前口上 ― パン屑は道ではなかった
後の世では、こう語られるでしょう。
森に捨てられた兄妹がいました。
兄は賢く、帰り道を忘れぬように、白い石を落としました。
けれど二度目には石を持つことを許されず、かわりにパン屑を少しずつ道へ落としました。
けれど、夜が明けたとき、パン屑はありませんでした。
鳥たちが、すべて食べてしまっていたのです。
だから兄妹は帰れなくなりました。
森の奥へ迷い込み、甘い菓子でできた家を見つけ、そこに住む魔女に捕らえられたのだと。
ええ。
そう語れば、物語はとてもわかりやすい。
森は暗く。
魔女は恐ろしく。
子どもは哀れで。
お菓子の家は、甘く、残酷で、燃える炉の前で正体をあらわす。
けれど、リラ=ファブラは、ひとつだけ訂正しておきましょう。
パン屑は、道ではありませんでした。
あれは、帰るためのしるしではあった。
けれど、道そのものではなかった。
パン屑とは、飢えた子どもの手からこぼれた最後の食べ物。
家に戻りたいと願って、地面に置かれた小さな祈り。
そして、親に呼ばれなくなった子どもたちが、自分の名を少しずつ森へ刻んだ跡でした。
けれど、パンは食べられるものです。
鳥に。
獣に。
森に。
空腹に。
そして時には、人の忘却に。
名もまた、弱いものです。
呼ばれなければ薄れていく。
記されなければ崩れていく。
帰る場所がなければ、道の途中でほどけていく。
子どもたちは、森に入ってから迷ったのではありません。
家の中で、すでに迷わされていたのです。
食卓に置かれる皿が、少しずつ小さくなったころ。
父の声が、以前よりも遠くなったころ。
母ではない女が、ふたりの名を呼ばずに「邪魔な子たち」と言い始めたころ。
戸棚の中のパンが減り、炉の火が細り、夜ごと大人たちの囁きが壁の向こうで硬くなっていったころ。
そのころから、兄妹の帰る場所は、少しずつ削られていました。
だから今夜語るのは、ただ森に捨てられた兄妹の話ではありません。
飢えによって家から押し出された子どもたちの話。
帰る名を失わないために、パン屑ほどの祈りを落とし続けた兄妹の話。
そして、甘い壁と砂糖の窓でできた家が、子どもの名を炉で焼こうとした話です。
本当に怖いのは、森でしょうか。
いいえ。
森は、迷った者を飲み込むだけです。
魔女は、腹を空かせた名を嗅ぎつけるだけです。
もっとも怖いのは、子どもが家を出る前から、そこに帰るための名が焼け落ちていたこと。
それでは、聞いてください。
パン屑が消えた道の奥で、
それでも互いの名を呼び合った兄妹の物語を。




