ、その存在に触れるのだ。プランジはそう確信していた。

「……!?」

 プランジは立ち止まった。

 数キロ離れた瓦礫の向こうに人影が数体見えた。ウィズ程ではないがプランジの

十分良好な視力はそれを捕えた。

「………?」

 それは大小形が様々あって、老若男女の様だった。だが逆光で離れていてその色

や表情は読み取れない。だが完全にシルエットのそれらは、間違い無くプランジの

方を見ている。プランジは目を細めた。

 一体、誰だーー?

「フッ!」

 プランジは迷わず走り出した。積み上った瓦礫群をヒョイヒョイとパルクールー

ープランジがホシでずっとやっていた障害物を利用した移動法ーーで乗り越えてい

く。その久しぶりの感覚は、自身をどんどん研ぎすませていく様だった。プランジ

は思った。あぁ、自分はずっとこの場所でこうやってきた。そして色んなことがあ

った。その全てが、無駄ではなかった。今この時の為に、全てが繋がっていたのだ

ーーー。

「……えっ?」

 いくつか瓦礫の丘を越えた瞬間、そのシルエット群は消えていた。

「………?」

 プランジは少し上がった息のまま辺りを見回した。また、何処かで廃墟が崩れる

様な音がしていた。その音響の中に、プランジはクジラの鳴く様な声を聴いた気が

した。

「………あれはーー!?」

 プランジは、思い出した。

 あれは、あの時のクジラーー?ならば、先程の人影はーーー!

「!!」

 プランジは再び走り出した。

 あの人達だ。プランジは息を弾ませながら疾走した。


   *   *


 ウィズたちは、探査ポッドで何とか軌道エレベーターに取り付こうとしていた。

 そこはかつて一度来たであろう、イエの頂上だった。何も無いグラウンド程の広

さの平面がそこにあった。それはあのクジラの深海で見た頂上とも同じに見えた。

「えっとーーこっからどうする?」

「前に来た時には空気はあったが、今は軌道上だし無理だろうな」

「じゃあ?」

「入り口が何処か……」

 ウィズは器用にポッドを操作して着地を試みた。

「少し揺れるぞ」

「了解」

 その二人がギリギリのサイズのポッド内で、リジーはウィズにしがみついた。

「あ、あんまりキツいと腹が」

「腹が?」

「あ、いやーー」

 小さな衝撃と共に、ポッドはイエの頂上に着陸した。

 ウィズは素早く計器を動かして大気を測定した。驚くことに空気があった。前に

来た時と同じ様だった。

「……出てみるか」

「で、お腹がどうしたって?」

「前はここから下に降りる方法が無かったんだが…」

 ウィズは聞こえない振りをして呟いたが、リジーはその紺色の目をウィズから離

さなかった。

「ーー何」

「………」

 ウィズはしばし考え込んだ。そして言った。

「後で、な」

「えー、気になる」

「今はそれどころじゃないだろ」

 リジーは不服そうな顔をしたが、その時探索ポッドが揺れた。

「!?」

「何?」

 見ると、ポッドの目の前に壁がせり上がっていた。いやーーポッドの周り十メー

トル四方程の空間が、降下を始めていた。まるで搬入用エレベーターの様に。

「何かした?」

「いやーー」

 二人はせり上がっていく壁を覗き込んで見た。窓は全く無い、家の外壁の様な素

材だった。そしてそのスピードはどんどん上がっている様だった。

「ねぇーー大丈夫なの?」

「さぁなーー前に来るか」

 ウィズはリジーを前に移動させて後ろから抱き、対ショック姿勢を取った。

「ふふ」

「…どうした?」

「こういうのも、いいね」

 ホシを脱出する前、廃墟の中で何度かこの姿勢を取った。そうしてずっと守られ

ていた。今も、ちゃんと守られている。

 リジーは微笑んだ。

 ウィズは柔らかな温もりを感じつつ辺りを解析して言った。

「さて……そろそろ地表だ」

「うん」

 二人は何が起こるのか、期待を込めて構えた。 


   *   *


 観察者は、星空の部屋で椅子に座っていた。

 目の前には廃墟のホシが大きく見えている。巨大な円柱群がここまでホシに近づ

いたのはファイが死んだ時以来だった。地表ではあちこちで『ヒュー』の緑の光と

『ファントム』のどす黒い光がぶつかり合っている。

 観察者は右手を動かしてその地表へ映像を寄せていった。遺跡ではネコが佇んで

空を見上げていた。目の前の巨大な塔ーーイエでは、恐らくウィズたちが降下中だ

ろう。そしてあの青年ーープランジ。彼はホシの上で躍動していた。パルクールと

言ったか。今まで何度も見たことのあるその独特な体術は、プランジの身体を重力

から解放する様に宙へ舞わせていた。それに対しようとしているのは無数の影たち

だ。少し引いた視点で見てみると、ホシのあちこちからそれが無数に現れていくの

がよく分かる。

 観察者は、プランジの姿をじっと見つめていた。

 彼は、これからどうするのだろうーー何処へ行くのだろう?

 そして、自分は?

