7 ショウガの聖女様
王宮の夕食は、とても美味しかった。さすが一流の食材と一流の腕の料理人がいる場所だ。
だが、まずユイが確認提案したのは、女王の食事についてだった。
「女王陛下の今夜と明日の朝の食事はこれで温かくて柔らかいものを作って差し上げて。固いのですりおろすのがお勧めです」
と差し出したのはショウガの袋だった。
本来この世界にはない食材だったが、カルーシャの加護の力でユイの前世の世界から無理やり取り寄せ、カルーシャの加護を与え、村の畑で育てたものである。
ユイのいた村では、今ではどの家の畑でも栽培されており、ちょっとした薬草として人気であったが、まだ王都までは届いていなかった。
「ユイさま、これは……」
『私の加護を籠めた体調の良くない人のための食材です。体を温めますので、すりおろしてスープに入れるといいですよ』
女神からの直接の食材とレシピとなれば、料理人たちのテンションも上がる。そしてレオルドもショウガに興味津々だった。
「その黄色い石のようなものに体を温める作用があるのですか……」
『ええ。私も神界でよく食してます』
「体を温める食材……ですか」
「香りも独特ですね」
「すりおろして使うのですか?」
料理人の皆さんが興味を持ってくれた。
「魚の臭みをとったりもできます。使い方に関しては、私が厨房にお邪魔しますが……」
ユイの言葉に前のめりに「ぜひ!!!」と頭を下げてくる勢いの料理人たちだった。
その夜は大きなベッドで、カルーシャと二人でぐっすりと眠った。
そして翌朝、一番に部屋にやってきたのはレオルドだった。
『どうしたのです、レオルド。まだユイも私も起きたばかりですよ?』
「おはようございます。朝早くからご無礼いたします。女王陛下のご容体について、一刻も早くお知らせをと思いまして……」
「女王陛下の容体が悪化したんですか?」
「いえ。その逆です」
『逆、ですか?』
「はい。陛下がお呼びですので、カルーシャ様、ユイ様、私と共に、陛下の私室へお願いいたします」
ではすぐに支度を、と二人とも髪をとかし、着替え、レオルドと共にマーガレットの部屋へ向かった。今朝は完全に顔パスだった。
女王の私室へ通されると、昨日とは空気が違っていた。
カーテンは開かれ、朝の光が差し込んでいる。
ベッドの上にいたマーガレットは、昨日よりずっと顔色が良かった。
「おはようございます、陛下」
『おはよう、マーガレット!』
「おはようございます、ユイ様、カルーシャ様」
その声にも力がある。
微笑みを浮かべる顔色も良くなっていた。
レオルドが小さく咳払いをした。
「昨夜、陛下は大量の汗をかかれました」
「そう」
「侍女が何度も交換の寝間着をお持ちするほどに。白湯もです」
「それなら予定通りね」
あまりにも当然のように言われ、レオルドは一瞬言葉に詰まった。
「予定通り……ですか」
「陛下に飲んでいただいたのは、葛根湯だもの。あれは発汗を促す作用があるの。それで熱を下げる。あ、でも本当に風邪の初期症状にのみ有効なの。悪化したら効かない。下手したら脱水症状を起こすし。陛下に葛根湯の処方が間に合ってよかったわ」
何を当たり前のことをと言わんばかりだった。
レオルドは頭を抱えたくなる。
『マーガレット。気分はどうです?』
「はい。昨夜寝室まで持ってきてもらったスープがとても刺激的な味ではありましたが、体がとても温まってそれで余計に良く汗をかいたのだと思います。今朝はとてもすっきりした気分なのですよ」
「陛下。今朝もショウガを使った朝食を食べてくださいね。それからもう少しゆっくりとお休みください。まだ治ったわけではないのですから」
「分かりました。幸い、今は急ぎの仕事はありません。本日はわたくしも一日休ませてもらおうと思います」
『そうしましょう。いつもマーガレットは頑張りすぎなのです。あなたが一日休んだくらいで、この国に憂いはありません』
「ありがとうございます、カルーシャ様」
『あなたも私のいとし子です。いつも見ていますよ』
女神に愛されている女王を見て、ユイは何か無理をしそうになったら、カルーシャに止めてもらおうと決めた。
この方は国の為なら、民の為なら無理を通す人だと理解した。
そのような国主に守られている自分たちは本当に幸せだ。
ならば、この方が苦しんでいる更年期障害の症状を徹底して調べ、楽になっていただかなくては。
いずれ加齢とともに楽になることは分かっていても、今辛いのとは別問題なのだから。
「さて、じゃあ次は厨房へ行きましょう。レオルド、厨房はどっち?」
「厨房、ですか?」
「ええ。陛下の為に滋養と栄養のある食事の指南に行くの。王宮の食事は豪華で美味しいけど、それだけじゃダメなのよ。栄養バランスが大事」
「えいよう……ばらんす……?」
知らない言葉だ。
料理とは、美味しい材料と腕のいい料理人がいればいいのではないか?
