8 ミントティーのお茶会と、魔物肉の真実
その一言は、あまりにも静かで、あまりにも真剣だった。
幼女化した女神はバスケットの中身を泣きそうな目で見ている。
「……おやつ食べてからにしてもいい?」
魔術師たちの間に、妙な間が落ちた。
誰も反論しなかった。できなかった、という方が正しい。
生活改善が魔力効率に影響する可能性とか、体系化の必要性とか、そういう壮大な理屈を一瞬で地面に引き戻す、圧倒的な現実。
空腹。
それも、料理長が作ったできたての焼き菓子が女神の手の中にある状況。
レオルドが、ゆっくりと手を挙げた。
「……異議は、ございません」
「レオルド!?」
後ろの魔術師が小声で抗議しかけるが、レオルドは視線だけで黙らせた。
「重要な講義の前に、適切な栄養補給は合理的です」
「今すごいもっともらしい理由つけたわね。さすがレオルド」
「褒められている気はしません」
「褒めてるわよ?」
『やったー!おやつです!』
カルーシャがバスケットを胸に抱えて空中で飛び跳ねる。
「カルーシャ、落ち着いて。クッキーが落ちちゃう」
『大変です!』
慌ててバスケットを抱え直す姿は本当にいと尊き女神なのだろうか、という疑問は自分だけではないだろう、とレオルドは遠い目をするしかなかった。
だいたい、王宮の廊下で我々は何をしているのか。
「ならば我々も同行しよう」
白衣の魔術師が声を弾ませた。
「……え?」
ユイが固まる。
「食事の内容は観察対象として非常に重要だ。特に治療を行う者の補給行動は――何かの理の片鱗が見えるかもしれない」
「ちょっと待って。ただのおやつだよ?ええと……」
ユイが片手を上げた。
名前も知らない相手なのだ。
「私はシーラと言います。王宮魔術師団の次席を務めております。どうぞお見知りおきを、聖女ユイ様」
「だから私は聖女じゃないって」
もう何度目だ、この否定。いい加減疲れて来た。
『行きましょう、ユイ!』
「……そうね」
部屋の前で待っていた侍女は、ぞろぞろと続く魔術師団を見て目を丸くした。
「レオルド様、これは……?」
「説明は後です。この部屋では全員は入りませんし、曲がりなりにも女性の部屋です」
「ちょっと、曲がりなりにもって何よレオルド!」
「事実を申し上げただけです」
「失礼ね!」
レオルドは肩を竦めた。
以前ならここで慌てて謝っていただろう。
だが最近は違う。
だんだんと、レオルドは色々な意味で遠慮がなくなっていた。
それは女神である自分に対してもだ。
だがそれもいい。
ユイには転生してから色々なことを背負わせすぎて来た。
だからこうやって何の遠慮もなく、ユイという少女を見てユイもなんの遠慮もなくぶつかる相手ができたことは女神としては僥倖だ。
レオルドは即座に判断し、全員を隣の広めの客間へ誘導した。
カルーシャがきょとんとした顔で魔術師たちを見る。
『彼らも一緒に食べるのですか?足りませんよ?』
「いや、普通に落ち着いて食べたいだけなんだけど……」
ユイの声はだんだん小さくなった。
レオルドは完全に諦めた顔で頷いた。
「ご心配なく。お二人のおやつを奪おうとは思っていませんよ。我々には、ユイ様がお持ちくださったお茶を手配しました」
「え、ハーブティー?」
「はい。侍女がそろそろ持ってきてくれるはずです」
「えー……いいけど、だいぶクセあるよ、ミントティーは」
「ミントティーと言うのですか?」
いつのまにかメモを取り始めていたシーラを始めとした魔術師団がユイの言葉を書きとり始めていた。
「そこまでするの!?」
そこに侍女が何人か入ってきて、全員にミントティーを淹れてくれる。
ミント特有の爽やかな香りが部屋中に広がった。
『ではいただきます!』
カルーシャが嬉しそうに焼き菓子を一つ手に取った。
その瞬間、場の空気は完全におやつ会に切り替わった。
ユイはようやく一つ息を吐き、椅子に座る。
ミントティーのさわやかな風味に口の中が洗われるようだ。
「ユイさま、このお茶の効能をご教授くださいますか?」
クッキーを食べている時に話しかけないでほしい。
ユイはクッキーを飲み込むと、カップを持ち上げた。
「これはミントティーと言います。ミントと言うハーブ……薬草と言ったほうが分かりやすいかな?摘みたてのミントの葉をきれいに水で洗ってから、香りを出すために千切ってティーポットに入れてからお湯をゆっくり注いで少し蒸らしてからカップに注ぎます。砂糖やハチミツを入れると飲みやすくなります。飲んでわかる通り、香りがかなり独特です。効能は胃もたれの軽減、口臭予防、イライラやストレスの緩和などです」
「……ふむ。確かに口の中がすっきりするな」
