10 女王陛下とのお茶会
それから数日は、魔術師団との勉強、スライムゼリーのための研究に費やした。合間に、女王の体調の聞き取りと、その体調に関連しての漢方の調合をレオルドとやって、女王への漢方薬の処方を始めた。
女王の好物である果物を多めに取り入れつつ、栄養の偏りを減らすために野菜や豆類、魚介も少しずつ献立へ組み込んでいく。最初こそ女王は困惑していた。
「薬だけではないのですか?」
と首を傾げていたほどだ。
だがユイは女王の言葉に首を横に振った。
「漢方薬は手助けでしかありません。劇的に症状を改善するものではないのです。体を作るのは毎日の食事と適切な運動と休憩、何より質のいい睡眠です」
それは何度も魔術師団に話したことでもあった。
奇跡のように全てを解決する方法などない。
だからこそ、毎日の地味な改善の積み重ねが大切なのだ。
効果が出始めたのは十日ほど経った頃だった。
「最近、夜中に目が覚める回数が減った気がします。それから眠るときの脚の熱が引いたように感じます」
女王の言葉にユイは喜んだ。
ほんの小さな変化だったが、更年期障害に悩む者にとって、その小さな変化こそが大きい。
「それは良かったです」
ユイは笑った。
「焦らなくて大丈夫。少しずつです」
漢方も食事も生活改善も、魔術のような即効性はない。
けれど確かに、人を支える力がある。
ユイはそう信じていた。
「ユイ、今日はわたくしとお茶でもどうですか?カルーシャ様も」
「女王陛下がそうおっしゃるのなら」
『マーガレットとお茶できるのは嬉しいです!』
侍女が呼ばれ、すぐにお茶会の用意が調うのがさす王。さすが王宮の略としてカルーシャは言い出したことはここだけのナイショの話だ。
「不思議ですね」
「何がですか?」
「治癒魔法では何も変わらなかったのに」
マーガレットは自分の掌を見つめた。
「こうしてきちんと眠れるようになっただけで、世界が少し明るく見えるのです」
「眠ると言うのは、人の心と体を整えるもっとも必要で、命を支えるための行為だと私は思ってます」
「命を支える、ですか?」
「はい。……陛下。私のことはカルーシャから聞いているとは思いますが……」
「あなたが別の世界から生まれ変わってきたということ?」
「はい。私は前世で、今の陛下のような症状に長く悩まされ、戦ってきました。私が持ち込んでいる漢方薬は、すべて以前の人生で知ったものです。ですから漢方薬そのものは、私の功績ではありません。私は更年期障害と言う、人が老いていくうえで避けられないことを少しでも楽にするために、カルーシャに頼まれてこの世界に来ました」
「……」
「ですから陛下。どうか私にこの国に漢方を広める許可をください。漢方薬の栽培を広め、漢方薬の調合や使い方を広め、私でなくとも症状に対応できる人間を増やしたいのです。魔術は確かに万能です。ですが、魔術ではできないことを私はやりたいのです」
「……カルーシャ様の選んだ子は本当に素晴らしい優しさを持っているわね」
マーガレットは静かに微笑んだ。
「ですが、ユイ」
「はい」
「あなたは自分のしていることの大きさを理解しているのかしら」
「え?」
「それは新しい薬を広めるだけという話ではないわ」
「……」
「王国の医療そのものを変えようとしているのよ」
「……変えることはダメですか?」
「いいえ、ダメとは言いません。ですが、わたくしはそれにすぐ許可を出せる立場でもないのです。そうね、まずレオルドたちの魔術師団ともっと交流を深めて、魔術と漢方薬の医術との妥協点を探すところからやってくださる?この国は魔術の治癒が浸透しています。わたくし自身も魔術の心得がありますから、これを手放したり否定をしたりはできません。この国ではずっと老いとは呪いだと言われてきましたから」
『ええ。私もユイに救われたのです。ですから、ユイなら皆が呪いだと思っている老いからくる体調不良を真正面から救ってくれると思ったのです』
「救う、ですか」
カルーシャの言葉に、マーガレットは小さく目を伏せた。
「わたくしはずっと、この苦しみとは耐えるものだと思っていました。この苦しさに名前があることも知りませんでした。それはこの国では呪いと呼ばれていたものだから。そして、わたくしだけではなく、誰もが通る道だから。だから苦しいと言ってはいけないのだと」
「……」
「ですが」
マーガレットは穏やかに微笑む。
「楽になってもいいのですね」