 考えている内に、モニターの中でプランジとその影たちが接触した。


   *   *


「クッ!!」

 プランジはザッと身を沈め、攻撃を躱し瓦礫の向こうへとトンボを切った。影た

ちが、次々にやってくる。先程見た影たちは確かに見覚えのある者たちだった。老

人や黒人、少年や青年。赤ん坊やクジラ。ピアノマンや老女。病人たちやスナイパ

ー。その全てが、プランジに何かを訴えかけている様だった。その筈だった。だが

より近づくと、その影はフッと形を変えた。プランジ位のサイズの筋肉質の身体。

それが幾分『ファントム』の様なモヤモヤ感を伴って、今度は明確にプランジを攻

撃して来た。

「!!」

 その攻撃は身軽な割に重量があった。かわした攻撃は瓦礫を砕き、更に自在に方

向を変えて躱すプランジに、楽々と追いついてきていた。

「くあっ!」

 プランジは飛び上がり、瓦礫の中の細い鉄柱に上がって下を見下ろした。

 眼下には影が数十体力を抜いて立ち、首をかしげてこちらを見上げている。そし

てその数はどんどん増えてきている様だった。

「………!」

 これはーー自分か?プランジは思った。あの身軽な独特の動きは、自分ではない

のか?自分の影と、闘うのか?プランジの中でジワリと恐怖が広がっていた。プラ

ンジはそれを自覚していた。辺りでは『ヒュー』と『ファントム』の炎がぶつかり

合っている。その咆哮と廃墟が崩れる音が木霊の様に響いていた。

 プランジは思った。だがーーしかし! 

