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五十路転生 −転生先は更年期障害が呪いとされている世界だったので、現代漢方薬の知識を持ち込むことを女神に許されました−  作者: ねねこ


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9 睡眠は大事ですと言う話

「……で?スライムの話は?」

 ユイがぽつりと言った。

 部屋に残っているのはレオルドとカルーシャだけだった。

『あ』

 カルーシャが声を上げる。

「完全に忘れられてましたね」

 レオルドが遠い目をした。

「忘れないでよ!元はと言えばそっちが講義だの研究だの言い出したんでしょう!?」

「私は忘れておりません」

「嘘だ」

「少しだけです」

「忘れてるじゃない!」

 レオルドは咳払いをした。

「ですが、スライムの件なら実現は可能かもしれません」

「ほんと?」

「王宮魔術師団には生態研究部門があります」

「そんなのあるんだ」

「あります。魔物の生態調査や素材利用の研究を担当しています」

「じゃあ頼める?」

「頼むだけなら」

 レオルドはそこで言葉を切った。

「ただし」

「ただし?」

「ユイ様ご自身も実験に参加していただきます」

「もちろん」

「危険性の判断はこちらが行います」

「もちろん」

「怪しい物は口にしないでください」

「善処する」

「善処ではなく約束してください」

 即座に返ってきた返答にユイは目を逸らした。

 レオルドが額を押さえる。

『レオルド、胃が痛そうです』

「ええ、痛いです」

『お茶を飲みますか?』

「いただきます」

 差し出されたミントティーを受け取りながら、レオルドは深く息を吐いた。

 更年期障害と漢方薬の関連の講義を頼んだはずだった。

 気が付けば王国史の家畜と魔物の在り方の再検証と魔物食文化の研究、そしてスライムの食用化計画が始まろうとしている。

 

 なぜこうなった。


 だが――。

「ユイ様」

「なに?」

「もし本当に薬を飲みやすくできるのなら」

 レオルドは少しだけ笑った。

「試してみる価値はあるかもしれませんね」

 ユイの顔がぱっと明るくなる。

「でしょ!」

 こうして王宮魔術師団と漢方少女による、誰も予想しなかった『スライムゼリー開発計画』が始まるのだった。




「申し訳ございません、ユイ様!」

 目の前で土下座せんばかりの勢いでシーラが頭を下げる。

「私どものほうからお願いしておきながら、勝手に退出するなど、本当に……本当にどうお詫びすればよいか……」

「いや、そこまでしなくていいから顔を上げて」

 ユイは苦笑した。

 シーラは恐る恐る顔を上げる。

「ですが私は王宮魔術師団の次席としてあるまじき失態を――」

「歴史の真実に興奮しただけでしょ?」

「はい」

 即答だった。

「即答するんだ」

「女神様ご本人から何千年前の歴史の証言が飛び出したのです」

 シーラは真顔だった。

「興奮しない方が無理です」

「それはちょっと分かる」

 ユイも頷いた。

 もし前世で歴史上の人物本人が現れて、

『本当はそうじゃなかった』

 などと言い始めたら、自分だって食いつく。

「だから許す」

「ありがとうございます!」

「でも」

 ユイはにっこり笑った。

「スライムの件は忘れてないわよね?」

 シーラの動きが止まった。

「……」

「……」

「……忘れておりません」

「今の間は?」

「少しだけ歴史が優先されていました」

「正直だなあ」

 まあしかし正直な人だ。それは好感が持てるし、信頼出来る。

 少なくとも、この王宮に来てから出会った人たちは皆いい人だった。

 変人は多い。

 驚くほど多い。

 だが悪人はいない。

 たぶん女王陛下のおかげなのだろう。


 ……レオルドを見ていると苦労人枠が足りていない気もするけれど。

 