「はい」
ユイは迷わず頷いた。
「楽になっていいんです」
マーガレットが頷いて微笑む。
「だって苦しいんでしょう?」
「……ええ」
「眠れなくて、体が熱くて、理由もなく気分が沈んで、誰にも分かってもらえなくて」
それは前世の自分だった。
だから分かる。
「それを我慢し続ける必要なんてありません」
「ですが、それは皆が経験することです」
「皆が経験することだからこそです」
ユイは静かに言った。
「誰もが経験する苦しみなら、誰もが少しでも楽になれる方法を探した方がいい」
マーガレットが息を呑む。
「我慢することと、頑張ることは違います」
「……」
「我慢しか選べない人を減らしたいんです」
それがユイの本音だった。
漢方を広めたい理由も。
生活改善を伝えたい理由も。
全部そこに繋がっている。
「私は治癒魔法や治癒ポーションみたいに怪我や病気を消すことはできません」
けれど。
「苦しい人の隣で、『少しだけ楽になる方法があるよ』と言うことはできます。そしてその方法を知っています」
マーガレットはしばらく何も言わなかった。
やがてそっと笑う。
「本当に不思議な子ね、あなたは」
「よく言われます」
「カルーシャ様」
『はい?』
「あなたはこの子を王国へ送る相手を間違えたのではなくて?」
『いいえ?』
カルーシャは首を傾げた。
『だってユイは、更年期障害を何とかするためにこの国に来てもらったのですよ?』
「そういう意味ではなくて」
マーガレットは小さく笑った。
「辺境の村ではなく、わたくしの子として送ってくれれば良かったのに」
『それではユイへの加護を与えるタイミングが、5歳ではなくもっと遅くなったかもしれません。王族へ加護を与えるのは、16歳と決まっていますから』
「そうでしたね」
「私はあの村で良かったよ。神官様たちもみんな優しかったし、孤児院のみんなとも楽しく仲よく過ごせたし」
とても良い子供時代を過ごしたとユイは思っていた。
だからこそ、あの村でやれる精いっぱいをしてきたのだ。
「この子は、人の心まで治してしまうのね」
ユイは慌てて首を振った。
「いやいやいや!私はそんな大層なことしてません!」
『していますよ?』
「カルーシャまで!?」
『それができるユイだから、私はこの子に加護を授けてこの世界へ命を送ったのです』
「と、いうことはユイもカルーシャ様から二重の加護を?」
『はい!』
枕がちょうどいい高さになる加護。
お茶の温度がちょうどよくなる加護。
一生肩こり軽減、腰痛もなし、関節痛もなし。
常に体温を適温に保つ。
それに漢方の知識。
二重どころではないのでは?とユイは思ったが黙っておいた。
「ところで、レオルドたちと何やら新しい試みをしていると聞きましたが……」
「あ、スライムゼリーのことですね」
「すらいむ……ぜりぃ?」
「陛下も飲んでいるから分かると思うんですが、漢方薬は苦いものが多いでしょう?それに風味も独特だし」
「ええ、確かに」
「だからそういった苦い薬を飲みやすくするために、甘くトロッとしたもので包んでみようと思って、今試しているんです」
「薬を飲みやすくするために?」
マーガレットが目を瞬いた。
「そのような発想はありませんでした」
「ないんですか?」
「薬と言うのは苦くて当然でしょう?」
「うわあ」
思わず声が出た。当たり前になっている概念を壊すのはやはり手ごわそうだ。
「その反応は何かしら」
「前世でも同じこと言う人がいました」
ユイは遠い目をした。
「でも、陛下」
「ええ」
「苦いから薬を飲みたくないって思う人はいるんです」
「それは……そうでしょうね」
「子どもなんて特に。これを飲めばよくなるって言ってもなかなか飲んでくれません」
孤児院の子どもたちの顔が浮かぶ。
熱を出した時。
咳が止まらない時。
薬を見ただけで泣きそうになっていた子もいた。
「だから薬そのものだけじゃなくて、どうやったら飲みやすくなるかも大事なんです」
「なるほど」
「効く薬を作るだけじゃ足りないの」
ユイは少し真面目な顔になる。
「ちゃんと飲んでもらえる薬を作らないと」
マーガレットは感心したように頷いた。
「そこまで考えるのですね」
「だって飲んでもらえないと意味がないですから」
『それはその通りです!』
カルーシャが元気よく手を挙げた。
『私も苦いのは嫌です!』
「女神様がそれを言いますか」
「言います!」
なぜか胸を張る。
「だからスライムなのですか?」