 プランジはギュッと手を握り、そして力を抜いて息を深く吐いた。

「………!」

 ドクンッ。

 その時、一瞬プランジの視界がバアッと明るくなった。蒼白いその空間は今まで

とは違う、何かへの道にも思えた。だがそれは一瞬で、再び視界は廃墟のホシへと

戻って行った。

「!…………」

 プランジは一瞬瞬きをして、驚いた様な顔を見せた。

 だがその口はやがて真一文字に結ばれた。そして鉄柱から手を離し、プランジは

フワッと地面へ降りた。深呼吸をし、首をコキコキと鳴らした。それからフワリと

両手で顔を、肩を撫でた。それはまるでいつぞやのボディペイントの様に。そして

ファイの葬式での時の様に。

 ーー闘おう。ただし、殺意とか恨みとか悪意とかじゃない。それなら、自分にも

やれる。

 だって俺なんだから。

 プランジはゆらりと上体を僅かに前傾させ、四肢の力を抜いた。それはいつでも

どんな風にでも自らを動かせる、身体が知っている一番好きな構え方だった。

「オーケー」

 プランジは軽く息を吐いた。

 そしてスッと息を吸い込むと、前へと飛び出した。


   *   *


 右手の振動波で壁を破壊し格子状に組まれ錆び付いた鉄の柵をどけると、そこは

無限の部屋が並んだ場所だった。廃墟になっているとは言え懐かしいイエにようや

く戻って来たという感覚に、ウィズ達はしばし包まれた。

「…何も変わってない?」

「多分な…」

 ウィズは振り向いて、乗って来た探査ポッドを見つめた。このまま行けば、恐ら

くエレベーターごと消えてしまうのだろう。少し惜しくはあったが、仕方が無い。

軌道エレベーターに着くまでに例によって長距離通信や広域スキャン等も試しては

みたが、やはりこの宙域にはホシと円柱群以外何も無かった。やはりこの星系では、

出来ることは何も無いーー分かることも。本当に、此処は別世界だったのだ。ウィ

ズは改めてそう思いながら、申し訳程度に柵を閉めた。

「ねえ」

「ん」

「どゆこと」

 リジーが腕組みをして背後に立っていた。

「…どうとは」

 ウィズは振り向かずに応えた。

「分かってるよね」

「………」

 やれやれーーウィズはなるべく平坦な顔を作ってゆっくりと振り向いた。

「……歩きながらでいいか」

「うん」

 リジーは腕組みを解かずにウィズの後を付いて無限の部屋の螺旋状に傾斜した廊

下を歩き出した。かなり警戒しているのが見て取れた。

 やれやれ、こうなったら仕方ないーーそう思ったウィズはなるべくさらりと言葉

を出した。

「赤ん坊がいる」

「そう」

「……?」

 ウィズは立ち止まって振り向いた。リジーは止まらずにウィズの目の前を通り過

ぎた。

「そうってーー」

 ウィズは歩き出しリジーの横に並んだ。

「気付いてたのか」

「んー、何となくだけど」

「……来て大丈夫だったか?」

「うん」

 リジーはウィズを見て頷いた。また二人は前を向いた。

「…で、父親は誰かって話だが」

「まぁ…普通に考えればあんたかプランジだよね」

「ーーそうだな」

「でもホシだから、そうとも限らない?」

「…まぁな」

「そっか……」

 ウィズはそっとリジーの様子を窺った。割と冷静にしている様だが、実際はどう

なのだろう。

「でも、まぁ」

 とリジーは顔を上げた。既に笑顔だった。

「無事に生まれると良いな」

「あ、あぁ……」

 ウィズはフッと息を吐いた。やはり強いなと思った。

 やがて二人はイエの三階のバルコニーに出た。そこは廃墟で崖の様になったまま、

『ファントム』に襲われ落下した時と特に変わりはない様だった。縁から下まで続

いている亀裂を覗き込むと、その遥か下でマグマの様などす黒いものが蠢いていた。

「マジかよ」

「ヤバそうだね」

 二人は広がる瓦礫の山を見つめた。遠くでは緑色とどす黒い炎の様な光が絡み合

っている。

 さて、プランジは何処にいるのだろうかーー。

「行くか」

「うん」

 ウィズとリジーは踵を返し、イエの入り口の方へと歩き出した。


   *   *


「フッ!」

 プランジは流れる様に動いていた。

 何度かいいパンチや蹴りも貰ったが、一切怯まなかった。こちらの攻撃は時に当

たり、時に突き抜けてゾッとする様な悪寒を感じさせたりもする。それは初めてウ

ィズたちと会ったあのフネでの時と同じだ。目の前の影たちはエッジがモヤモヤと

してはいるが時に確とした実体を伴い、プランジと同じ様にヒュンヒュンとパルク

ールで迫って来る。そしてその数はどんどん増えて来ている様だ。

「グッ!」

 背後からエルボーが入り、プランジは前につんのめった。間髪入れず斜めに飛ん

で、前からの攻撃を寸でで躱した。そしてプランジは再び走り出した。

 プランジは思った。かつてウィズと闘った時以来だ。ここまで限界を超えて身体

を動かすのはーー。同時にプランジは思った。あの時も、一瞬『ファントム』に意

識を乗っ取られた様になったっけ。あの時は運良く『ヒュー』が助けてくれたのだ

が、もしかしたらーー今目の前にいるのは、『ヒュー』に出会わずに全て『ファン

トム』に取り込まれた、何処かの世界の自分ではないのか?

 プランジの全身がゾワッと逆立った。

 いけないーー今は!

 一瞬、対応が遅れた。影たちはそれを見逃さなかった。無数の打撃が襲い、プラ

ンジの身体は遠く飛ばされた。ゆっくりとした視界の中で、影たちが構えを解くの

が見えた。

「………!」

 ーー何だ?何なのだ?プランジはスローモーションの様に朦朧とした意識の中で

その影たちの視線の先に目をやった。

「ーーーー!」

 飛ばされる先に、いつの間にか巨大などす黒い光が蠢いていた。それはいつぞや

の様にその中に無数のチラチラとした怪しい光を煌めかせ、口らしき場所をクアッ

と開けてプランジを飲み込もうとしていた。

「あぁ………!」

 既に身体は殆ど動かなかった。

 だがーーープランジは先程の感覚を覚えていた。一瞬視界が蒼白く開け、道を示

した様な感覚。スカッと抜けた、希望への道。そうだ、自分はーーー!