「他にも不眠や冷えなどに効くハーブティーがあります。皆様はまだお若いので実感はないでしょうが、人は年齢を重ねると心や体の調子が少しずつ変わっていきます。更年期障害というのも、その一つです。男性でも女性でも、加齢に伴い、必ず不調は出てきます。私がカルーシャからもらった加護は、漢方と言い、更年期障害に対する対処療法です。治すのではなく、上手く付き合っていくための下支え的なことです」
「つまり、漢方とは」
「精神安定魔法に近い?」
「魔力循環への作用では?」
「いや香気による脳への干渉か?」
「だから、魔術から離れて」
ユイは額を押さえた。
「皆さん、頭が良いのは分かるんだけど、何でも魔術に当てはめようとしないで」
魔術師たちが顔を見合わせる。
「しかし、現象には必ず理があります」
「そうですね」
「原因と結果が存在するはずです」
「それもそう」
ユイは頷いた。
「でもね、その理が全部魔術とは限らないの」
部屋が静まり返る。
「例えば、このミントティー」
ユイはカップを持ち上げた。
「これを飲んで口の中がすっきりしたでしょう?」
「ええ」
「したな」
「確かに」
「じゃあ、それは魔術?」
誰も答えない。
「違うよね。ただミントという植物がそういう性質を持っているだけ」
魔術師たちは考え込んだ。
「漢方もそれに近いの。植物や食べ物、人の体の働きを観察して、どうすれば楽になるかを積み重ねてきた知識」
「経験則、ということですか」
シーラが尋ねる。
「経験則だけじゃないかな。何百年、何千年と失敗と成功を積み重ねた結果」
ユイはクッキーを一口かじった。
「だから地味よ?」
「地味、ですか」
「うん。寝不足なら早く寝る。冷えるなら体を温める。栄養が偏るなら食事を見直す」
「……」
「……」
「……」
魔術師たちは複雑そうな顔になった。
「それだけで改善するのですか?」
「することもある。しないこともある。人それぞれ、個人差はあるもの」
「個人差?」
「そう。体調だったり基礎体力だったり、持病だったり。だから漢方は面倒なのよ」
だからこそ、1人1人の状態を確認して、これなら効くのでは、というものを選ぶのだ。
「同じ薬を飲ませれば全員治る、なんて都合のいい話じゃないの」
それは魔術の治癒との絶対的な差。
魔術の治癒は治るか治らないか、それだけ。
治らなければ諦めるのが当たり前なのだ。
「魔術の行使に個人差はないでしょう?それは、魔術が理そのものに作用するから。傷を治す、病気を治す、それが魔術の理」
沈黙のあと、誰かがぽつりと言った。
「それは……」
「はい?」
「思っていたより難しいな」
ユイは思わず吹き出した。
「ああ、それは正しい感想」
生活改善とは、往々にして一番地味で、一番続けるのが難しいのである。
「だから、私が講義できることなんて大してないの」
ユイは静かに言った。
「老化は呪いなんかじゃない。いずれ誰もが行く道で、そこでの不調は大なり小なり誰もが経験することよ」
魔術師たちは黙って耳を傾けていた。
「だから更年期障害については、もっと知ってほしいし、広まってほしいと思ってる」
「……」
「知らないから苦しむ人が多いの。そして漢方は、その苦しみを少しでも軽くするための知恵なの」
「……知恵」
「そう。知恵なの。そして知恵は、誰かが受け継いで終わりじゃない。どんどん積み重なって進歩していくものだと私は思ってる」
「進歩、ですか?」
レオルドが疑問を口にする。
「そう。今ある漢方をもっと枝分かれさせて、いつか既存じゃない漢方薬を作ってみたいと言うのが私の今世での野望なの」
「ユイ様は、既存の漢方に満足していないのですか?」
シーラの言葉に、少し考えてユイが微笑む。
「満足してるよ。でも、もっと良くできるかもしれないでしょう?」
「良く、ですか?」
「そう。もっと早く効くようになるとか、長く効くようになるとか」
ユイはカップを指で回した。
「苦い薬を飲みやすくするとかね」
「飲みやすく?」
「薬は効いても飲んでくれなきゃ意味がないもの」
「……なるほど」
「そうだ、実はそれで前から試してみたいことがあったの!これは魔術師の皆さんに協力をお願いしたいのだけど……」
「何でしょうか?」
「スライムが欲しいの!」
ユイの言葉に、その場が固まった。
「……」
「……」
「……用途を伺っても?」
レオルドが疲れた声で尋ねた。
「薬を飲みやすくする素材にならないかなって」
「スライムが?」
「うん」
「魔物ですが」
「知ってる」
「スライムは食用ではありませんよ?」
「だから実験するの」
「実験」
シーラの目が光った。
