前口上 ― 鍵は扉だけを開けない
後の世では、この話は「好奇心を抑えられなかった花嫁」の物語として語られるでしょう。
青い髭を持つ富める男がいた。
その男に嫁いだ若い娘がいた。
男は娘に城の鍵束を渡し、こう言ったのです。
どの部屋を開けてもよい。
宝物庫も、客間も、長い回廊の奥にある銀の間も。
けれど、ただひとつだけ、開けてはならない部屋がある、と。
娘は、禁じられた部屋を開けました。
そこで血を見ました。
そして、鍵についた血を消せず、罪を知られてしまった。
そう語れば、これは戒めの物語になります。
約束を破ってはいけません。
好奇心に負けてはいけません。
夫の言葉に背いてはいけません。
けれど、リラ=ファブラは、その語り方をあまり好みません。
だって、そうでしょう?
鍵とは、本当に罪を暴くためだけにあるのでしょうか。
扉とは、本当に閉じられるためだけにあるのでしょうか。
そして、禁じられた部屋とは、本当に入ってはいけない場所なのでしょうか。
いいえ。
鍵は、閉じられたままにされた声を開くためにもあります。
扉は、誰かが隠した記録の前に立つためにもあります。
禁じられた部屋とは、入ってはならない場所ではありません。
誰かに見られては困る記録が、眠らされている場所なのです。
この世には、あらかじめ語られる者がいます。
王の名。
英雄の名。
契約の名。
勝者の名。
そして、その陰で、語られないまま積み重なる者たちがいます。
嫁いだ娘。
帰らなかった娘。
死んだことにされた娘。
逃げたと噂された娘。
病で伏せったと記された娘。
名簿から消され、肖像を外され、手紙を燃やされ、泣き声さえ壁の奥へ塗り込められた娘たち。
彼女たちは、ただ「前の妻たち」と呼ばれました。
けれど、人は誰かの前であり、後である前に、ひとりの名を持っています。
今夜語るのは、青い髭の男に嫁いだ花嫁の話。
いいえ。
開けてはならないと言われた部屋を開き、
語られなかった花嫁たちの名を、
もう一度、物語へ戻した娘の話。
鍵束は重く鳴ります。
その音は、銀でも、金でも、宝石でもありません。
閉じられた記録が、内側から扉を叩く音なのです。