「はい」
「食べられるの?」
「それを今調べてます」
「まだ調べている段階なのですね」
「はい。今のところ、王宮魔術師団が大騒ぎになってます」
「何故ですか?」
「歴史調査とオーク肉研究も同時進行だからです」
「……」
「……」
『楽しそうですよ!』
マーガレットはとうとう吹き出した。
「レオルドが胃を痛めている姿が目に浮かぶわ」
『レオルドとユイは仲良くやっていますよ?』
「あの子は真面目で苦労人だから、あまり追い詰めないであげてね、ユイ」
「そんなつもりはないです。ただ、スライムに関しては、魔術師団の力を借りるしかないので、レオルドにお願いするのが一番手っ取り早いんです」
「もう始まっているの?」
「いえ、それが最初の段階で止まっちゃって」
「止まった?」
「スライムを持ってこようとしたら、討伐すると消えちゃうって言われて」
「そうでしたわね。他の魔物と違い、スライムだけは何故か死骸が残らない魔物なのです」
「じゃあ生け捕りにしようって話になったんですけど……」
ユイは苦笑した。
「誰もスライムの捕まえ方を知らなかったんです」
最初はスライムの採取依頼を出そうと思っていた。
だが、スライムは討伐すると消滅する魔物だった。
ユイの知る村の周辺で捕れる肉、もとい魔物は討伐後は死骸が残る。ユイの村の周りにはスライムはいなかったのだ。
それならスライムを生け捕りにしよう、と方針を変えたものの、今度は生け捕りの方法そのものが分からない。
冒険者ギルドに問い合わせても、スライムの生け捕りなど誰もやったことがないという返事だった。
魔物は討伐するものであって、捕獲するという発想自体が、この国にはほとんど存在しなかったのである。
「それは盲点でしたね」
マーガレットも苦笑した。
「ええ。レオルドなんて『捕まえるくらいなら倒した方が早い』って最初は言ってましたし」
『実際、その通りですからね!』
カルーシャは悪びれもなく頷く。
「女神様まで」
「でも、倒したら消えちゃうんですよね」
「ええ」
「だから今は、生態研究部門と魔術師団が『スライムを傷つけずに閉じ込める方法』を考えているところです」
「そこからなのですね」
「はい」
ユイは肩をすくめた。
「薬より先に捕獲技術の研究が始まりました」
マーガレットはとうとう声を上げて笑った。
「あなたは本当に、行く先々で新しい研究を生み出すのね」
「そんなつもりはないんですけど……」
『本人はいつも無自覚なのですよ』
「カルーシャ!」
『でもそのユイの探求心が皆を巻き込み、新しいものを生んでいきます。村でもそうでしたが、ユイが漢方薬の材料を村の栽培産業としたことで、あの村は以前より少し潤いました』
ユイが漢方と言う概念を持ち込んだ村には、薬草の栽培という新しい産業が生まれ、孤児院の子どもたちに簡単な漢方薬の作成方法を指南することで村の周りに売れるものが増えた。ポーションとは違い即効性はないが、長く地道に使用することで効果は確かにある。
何より、実際にカルーシャが加護を与えているという箔は強かった。
「ユイのいる村の領主は確か……」
「ポートナム伯爵さまです」
「そうでしたね。ポートナム伯爵は長年あの辺りを治めておりますが、穏やかで優しい老伯爵であったと記憶しています」
「はい。漢方薬の栽培に関しても、伯爵さまの更年期の不調を改善したことで許可が出たのです」
「まあ」
『なので、ユイの漢方は王国の一地域ではありますが、すでに実績はあります』
「魔術師団の皆様の力を借りることができれば、もっと早くもっと確実に王国全土に広めることができるのでは、と思ってます」
そうすれば、苦しみを和らげ、若い頃ほどではないにしても、それなりに体も頭も動くようになる人が増える。
それはすなわち、王国を支える人が増えるということだ。
マーガレットは静かに息をついた。
——これは、この国の力を強めることができる方向の話だ。
女王として、そう判断した。
ならば、まず女王としてやることは……。
「ユイ。すらいむぜりぃとやらでどうするのか、もう少し詳しい話をレオルドにまとめてもらって、私にあげてもらっていいですか?」
『マーガレット、自分の仕事を増やそうとしていませんか?』
「増えるのは仕事ではありませんわ、カルーシャ様。国の安寧です」
その頃、自分の研究室でレオルドが盛大なくしゃみをしていたかどうかは、カルーシャだけが知っている。