「もちろんユイ様のご提案は忘れておりません」

 シーラは背筋を伸ばした。

「既に生態研究部門へ連絡を入れました」

「早いな!?」

「歴史調査と並行して進めております」

「並行するんだ……」

「魔物と言う生き物に関しての知識を改めて考える必要があると思ったのです。そしてオーク肉の味に興味が出てきました」

「早いな!?」

「実は、歴史書の中に、オーク肉のレシピがあったのです。乾いた草の中でじっくりと焼き、塩を振るだけでとんでもなく美味しいのだと」

「あ、うん、それはすごく美味しいのは確か。そこに香草を合わせると臭みも消えてもっと美味しくなるよ。燻製にしてもいける」

「なんと!」

「あと、焼いた肉をスープに入れても美味しいよ」

「むむ……。オーク肉、燻製。香草との組み合わせ良好。煮込み料理にも適性あり、と」

 シーラが手元のメモに書き込んでいく。

「なんで研究記録みたいになってるの?」

「未知の食文化の調査です」

「食べたいだけでしょう?」

「否定はしません」

 シーラはきっぱりと言い切った。

「ねえレオルド、この人本当に王宮魔術師団の次席なの?」

「残念ながら」

「残念なの!?」

「優秀なのは事実です」

 レオルドは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。

「ですが一度興味を持つと止まりません」

「それはよく分かった」

「先ほど歴史書を漁りに行った連中も同類です」

「ああ……」

 ユイは遠い目になった。

『楽しそうですね!』

 カルーシャだけが無邪気に笑っていた。

 隣ではレオルドがこめかみを抑えて眉を寄せている。

「ところでシーラ」

「はい」

「スライムの研究は?」

「もちろん進めます」

「オーク肉は?」

「進めます」

「歴史調査は?」

「進めます」

「寝る時間ある?」

「努力します」

「ないんだね」

「寝る時間が惜しいのです」

「それはダメ。絶対ダメ」

「……ダメなのですか?」

「ダメ。睡眠時間は、人間にとって休息時間なの。人間は休息をとらないと頭が回らなくなって何も考えられなくなるの。それはつまり勉強も仕事も全部回らなくなるってことよ」

「……睡眠にはそのような力が……」

「違う。睡眠を適切に取らないと力そのものがなくなっていくのよ」

「力そのもの?」

「人間は寝ている間に体を休めて、頭の中を整理して、次の日に動くための準備をしているの」

「準備……」

「だから徹夜を続ければ判断力は落ちるし、集中力も落ちる。病気にもなりやすくなる」

「なるほど」

「つまり睡眠は特別な薬じゃないの」

 ユイは指を一本立てた。

「人間が人間でいるために必要なもの」

 部屋が静かになる。

「食事と同じ?」

 シーラが尋ねた。

「そう。食べなきゃ弱るでしょう?」

「はい」

「寝なくても同じ」

「……」

「だから研究したいなら寝なさい」

「うっ」

「寝不足で倒れたら研究できないでしょう?」

「正論です」

「正論だからね」

 横で聞いていたレオルドが小さく頷いた。

「私も人のことは言えませんがね」

「そうですよ。筆頭が一番無理をなさるじゃないですか。ユイ様、筆頭にも言ってください」

「レオルドには知り合ってからずっと言ってるわ」

「ええ、言われてますね」

「それで最近、筆頭が私たちにもきちんと食べろ、休めと言うようになったんですね」

「私も実際、きちんと休むようになったら体が楽になったのを実感するようになりましたので」

「うん、それでいいの。働いたらきちんと休む、それが一番大事」

『考えてみたら不思議ですね』

 カルーシャがぽつりと呟いた。

『昔の人間も、ちゃんと食べて、ちゃんと眠っていました。そうやって人はこの世界に増えていったのです』

「そうなの?」

『はい。ですが長い年月の中で、人が増えてそれを当たり前すぎるものとして忘れてしまったのでしょう』

「当たり前って、忘れやすいものね」

 ユイは苦笑した。

『だから私は、ユイが好きなのです』

「え?」

『ユイは当たり前の大切さを思い出させてくれるので』

 カルーシャはそう言って笑った。

『人は空を飛ぶ魔術に憧れます。病を癒す奇跡に憧れます。世界を変える力に憧れます』

 そして人は魔術でその奇跡を手に入れたのだ。

『でも、本当に大切なのは』

 幼い姿をした女神はミントティーのカップを持ち上げた。

『今日も食事ができること。夜になれば眠れること。明日もまた起きられること』

 それが生活と言う営みだ。

『そういう当たり前なのですよ』

 部屋が静かになる。

 シーラもレオルドも言葉を挟まなかった。

 魔術師として生きてきた彼らには、それはあまりにも身近で、あまりにも見落としていたことだったからだ。

「……なんだか」

 ユイが小さく笑う。

「それじゃ私の方が女神みたいじゃない」

『違いますよ』

 カルーシャは即答した。

『ユイはユイです。だからあなたの周りの皆は、あなたが好きなのです』

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