 一瞬、辺りを遠巻きにしていた緑色の炎の様な『ヒュー』の光がドクンと脈動し

た様な気がした。

 プランジは、最後の力を振り絞って右手を突き出した。

「ーーーーセイッッ!」

 その手には、長年使いこなし古びたセラミック製の彫刻刀があった。それは、物

心ついた時から無より何かを作り出すもの、プランジの内面の何かを表現してくれ

るものだった。

 その刃先は目の前のチラチラとした光を伴ったどす黒いモヤモヤを切り裂き、一

筋の蒼い炎の様な光を放った。


   *   *


「!!」

 ウィズとリジーは気配を感じて立ち止まった。イエから瓦礫の丘を幾つか越えた

辺りだった。

 遠くでは相変わらず『ヒュー』と『ファントム』の光が見えていたが、その動き

は止まり、何かに怯えている様に見えた。廃墟が崩れる様な音も断続的に続いてい

る。

「今のは何?『ヒュー』とは違う?」

「分からん。がーー」

 ウィズは地平線の向こうに青白い光が小さく上がるのを見た。

「あれだ」

「あそこに、プランジがーー?」

「あぁ、間違い無く」

 身体のセンサーに反応は無かったが、ウィズは確信していた。

 リジーは、ウィズをじっと見つめた。

「……行こう」

 ウィズも眼差しを返した。

「…あぁ」

 リジーは、そっと自分の下腹に手をやった。

 まだ見ぬ胎児。父親が誰なのかは分からないがーーこれはこのホシの、あたした

ちの子供だ。皆で、育てるのだ。一人も欠けること無く。リジーはそう思っていた。

観察者の話を聞いても尚、リジーは自らの存在に疑問は抱かなかった。かつて確か

に愛した人がいた。そしてその人の子供を授かった。その子はいなくなってしまっ

たがーー確かにいたのだ。そのことが間違いである筈が無い。そして今、自分の中

にもう一つ、生命が誕生している。それで十分だ。そう思っていた。

「………」

 ウィズはそんなリジーを見つめていた。

 自分が何処から来たのか、もうそんなことはどうでもよくなっていた。自分の身

体も、左目も、確かに色々あってこうなった。そのことを後悔はしていない。もし、

何処にも戻れなくてもーーそしてもしもこのホシが無くなったとしてもーー此処で

起こった全てのことは、事実だ。自分は忘れることはないだろう。そして今、リジ

ーの中には子供がいる。この子がどういう人生を送るのかは分からないが、自分は

出来るだけその力になろう。ウィズは、かつての自分との落差に少々呆れながらも

そう思った。

 そしてーープランジ。あの光の中で闘っているであろうあの青年もまた、必要な

存在なのだ。

 二人はそう思いながら走り出した。

 その時、地平線の蒼い光の柱は一際大きく輝いた。


   *   *


「ほぅ……」

 観察者は、星空の部屋で佇んでいた。目の前には、荒れたホシの姿があった。

 モニターを幾つか表示して、観察者はホシのあちこちを見ていた。

 その一番大きなモニターに映っている、プランジの姿は眩しかった。観察者はい

つしか笑んでいた。観察者は椅子に深く腰掛け、この円柱の中で目覚めて以来の出

来事を思った。このホシを見つけてからは、自分は確かに楽しかったのだ。あの女

の子のことでプランジを憎んだりもした。それでもそれは、いつしか無くしたと思

っていた人としての感情だった。閉鎖空間の中で何者でも無かった自分がようやく

手にしたそれが、今はとても愛おしく思えた。

「………」

 観察者は、ふと前腕を乗せている椅子に目をやった。

 いつしか、椅子に座る様になった自分。そのきっかけは一体何だったか?既に記

憶があやふやになってしまっていた。今自分は、立てるのか?半ばこの世のもので

はないと何処かで思ってしまっていたのではないか?観察者はそっと肘掛けを握り

しめた。

「………!」

 観察者はしばし考えて、それから少し前屈して、自らの足に体重をかけた。

 その時、観察者は眼下の蒼い光の柱の輝きにハッとした。


   *   *


 その蒼き煌めきは、瓦礫の中の緩衝地帯の商店にも届いていた。

「………始まったか」

 ウェッジウッドのカップを口から話してブロンドに長身の老人は言った。

「……いいえ」

 同じくブロンドの老婆が事も無げに言った。

「とっくに始まってましたよ」

 その言葉に老人はしばし瞬いて、そして笑んで頷いた。

「さてーー?」

 二人は期待を込めて、瓦礫の地平線の向こうの蒼白い炎の柱を見つめた。 

 

   *   *


「!!」

 プランジは目を見開いた。何かが聞こえた様な気がした。自らを取り巻く蒼白い

炎の中で、何かが見えた気がした。辺りはどす黒いモヤモヤが取り囲んでいたが、

プランジには触れようとはしていなかった。自分からーー彫刻刀を刺したその辺り

から流れ出る蒼白い光が、自分を守っている。そして『ファントム』の向こう側で

は、無数の影たちが立ってこちらを見ている。

 プランジは息を大きく吸い込んで、ゆっくりと吐いた。

「ああああああーーーーー!」

 そして地面に食い込んでいた彫刻刀を叫びながら抜き、雄叫びと共に上空に放り

投げた。蒼白い炎を引きながら彫刻刀は煌めいて星空へと消えていった。

 何故そうしたのだろう。プランジには分からなかった。だがプランジの身体は、

分かっていた。身体がそれを目指し、全てを理解していた様な気がした。

 「捨てること」。それが、今は必要だということ。恨みや疑念や軋轢など、全て

を。勿論、自分は所詮聖人になどなれはしない。それでもいい。……それでいい。

その姿勢を見せられるならば。

 投げ切ったプランジは、両膝を突いて肩を上下させながら、そっと天を向いて目

を閉じ、力を抜いた。

 ーーードクンッ。

 その時、ホシが脈動した。

 彫刻刀を抜いた箇所からいつしか見た様に、緑色の輪がーーそれも今ままで見た

よりももっと太く輝くそれが、同心円状に広がっていった。

「あぁ……」

 プランジは感じた。それによって、あのモヤモヤ『ファントム』は音も立てずに

消えていった。その向こうの影たちも、かき消す様に消えていく。跡に残ったのは

数人だけ。そして廃墟だった地面も、懐かしい草原に姿を変えつつあった。

 ホシは今、元に戻ろうとしていた。


 皆、その光を見た。『ヒュー』を感じた。


 ドクンッ。


 プランジの身体がフワリと光った。

「これは……!」

 懐かしい、あの感じ。全身に内側から湧き出る様に力が漲り、同時に透き通って

いく感覚。

 『飛ぶ』のかーー!?