「ええ。まず食材を見せてもらって、そこからここからひと月分の陛下の献立を私が考えるわ」
「ユイさまが?」
「ええ。私は医者ではないけど、陛下の体調不良の聞き取りをして、やはりホルモンバランスが崩れた更年期障害だと判断したわ。すぐに改善するものではないけど、漢方と組み合わせて少しずつ改善していくことを目指しましょう。まずはひと月。そこからは王宮の料理人の皆様にお任せしたい」
『ユイの献立と漢方のおかげで、私もずいぶん楽になったんですよ。以前のように不眠やイライラに悩まされなくなりましたので、私の神官たちもユイに感謝しています』
レオルドはしばらく黙っていた。
漢方。
葛根湯。
ショウガ。
栄養バランス。
どれも聞いたことのない概念や食品、薬草ばかりだ。
しかし己の目で確認した証拠があった。
一晩で体調を回復させた女王陛下という証拠が。
「……分かりました」
「何が?」
「まずは厨房へご案内いたします」
「よし」
ユイは満足そうに頷いた。
その様子にレオルドは頭痛を覚える。
この少女は、自分が王国最高権力者の食事に介入しようとしている自覚があるのだろうか。
たぶんない。
絶対ない。
どこまで抑止になれるだろうか、と己を奮い立たせるしかないレオルドだった。
王宮の厨房は戦場だった。
巨大な鍋。
積み上げられた食材。
忙しく行き交う料理人たち。
その中へユイがやってきた。
「来た!」
「聖女様だ!」
「ショウガの聖女様だ!」
「だから聖女じゃないって!あと、ショウガの聖女様って何!?」
即座に訂正した。
しかし誰も聞いていなかった。
「もうツッコミがめんどくさい……」
と、ユイは諦めのため息をこぼした。
「まず魚料理だけど」
ユイは開き直って、ショウガを取り出した。
「これを少し擦って使うの」
「ほう」
「魚の臭みが取れるわ」
「なんですと!?」
料理長が食いついた。
「それからスープ」
「はい!」
「体調の悪い人には野菜を細かく刻んで柔らかく煮る」
「ふむふむ」
「そこにすりおろしたショウガを少し」
「ほう」
「塩は控えめ」
「ほうほう」
「あと豆」
「豆?」
「ええ、豆。豆は私が持ってきたものを使って。そのまま全部の具材が柔らかくなるまで煮込む。それで完成よ。陛下にはしばらくそのスープを毎食お出ししてくれる?」
料理人たちは必死に書き取る。
その様子はまるで魔術の講義だった。
昼過ぎ。
厨房を出たユイは少し疲れていた。何せ、ひと月分の献立を事細かに指示書を作ったのだ。
「料理人さんってすごい熱量ね」
『楽しかったですね!』
「楽しかったけど質問が多い」
『ユイもいっぱい話していましたよ?』
「まあね。あ、カルーシャ。持ってきた大豆を全部ここの厨房にあげちゃったから、しばらく大豆は食べられないわよ」
『ええー?』
「村に帰ったらまだあるから」
『それなら我慢します。あ、ユイ。先ほど、料理長の方から、これを頂きました。部屋に戻ったら一緒に食べましょう』
とカルーシャが手に持っていたバスケットを見せてくれた。白い布の下には焼きたての菓子が入っていた。
「うわぁ、嬉しい!早く部屋に帰ろう、カルーシャ」
『はい!』
すると廊下の向こうからレオルドが現れた。
「ユイ様」
「ん?」
「お願いがございます」
「嫌な予感」
「聞くだけ聞いてください」
レオルドは深々と頭を下げた。
「王宮魔術師たちへ、漢方についてお話しいただけませんか」
「……魔術師たちに?なんで?」
「はい。陛下からのお達しです。ユイ様に漢方について教えを請い、今の魔術と併用できるか模索しろと」
ユイは嫌そうな顔をした。
「……陛下も無茶言うわね」
「それが許されるお方です」
