第5章 捨てた価値に気づくのはいつも遅い(フレデリク視点)
◆ 辺境への左遷
辺境への左遷を告げる通達が読み上げられた
その瞬間、 背筋が冷たくなるのを感じた。
「……は?」
自分の名前が呼ばれた。
だが、内容が理解できない。
「王位継承権を剥奪……? 辺境……?」
ざわめきが広がる。 そのざわめきが、まるで
自分を押し潰す波のように感じられた。
どうしてだ。
どうしてわたしが――。
◆ フランソワの泣き叫びと孤立
隣で、フランソワが泣き叫ぶ。
「いやよ! 辺境なんて行きたくない!
あなたがわたしをお姫様に
してくれるって言ったのに!」
チッ!うるさい女だ。
わたしの頭の中は今、それどころじゃない。
「黙れ!」
思わずフランソワの手を振り払う。
その瞬間、周囲の視線がさらに冷たくなるのがわかった。
……誰も、俺を庇わない。
どうしてだ。
ここで今、何が起きているのかわからなかった。
◆ エレナの静かな視線
視線を感じて顔を上げると、エレナがいた。
ただ静かに、俺を見ていた。
怒ってもいない。
泣いてもいない。
まるで、俺という存在をもう過去として
扱っているような…… そんな目をしていた。
胸が、妙にざわついた。
◆ ルイスの言葉
そこへ、あの男――ギルモア帝国の
第二王子、ルイスが一歩前に出てきた。
「自分が捨てたものの価値を、
あなたには一生理解できないだろう」
何か言い返そうとしたが、 周囲の
視線がそれを許さなかった。
◆ 馬車に押し込まれる
俺は、もう終わったのか。
馬車に押し込まれ、扉が閉まる直前。
自然と庭園の方へ視線が向いた。
エレナが子犬を抱いていた。
その腕の中で、子犬は安心しきって眠っている。
ルイスがその隣で、穏やかに微笑んでいた。
その光景が、胸に刺さった。
「……あれは、俺が捨てた世界か……」
ゆっくりと馬車が動き出す。
その音は、 俺の人生が静かに終わりを告げる音のように聞こえた。
◆ 辺境の寒さとフランソワとの罵り合い
王都から、辺境の地へ着いた。
丸二日、馬車に揺られていた。
辺境の地は、寒かった。
雪が降り積もっていた。
餞別にと母上から頂いた毛皮を2枚重ねてもまだ寒い。
「ねえ、ちょっと!寒いじゃない!
私にもその毛皮を1枚よこしなさいよ!
自分だけ2枚も重ねて恥ずかしくないの?
そんなんだから王太子の身分まで剥奪されて
こんな辺鄙な土地に飛ばされる事になるのよ!」
「うるさい!この馬鹿女!
こうなったのは全ておまえのせいだ!」
「なんですって!?自分こそ、
何の力もない廃太子くせに!」
「なんだと、この野郎!」
わたしとフランソワは、着いて早々、
雪の上を取っ組み合いながら転げまわった。
互いの頬を引っ掻き、髪を引っ張り合いながら。
この女の本性も見抜けず、偽りの姿にうつつを抜かした。
挙句、完璧な婚約者を切り捨てるという罪を犯した
わたしは、罪を償う為にこの地へと飛ばされた。
これから一生この女とこの地で生きていくのだ。
転がりながらも、外れてしまった毛皮の
ボタンをしっかりと留めなおした。
大事な防寒服だ。
この女に取られてたまるか。
これ以上寒くなるなんてごめんだ!