「ウィズ!」

「あぁ!」

 二人は懐かしい気配を感じて立ち止まった。目の前で、廃墟が草原に、夜が昼に

変わっていった。

「プランジがーー」

「『飛ぶ』!?」

 そのことを、二人はまるで自分のことの様に感じ取った。

「…………」

 カチリ。

 その時、足元の何かに金属が当たる感覚がしてウィズは見下ろし、そして目を丸

くした。

「……リジー」

「え……?」

 下を見たまま止まっているウィズの視線の先にリジーは目をやった。そしてゆっ

くりと微笑んだ。

「あ……」

 風に揺れる草の中に、前に見た時と同じ錆と埃に塗れたライフルとリボルバーが

見えていた。

「あった……」

 リジーはしゃがみ込んで、そっとそのシリンダーに触れた。その冷たい金属の感

触は、とても懐かしく思えた。自分はこの銃と、どれだけの時を過ごしたことか。

 ウィズはその様子を立ったまま見下ろしていた。いつか、こんな風景を見たこと

があるーーそんなデジャヴを感じた。

 リジーも、同じ何かを感じていた。

 でもーーー。リジーは頷いて、立ち上がった。

「……いいのか?」

「うんーーウィズもでしょ」

 ウィズは微笑んで頷いた。

 もう、いいのだーー手にしなくても。また違う何かが、この先現れる。二人とも

そう思っていた。

 リジーはすっと顔を上げた。

「プランジは?」

「あの丘の向こうだ」

 既に辺りは三百六十度、地平線の先まで全て草原に変わっていた。


 ネコは、小さな光の『ヒュー』と一緒にホシが草原に変わっていくのを見ていた。

そのまん丸な目には、同時にホシが薄暗い夜から昼間へと姿を変えていく過程がず

っと見えていた。そうして現れたのは、夜の面などホシ上に一つも無い理屈ではお

かしい世界。だが思えばそれはホシの常だった。ネコがプランジと過ごしたこのホ

シは、またドラスティックにその姿を変えようとしていた。


 観察者は、ゆっくりと立ち上がった。

 久しぶりのその感覚に、観察者の足は震えていた。かつて、椅子に座ったまま『

飛ぶ』夢を見たことがあったことを、今更ながら観察者は思い出した。その時の解

放感、爽快感は今の自分と同じだった。

 目の前でホシは夜の廃墟から昼の草原へとその姿を変えていた。あれほど荒れ狂

っていた『ヒュー』と『ファントム』の光はその緑の同心円状の光の境界線からス

パッと切り取られ、無くなっていった。

「おぉ……!」

 観察者は声を上げた。それはホシの姿になのか、しっかりと立つ自らの足への驚

きなのか自分でもよく分からなかった。


 ホシの何処かにあるその商店では、老人も立ち上がっていた。

 そこを遠巻きに取り囲んでいた瓦礫は既に草原へと姿を変えていた。もはや荒れ

狂う炎の様な光たちも見えはしない。

「これはーー」

「『飛ぶ』のね」

 老婆は座ったまま、穏やかな笑みを浮かべていた。まるで大きく成長した息子を

眺めてでもいるかのように。

「……あぁ」

 老人もやがて笑みを浮かべ頷いた。 


 プランジは、蒼白く光ゆく自分を感じていた。

 周りは雲一つ無い青空にいつもの草原が広がっている。振り返ると、後ろにはい

つの間にかあの白亜の塔ーーイエがあった。クッキリとした青空にそびえる無限に

高い塔。そして目の前には自分の光を受けた影が数体、斜に構えてこちらを見つめ

て立っていた。

「……また、いつか」

 プランジは見つめ返した。影たちは黙って立っていた。そのチリチリとしたエッ

ジは、まるで空間に溶けていっている様に見えた。 

 プランジは思った。……受け入れるのだ。いっぱいの「敵」を。『ファントム』

を。それも、自分なのだから。その為に、『ヒュー』が必要だった。力を貸してく

れた。プランジはいつか誰かが言っていた言葉を思い出した。「ねじれないで」「

コントロールするのだ」。しようとするのだ。今。

 プランジの身体はどんどん光を増していた。

「………」

 プランジはそっと左手を上げた。

 それは別れの為なのか、手を差し伸べたのか。その両方である様な気がした。

 影は小さく首をかしげ、やがて消えていった。

「………」

 プランジは、そっと微笑んだ。

 そしてプランジの身体はより光っていき、やがて『飛んだ』。

 その場所からは同心円状に緑色の光の輪が幾つも広がった。

 同時に、無数の流れ星が昼間だというのにホシの空を覆っていった。


   *   *


「!!」

「え?」

 ウィズとリジーは空を埋め尽くす無数の流星を見た。その全てが、溢れる様な『

ヒュー』の緑色の光の感覚を伴ったものだった。

 あれはプランジなのだ、と何故か二人とも確信していた。

 同時に、地表を幾つも広がる同心円状の光の輪を目撃した。それは間を置いて次

々に二人を通過していく。そしてその通過に合わせて、ウィズたちが立っている場

所は草原から砂浜へ、ジャングルへ、雪原へとどんどん姿を変えていった。

「わぁーーー」

「これはーー」

 ファイの時に見た、あの現象だった。

「綺麗……」

「あぁ……」

 そして二人は、プランジのイメージを感じた。


 観察者も、オヤたちも、無限のフラッシュを体感していた。


 遺跡でネコたちも、緑色に光る流星とどんどん変わっていくホシの姿を眺めてい

た。

 あの流星たちはプランジ?だがそれはホシに落ちるというよりは、高速であちこ

ちを飛び回っている様だった。まるでプランジの意識が、その無限の流星たちの中

を移動してでもいる様な。そしてホシの全てに触れている様な。

 ネコも小さな光のプランジ『ヒュー』も、プランジが体験しているものを同じ様

に感じ取っていた。


 プランジは、円柱群の中の観察者、ホシの上のウィズやリジー、ネコの姿を同時