「そう。もし、スライムを食用にできるのなら、どんな苦い薬でも飲みやすくできるんじゃないかなって」
『苦い薬を飲みやすくですか!?』
何故か一番食いついてきたのはカルーシャだった。
「前世でね。幼い子たちに薬を飲んでもらえるようにって、ゼリーの中に薬を入れて飲めるように、って作られたものがあったの。孤児院の子どもたちもやっぱり苦いのは嫌ってよく言ってるから、あれに似たものが作れたらいいなってずっと思ってたんだ。だから、スライムなら代わりになるんじゃないかなって」
「なるほど」
シーラはユイの言葉に真顔で頷いた。
「魔物を薬剤補助素材として利用する研究ですか」
「そんな大層な話じゃないんだけど」
「前例はありません」
「そうなの?」
「ありません」
「え」
「そもそも、魔物は食材ではありません」
え、なら、魔物を討伐して食べている自分たちの村は何だと言うのだ。
オーク肉は美味しいし、フォレストディアーの角は漢方に使える。
一角兎などは、子どもたちの大好物だ。
そしてそれはどうやら独り言として、ユイの口からこぼれていたらしい。
「待ってください、ユイ様」
レオルドが手を挙げた。
「今、オーク肉と仰いましたか」
「え、聞こえてた?うん、言ったけど……」
「食べるのですか」
「食べるけど?」
「オークを?」
「オークを」
「……」
「美味しいよ?」
「……」
「燻製がおすすめ。あと、キノコとも合う」
「……」
「じゃあ逆に聞くけど、王宮で出されている肉は魔物じゃなければ何なの?」
「家畜に決まっているではないですか」
シーラが当然のように答える。
「え?家畜?」
「牛や羊、豚です。魔物とは違います」
「……」
ユイはしばらく黙った。
「いるの?」
「おりますが」
「普通に?」
「普通におります」
「えっ」
今度はユイが固まる番だった。
「カルーシャ、ほんと?」
『はい。この世界には家畜がいます。畜産と言う概念がありますよ』
「……知らなかった」
レオルドが眉をひそめる。
「まさか、本当にご存じなかったのですか」
「いや、家畜は知識としては知ってるけど!」
ユイは慌てて首を振った。
「いるのは知ってる!でも実際に見たことない!」
「見たことがない?」
「私の村の周り、魔物しかいないもの!肉を食べるなら魔物肉だけだよ!」
部屋が静まり返った。
「……」
「……」
「……」
誰かがそっと呟いた。
「辺境とは聞いていたが」
「想像以上だったな」
「失礼ね!」
ユイは抗議した。
「みんな普通に暮らしてるわよ!」
「普通の定義を確認したいのですが」
レオルドが疲れた顔で言う。
「オークを食べるのは普通なのですか」
「普通よ?」
「一角兎は」
「子どもたちの大好物」
「フォレストディアーは」
「角は薬、肉は食事。革は村に来る商人との取引材料よ」
「……」
レオルドは額を押さえた。
「ユイ様」
「なに?」
「その村は、王国の常識では普通ではありません」
「ええっ!?」
「まさか畜産の概念のない村がこの国にあろうとは……」
「私に言われても!だって生まれた時からそうだったんだもの!」
『そういえば、思い出しました。この世界で最初の畜産は魔物だったのですよ』
と、突然カルーシャが爆弾発言をぶっこんで来た。
「は?」
レオルドとシーラの声が綺麗に重なった。
『大昔の話ですが』
カルーシャはミントティーを一口飲んで続ける。
『当時は今ほど人里も広くなく、人もおらず、数少ない人にとっては、野生動物より魔物の方が身近だったのです』
「待ってください」
シーラがメモを取る手を止めた。
「歴史書にはそのような記述は――」
『残っていないでしょうね』
カルーシャはあっさり言った。
『何千年も前の話ですから』
部屋が静まり返る。
女神本人から歴史の裏話が飛び出したのだ。
「えーと」
ユイが手を挙げた。
「つまり?」
『昔の人は魔物を飼育していました』
「えっ」
『オークも食べていました』
「えっ」
『一角兎も食べていました』
「えっ」
『むしろ家畜化の試みもありました』
「えっ」
今度は魔術師たちが固まる番だった。
『オークを飼育し、それがやがて豚と言われる家畜になり、ラムシャーフは羊と言われる家畜になり、ホーンブルは牛と言われる家畜になっていったのです、何千年もかけて』
「……これはとんでもない歴史の真実だぞ」
興奮を隠しきれないシーラが立ち上がる。
「みんな!王宮図書館の歴史書を一つ残らずチェックするぞ!そこに新しい魔術の理があるかもしれん!」
「おお!」
とどたどたと部屋を出て行くレオルド以外の魔術師団の背中を、ユイ、カルーシャ、レオルドが見送る。
「……で?スライムの話は?」