ふと、その時だった。
エレナの声が聞こえた。
◆ 過去の記憶──14歳の冬
「フレデリク様、冷えますからこちらをどうぞ」
昔…二人ともまだ14歳だったか。
王妃教育で王宮にきていたエレナが、
帰りがけに、わたしの部屋に顔を出した事があった。
小雪が舞い散る、とても寒い日だった。
エレナがわたしの肩にブランケットを
かけてくれた。
暖かくて軽いブランケット。
エレナはいつもさりげなくセンスの
いいものを選んでいた。
その日、父上から叱られたわたしは
すこぶる機嫌が悪かった。
「少しはエレナを見習え」
父上がドアを閉める前に呟いた一言が
ずっと耳を離れなかった。
わたしはエレナが肩に掛けてくれた
ブランケットを床に叩きつけた。
「うるさいんだよ!おまえは!」
エレナは動じる事もなく、ブランケットを拾い上げると
再びわたしの肩に掛けようとした。
「ですが、今日は寒いです。風邪を…」
「ああもう!しつこい!」
無性に腹が立ったわたしは、
エレナの頬を叩いた。
「バシッ!!」
と鋭く強い音がして、
エレナが床に倒れこんだ。
エレナは、泣かなかった。
わたしは手を貸さなかった。
エレナは痛みをこらえる様に、唇を噛んだ。
それから自力で立ち上がった。
その後、一瞬だけうつむいた。
それだけだった。
エレナはみるみる赤く腫れてくる頬を
隠すように手で押さえながら
何も言わずに、わたしの部屋を出て行った。
初めて人を叩いた。
わたしの手は震えていた
そのうち、心もガタガタと震えだした。
もし、エレナがこの事を公爵様に話したら?
もしも、父上にエレナを叩いた事がばれたら?
婚約破棄されるかもしれない。
わたしの暴力が原因で。
外聞が悪すぎる。
エレナにどう言い訳しようか。
いや、素直にあやまるべきだろうか。
頭がぐちゃぐちゃのまま、翌日、学園に行った。
学園で会ったエレナは、頬にガーゼを貼っていた。
わたしを見ると、
「おはようございます。フレデリク様」
そう言って、席についた。
それだけだった。
いつもと同じ。
何も変わらない朝だった
◆ 許されたと勘違いした日
エレナは、友人に頬のケガについて聞かれると、
「階段で転んでしまったの。わたくし、
こう見えてそそっかしい所がありますのよ」
そう笑って答えていた。
なんだ。そうなのか。
―許された―
わたしはそう思った。
エレナはわたしの行いを誰にも言わなかった。
それはなぜか。
エレナはわたしと婚約破棄したくないのだ。
それは、エレナがわたしを愛しているからに他ならない。
わたしは微笑んだ。
―この女には、何をしても許されるー
それからわたしは、エレナに対して
気遣いというものを失くした。
◆ 墜ちていく人生
面倒な政務は全てエレナに押し付けた。
浮気もした。
何回もした。
エレナは何も言わなかった。
わたしはいつも許されるはずだった。
婚約破棄などと言いだしたのは、
取り乱すエレナを見たくなったからだ。
いつも慌てることもなく。
感情的になることもないエレナ。
だから、「嫌だ」と言って泣きわめくエレナが見たくなっただけ。
フランソワはただの遊びだったし。
本当に、それだけだったのに。
「大っ嫌いでしたの」
それがわたしに対するエレナの本心だとしたなら。
許されていたのではない。
ただ『諦めた』だけ。
こっちのほうが、しっくりくる。
そのことに、わたしはようやく気が付いた。
震えだした唇から、苦い笑いが込み上げる。
わたしは一体、今までエレナの何を見ていた?
フランソワの投げた雪玉がわたしの
額に当たって砕けた。
鋭く冷えた痛みが額に広がっていく。
◆ 辺境での涙
わたしはしゃがみ込んでフランソワへ
と投げ返す雪玉を作り始めた。
かき集めた雪へと、数滴の涙が落ちる。
◆ 最後の独白
「エレナ…きみが動物を好きだなんて、知らなかったよ」
いや、それだけじゃない。
思い返してみて気づいた。
わたしは、エレナの好きなものを何一つ知らなかった。