に見ていた。そしてネコの側にいる小さな存在ーーネコが『ヒュー』と名付けた小

さな光の幼い自分の姿に気付いた。それは同時に、観察者やリジーやウィズもそれ

を認識したということだった。

 その小さな『ヒュー』は、周りの視線を感じて恥ずかしそうに顔を伏せ、ヒュー

っと口笛を吹く様に息を吐き、ヒュインと空へと上がっていった。その『ヒュー』

はやがて空を駆けるプランジと合流した。プランジは幼い自分の様なその姿を見つ

めた。不思議な懐かしさを覚えていた。その表情を見つめていると、今までその『

ヒュー』がネコと一緒にホシにいてずっと自分を見守っていたということ、時に自

分と一緒に冒険をしてきたこと、そしてその目を通して観察者はプランジたちを見

ていたのだということが自然に理解出来た。一同も同様にそれを知った。

 そしてその小さな『ヒュー』は、そっとプランジに触れた。そして自分がプラン

ジが名付けた緑色の光『ヒュー』とは少し違う、プランジ自身の中の光であること、

そしてネコには同じ様に『ヒュー』と名付けられていたことを伝えた。プランジは

目を丸くして、それから笑った。更にその『ヒュー』はリジーの方を指差した。リ

ジーの中に小さな生命が宿っていること。それをプランジと観察者は初めて知った。

プランジはリジーにそっと触れ、おめでとうと言った。リジーもありがとうと返し

た。

 そしてーープランジは、その『ヒュー』に促され、ホシの片隅にある商店によう

やく気がついた。それはかつて出会ったことのある風景。そこにいるのはーーウィ

ズがゴミ山の中で会ったと言っていた、恐らく自分のオヤではないのか?という二

人だ。横の『ヒュー』を見ると、ゆっくりと頷いて笑っていた。プランジはそっと

降りて行き、老人と老婆に向かい合った。その様子を、ウィズやリジーやネコ、そ

して観察者はそっと見守っていた。

「…………」

 プランジは、何と言って良いのか分からなかった。確信は無いがーーこの人達は、

多分自分のオヤだったのだろう。その長き人生を経た深みのある姿は、プランジを

中から揺り動かしていた。何故ーーと言いたかった。だが、プランジはもう理解し

ていた。この人達も、『ヒュー』と同じ様に自分を見守ってくれていたのだ。そし

て恐らくーー既に亡くなっているのだろう。だから、したくても何も出来ない。

 何度か自分を襲ったあのイメージが蘇る。幼い頃、自分が悪いのに当たってしま

った人。その時の哀しそうな目。多分、それは目の前のこの二人だったのだろう。

 ーーごめんなさい。

 そう言った。二人は、優しく微笑んでいた。


 ウィズとリジーは、寄り添ってその様子を眺めていた。

 あの二人は、やがて年を重ねた、未来の自分たちの姿なのではないか?そんな思

いすら感じていた。


 ネコは、遺跡でジッと空を見つめていた。

 あの小さな『ヒュー』をプランジたちに紹介出来て良かった。ただーー自分だけ

のものがそうでなくなった、という一抹の寂しさは何処かにあった。

 そしてーープランジは、ホシは、どうするのだ?

 ネコは立ち上がり、踏ん張ってニャンと鳴いた。だがそこにはもう不安は無かっ

た。


 観察者は立ったまま、静かに涙を流していた。

 今、ホシを取り巻く全てが繋がった。……この円柱群と自分の存在以外は。

 ーー何なのだ?自分は、何故涙を流しているのか?

 自分はこの先、どうするのだーー。


 プランジは、そっと手を差し出した。

 父親の方が立ち上がり、数歩前に出てその手を握った。力強い手だった。

 頑張ったね。

 母親も立ち上がってそう言った。

 プランジは手を握ったままそっとその細い身体をハグした。それ以上、何も言わ

なくても充分だった。

 プランジはまた、全身が震える様なーー内から何かが沸き上がって来るのを感じ

た。


 そして、プランジは再び『飛んだ』。

 いつの間にか、小さな光の『ヒュー』はいなくなっていた。あの存在は、自分と

同化したのだーープランジはそう思った。

 プランジの周りは、いつか見た星々が流れる光のトンネルになっていた。その先

には、何度か見た蒼白い恒星がある。『ヒュー』とも『ファントム』とも違う、自

分の目指す光。今、自分はホシを出るのだーー。それは初めてイエの頂上に『飛ん

だ』時に感じたこと。ホシの「外」の感覚。あれから何度となく「外」の存在は感

じた。そして今、プランジは確実にその「外」へ飛び出そうとしていた。

「……!」

 プランジは、ふと暖かい何かを感じて振り返った。

 そこには、ウィズとリジー、そしてネコがいた。

「…久しぶり」

「元気だったか」

「うん………」

 ネコがプランジの胸に飛び込んで、ゴロゴロ言った。そして三人は抱き合った。

「…………」

 その肩越しに、プランジは来た方に目をやった。そこには老人と老婆、そして懐

かしい女性ーーファイがいた。三人はホシと共にいて、プランジたちを見上げてい

た。

 ありがとうーープランジは呟く様に言った。ファイは相変わらず気の強そうな旧

オリエンタルの表情に柔らかな微笑を浮かべていた。


 観察者は、この先自分はどうなるのだろう、と思った。

 このホシは、ここで終わりなのだろう。だがまた始まる。宇宙の何処かで。その

時自分はどんな姿なのだろうか。また記憶を無くして、こんな円柱群の中で目覚め

るのだろうか。

 だがそれもいいーー今はそう思った。あんな気持ちのいい彼らに出会えたのだ。

関われたのだ。次があるとしても、それを期待しよう。無いとしてもーー自分はも

う十分生きたのだ。

「………!」

 観察者はふと、異常に気がついた。星空の部屋が…いや、円柱群が微かに揺れて

いる!?その嫌な予感に、観察者はぞっとした。まさか、またーー?