「まあ、でもそれで、国で更年期障害に苦しむ人を減らせるのならいいことね。私だけじゃ村しか手が回らないもの」
レオルドは遠い目をした。
「……昨夜の件で、魔術師たちは皆、大変興味を持っております」
「興味?」
「はい。魔法を使わずにどうやって陛下の症状をたった一晩で回復させたのかと」
ユイは頭を掻いた。
「困ったなあ」
「何がです?」
「陛下は確実に風邪の初期症状だった。それに効くから葛根湯を使って、適切にお休みいただいただけだもの。別に特別なことも難しいこともしてない」
魔術師たちが聞いたら卒倒しそうな答えだった。
『大丈夫ですよ!』
カルーシャが胸を張る。
『効いたのですから!』
「カルーシャ、それ説明になってない」
『でも事実です!』
「まあそうなんだけど」
レオルドは額を押さえた。
今日も胃が痛くなりそうだった。
だがもう諦めている。
この二人を自分たち魔術師の常識で測ること自体が間違いなのだ。
「でも私とカルーシャ、今から部屋に戻っておやつの時間なんだけど」
ユイがそう言い切った瞬間、レオルドの表情がわずかに固まった。
「……おやつ、ですか?」
『はい!これを料理長がくれたのです!』
カルーシャが誇らし気に掲げたバスケットの中には確かに美味しそうな焼き菓子が並んでいた。
「これはまた……美味しそうですね」
「でしょ?なら止めないでほしいんだけど」
「止めません。ただ、その前にもう一つだけ」
レオルドは一拍置いて、まるで爆弾の導火線を確認するように慎重に言葉を選んだ。
「魔術師団の面々が、一度でいいから実演を見たいと申しておりまして」
「実演?」
「はい。漢方とやらを用いた治療の手順を、です」
ユイは一瞬だけ遠い目をした。
「……やっぱりそうなるのね」
『ユイの治療はすごいですから!見せればみんな幸せになります!』
「カルーシャ、それは善意の地獄への招待状よ」
「?」
「人は善意からの行動のほうが、大変なことになることがあるのよ」
レオルドは咳払いを一つした。
「もちろん無理にとは申しません。ですが、王宮としては――その、魔術と併用できる可能性がある以上、体系化したいという思惑もありまして」
「体系化ねえ……」
ユイは肩の力を抜いて、廊下の窓の外に目を向けた。昼の光が石畳に落ちている。
「ねえレオルド。魔術師って、病気やけがを治すこともできるんでしょ?」
「ええ。可能です」
「じゃあどうしてただの風邪の初期症状で陛下が寝込むの?」
その一言に、空気が一瞬だけ止まった。
「……魔術は、万能ではありません」
「知ってる。だから私は漢方を使ってる」
ユイは小さく笑った。
「多分ね、役割が違うだけ。魔術は起きた現象をねじ伏せる力で、漢方は起きる前に整える知恵」
『ユイ、いいこと言いました!』
「今ちょっと黙っててカルーシャ」
レオルドはその言葉を反芻するように目を細めた。
「……起きる前に整える、ですか」
「そう。だから実演っていうなら、治療じゃなくて生活改善の話になるわよ?食事とか睡眠とか、地味なやつ」
その瞬間、廊下の向こうから別の声が飛んできた。
「それは非常に興味深いな」
現れたのは、白衣のようなローブをまとった魔術師だった。後ろには数人の同僚らしき影が控えている。
「生活改善……それが魔力効率にも影響する可能性はある」
「……なんか来た」
ユイは小さくため息をついた。
「ねえレオルド、これ絶対おやつの時間が消える流れじゃない?」
「……否定はできません」
『おやつ……』
カルーシャの声が一段だけ弱くなった。
魔術師たちの視線が一斉にユイへ向く。
その熱量は、先ほど厨房で浴びた料理人たちのそれと同じ種類のものだった。
ユイはもう一度、静かに天井を見上げた。
「……おやつ食べてからにしてもいい?」