「やめろ!」

 その叫びは、届かなかった。

 円柱群は一際大きく揺れ、黄色い光を無数に放った。それはホシへ向かって伸び

ていきーー

「!!」

 観察者はその時起きた光景に、目を見張った。


 プランジたちも、ネコも、それを目撃した。

 ホシへ向かった無数の光に対してホシからも同時に緑色の光が無数に地中から撃

ち上がり、その光群は上空でそれぞれが正確にぶつかり合い全てを相殺させていた。

「あぁ……」

 一同はその光を、眩しそうに見つめた。それは千の光、千の希望。このホシで何

度と無く見た光。それはプランジに、ウィズに、リジーに、ネコに、今までの全て

の感情を思い起こさせた。

 プランジは、あぁ、今回は『ヒュー』は、そして自分は、ようやくちゃんと物事

に応対したのだと思った。何もせず閉じ篭るのではなく、ファイの時の様にオーバ

ーリアクションするのでもなく。『ファントム』に踊らされるのでもなく。ーー良

かった、これが出来て。そうだよね、ファイーープランジは見えなくなっていくそ

の姿に向かって微笑みかけた。

 ウィズは、その光を導きだと思った。右目に映るまばゆい光は、その角膜をくれ

た誰かと繋がっている様な気がした。そこから、随分遠くまで来たーーでも、大丈

夫。昔程乾いてはいない。その感覚がはっきりと体感出来る。プランジの父親が、

微かに頷いた様な気がした。

 リジーは、その光に反応してお腹の子供が中で動いた様な気がした。勿論それは

まだ現実にはありえない。だがそんなことはどうでも良かった。このホシに来て色

んなことがあった。その全てを飲み来んで、この子がやってきたのだ。リジーはそ

っとお腹に手をやった。もう「目眩」を恐れなくても良いのだ。プランジの母親が

自分に笑いかけてくれていた。

 ネコは、その全てを感じて、満足げな顔をしていた。そして今この光景を見てい

るであろう観察者に思いを馳せた。観察者はホシの姿、その変化を前にして満足げ

に立っている。観察者は、また行くのだーーネコは何故かそう思った。

 そしてーー彼らは、『飛んだ』。

 様々なフラッシュが流れていく。ミチの上。永遠の廊下。記憶の塔。無限の部屋。

永遠のコインランドリー。三色のそれぞれの部屋。大切な遺跡。様々な土が入った

試験管。修理中のクラシックカー。そしてファイの墓。それぞれが、光の中に消え

ていった。イエが崩壊していった。役目を果たしたのだーープランジはそう思った。

撃ち出された光は尽きること無く、ホシの全てを覆っていった。そして一同はホシ

を離れていった。周りでは無数の流星が流れている。時にぶつかり、時に寄り添い

合って。

 誰かの言葉がまた聞こえた様な気がした。


 このホシは、一つじゃなくて、いっぱいあって、それぞれに俺たちみたいのがい

て、それぞれに暮らしてる………そしてその世界自体もいっぱいあって、それぞれ

にたくさんホシがあって、そのそれぞれにまた俺たちみたいのがいて……


 それは、誰の言葉だったろうか。

 ネコが一言しゃべった。「プランジ、会えて良かった」


   *   *


 観察者は、星空の部屋で浮いていた。側にはもはや椅子は無い。

 長い時間が経った。ホシはもう跡形も無くなっていた。

 満足げな笑みを浮かべて観察者は側の空間に手を伸ばした。そこには見えない壁

があり、そのタッチパネルに触れた。部屋はカシャカシャと急速に折り畳まれ、ブ

リッジの様な形に変化した。観察者はその姿を見るのは初めてだったが、その操作

を何故か知っていた。この先どうなるかも。観察者はその席に座り、操作を始めた。

側には小さな光の『ヒュー』がいた。

 観察者はそっとその小さな『ヒュー』の姿を見た。『ヒュー』はそっと微笑んだ。

 あの記憶ーー妻と子の仇、という記憶は、一体なんだったのだろう。それは既に

自分のものでは無かった。思えば、この円柱群はあの瓦礫たちの様な、あちこちの

無限の記憶を取り込んだ集合体だったのではないだろうか。そこに意思は無く、た

だホシと共にあり、ただただ記憶の欠片を集めている。「仇」という記憶も、そん

な何処かの世界にあったものに自分がたまたま触れてしまっただけだったのではな

いだろうか。そしてこれからも、様々な記憶は永遠に刻まれていくことだろう。

 観察者は満ち足りた気分で操作を続けた。

 やがて円柱群は急速に向きを変え、唸りの様な反響音を立て始めた。また、別の

世界に旅立つのだ。そこでは、何が待っているのだろうか。

 だが観察者はもう怖れはしなかった。例えまた記憶が無くなり、別の記憶が入っ

たとしてもーーその時はその時でやっていけるだろう。今は、もう寂しくは無い。

 円柱群は静かにジャンプし、その残りの小さな光は虚空に消えていった。


   *   *


 遠く離れた宇宙。

 とあるフネが、辺境の空間を進んでいた。

 その一キロ近くある船体は既にあちこと朽ちていてジャンプも満足に出来なくな

っていたが、何とかごまかしつつ航行していた。その大きさの割には、乗員は三人

しかいない。それぞれが各星系からやってきた、共同調査の為のフネだった。

 調査の目的は未開拓の星系の資源及び文明の痕跡の探索。他にも出航時はついで

に、と様々な機器が搭載されてはいたが、使うことになるとは思えなかった。

 その船体の九十パーセントを占めるカーゴスペースには、途中で寄った惑星で採

取したリジウム鉱石が満載してあった。調査のついでに貴重な資源も、というより

むしろそちらの方が主目的に近い、よくある民間から資金を出してもらった学術調

査船だった。

 そのフネはもう長い間、メインの星系には戻っていなかった。

 クルーの三人はそれぞれ自分の分野の仕事をこなし、普段は残り十パーセントの

各ブースで過ごしていた。全員その分野のエキスパートというよりは、辺境で数年

過ごせるだけの適性とそれなりの環境を持った、いわゆるハグレ組タイプだった。

実際調査中に事故で行方不明になることも多い訳で、家族がいる人間はいなかった。

 その一人、地質学者の女性はその日、その星系のいくつかの惑星を光学観測した

だけだった。恐らく三十何回目かの誕生日であるその日も、特に変化のない日常が

流れていた。

 彼女は薄い褐色の肌に黒髪、紺色の瞳。旧地球のインド系のその美しい外見に似

合わない物憂げな表情は過去に何かあったことを想像させるが、それに触れる者は

このフネにはいなかった。

 もう一人は天体学者の男。歳は三十前位か。薄い金髪を短くしていて、焦げ茶色

の瞳に白い肌。左目はやや瞳の色が薄かった。同じく旧地球で言うゲルマン系の長

身でやや優男風ではあるが、好んで着るアーミージャケットの下のしなやかそうな

その体躯はほぼ全身再生治療で、実は軍用のモデルだった。除隊後に転身したらし

く、その過去は誰も知らない。

 だが普段は特にその体に秘められた力を使用することも無く、淡々と作業をこな

しているだけだった。

 最後の一人は、ほぼブリッジに閉じこもっていてパイロット兼機体整備をしてい

る青年だった。緑色の瞳と赤みがかった茶髪に、骨太でがっしりした体躯の二十代

前半。彼は調査と言うよりは無事機体と後の二人を最後まで送り届ける為にいる様

で、明るく飄々とした性格ではあったが残りの二人とはあまり言葉を交わさなかっ

た。食事もブリッジで済ませ、顔を合わせることもごく限られた機会に留まってい

た。最初に会った時は、まだ若いのに何故こんなフネに?などと残りの二人は思っ

たものだが、やはりその程度のフネなのだな、と理解することにしていた。 

 その日、男はデッキで一人食事をしていた。ボロ船とはいえ、まだ人口重力等ラ

イフラインは健在だった。しばらくは調べるべき天体も無い。何の変哲もない日常

が、まだまだ続く様だった。

 女性が食堂スペースに入って来た。お互い嫌い合っている訳でも人見知りな訳で

もなかったが、何となく離れて座った。相変わらずTシャツに短パンのラフな格好

だが、最近表情が明るくなった気がする。何かあったのだろうか、と男はパックの

ビーフストロガノフを口に運びながら思った。

 女性がグラスを上げようとした手を止めて言った。

「……何」

 男はしばらく考えてから言った。

「いや……何かあったのかと思って」

「何か?」

「まぁ、何となくだが」

 女性はグラスを置いて少し考えた。

「………そうなんだよね」

 女性自身も、実は何かが引っかかっていた。フネでの生活に特に変化は無かった、

筈だ。なのに身体が少し満たされた感じと言うか、精神的にも何処かで安堵した感

覚がある。失った子供、という思い出も、いつしか痛みを伴うだけのものではなく

なっていた。

 ネコがゴンと女性の足に額をぶつけた。

「あ、来たの」

 女性はかがんでネコを膝の上に抱き上げた。それは、こいつのお陰なのかも知れ

ない。先日カーゴスペースの隅で心細そうに鳴いていたネコ。もう数年は航行して

いるというのに、一体いつの間に紛れこんだのだろうか。

「……あんたは?」

 女性はネコのビー玉の様な目を覗き込みながら言った。その濃い緑色の深淵の中

に何かがある様な気がした。

「俺?………」

 と聞かれた男は応え、少し黙った。

 男も、実は違和感を感じていた。前にあった全てが終わった後の様な乾いた感覚

が不思議な程無くなっていた。何処か希望めいた雰囲気が自分の中に存在するのを

自覚していた。ネコが現れた以外に特にフネには何も起きてはいないというのに。

「…そうだな……」

「何」

 ふと見ると、背中から脇に手を回されて前足を突き出した格好でネコが女性と一

緒にこちらを見ていた。

「………フッ」

 男は吹き出した。

「何よ」

「いや……」

 男は肩を振るわせていた。こんな些細なことで何故こうも和むのだろうか。

「おかしくないよねー」

 女性はネコで遊んでいる。ネコも仕方が無いという顔でされるがままになってい

た。男は、宇宙の辺境ではあるがこんな生活も悪くないな、と思った。

 その時、スピーカーから軽いハザード音と青年の声が流れてきた。

「三十分でジャンプするよー」

 二人は顔を見合わせる。

「そうだっけ」

「だったな」

 相変わらず軽く明るい声だった。これだけ単調な生活が続いているのに、あの青

年は全くストレスを感じていない様だった。今ではコクピットは青年の絵や彫刻で

一杯になっている。

「じゃあ、早く食べなきゃ」

 女性はネコを置いてホットドッグをねじ込んだ。

 男はトレーを持って立ち上がりがけに言った。

「そう言えば」

「?」

 と女性が言葉を発した男に目をやると。

「誕生日おめでとう」

 ほぉ、と女性の頬が少しゆるむ。覚えてたんだ。

「忘れなかったら次のドックでおごる」

 と行って男はトレーを食洗機の中に突っ込んだ。

「……ありがと」

 ああは言いながら、必ずあの男は忘れずにプレゼントなど用意するのだろう、と

女性は思った。

「………!」

 その時女性は妙な既視感を感じた。

 女性は何となく側のネコに目をやった。思い起こされるのは、キラキラとした緑

色の光のイメージ。

「…………?」

 側にいるアメリカンショートヘアの緑色の綺麗な瞳が、じっと女性を見つめてい

た。


 ネコは思っていた。

 また、色んなことが始まるのだ。

 何処かのホシでは、あの赤ん坊が成長しているに違いない。その側には、自分の

様な存在もまたいるのかもしれない。

 そしていつか、此処にいる三人が形を変えてそこに行くこともあるだろう。

 その時を想って、ネコは目を細めゴロゴロと喉を鳴らせた。


   *   *


 ネコは夢を見る。

 プランジたちは、走っていた。

 それは、いつしか夢で見ていた霧の中の砂漠のシーン。プランジが先頭で、ウィ

ズとリジーが続いて走っている。そこはホシの、ミチの上だったろうか。カメラや

ビン、ピアノやイエの外壁の様な瓦礫がミチのあちこちに落ちている。その一つ一

つが、何かを思い出させる様に朽ちて佇んでいた。

 走っていく先の霧の中では、一点の緑色の光が瞬いている。何かをそっと導く様

に。

 彼らは走っている。希望に漲る力に、突き動かされる様に。

 


                             ( 完 )




いかがだったでしょうか。

また別の主人公で『ヒュー』話は書こうと思っています。

プランジ編はこれにて。

ありがとうございました。

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