6 女王陛下の私室にて
客用の部屋とはいえ、中庭の庭園に面した部屋は十分に豪華で、前世も現世も庶民のユイには少々気後れする場所だった。
『まあ!ユイ、このベッドとても寝心地良さそうですよ!』
部屋の真ん中に置かれているベッドに飛び乗ってはしゃぐのは女神としてどうなのか、と思わなくもないが、まあカルーシャ本人が楽しんでいるのならいいのか、という気持ちになるユイだった。
『ものすごくふかふかです!』
「良かったわね」
『見てください、沈みます!』
「高級ベッドだからだろうね」
『これ、神界にも導入しましょうか』
「神界ってベッドあるの?」
『ありますよ?』
何を当たり前のことを、と言わんばかりの顔だった。
「てっきりカルーシャはあの長椅子で眠ってるんだと思ってた」
『あれも寝心地は悪くはないのですが……』
「ですが?」
『少々狭いのです』
「あー……そりゃ確かに」
『ですから普段は神官たちが奉納してきたベッドを使っています』
「神様にベッドを奉納するの?」
『枕もあります』
「枕も……?」
本当にカルーシャは、妙なところで人間くさい神様だ。
ユイは苦笑しながら窓辺へ歩いた。
窓の外には色とりどりの花が咲き誇る庭園が広がっている。
噴水。
白い東屋。
手入れの行き届いた芝生。
まるで絵画のような景色だった。
「すごいわねぇ……」
孤児院育ちの今世でも、会社員だった前世でも縁のなかった世界だ。
すると後ろから声がした。
『ユイ』
「ん?」
『緊張していますか?』
振り返ると、ベッドに腰掛けたカルーシャが珍しく真面目な顔をしていた。
「まあね」
ユイは素直に認めた。
「相手が女王陛下だもの」
『ユイなら大丈夫ですよ』
「根拠は?」
『だって』
カルーシャはふわりと微笑んだ。
『ユイは、相手が女王でも女神でも同じですから』
「……」
『まず最初に『ちゃんと寝てます?』って聞くでしょう?』
「聞くわね」
『だから大丈夫です』
何が大丈夫なのかは分からなかったが、なぜか少しだけ肩の力が抜けた。
確かに相手が誰であろうと、やることは変わらない。
女王だから特別な薬を出すわけではない。
更年期障害と思われる症状に苦しんでいる人がいて。
その苦しみが少しでも楽になる方法をユイは知っている。
それだけだ。
「そうね」
ユイは小さく笑った。
「まずはちゃんと眠れてるか聞いてみようか」
『それがいいと思います!マーガレットはこの国の施政者で、本当にまじめな子なので色々ため込んでいるんだと思うのです』
「初めてカルーシャに会った時みたいな?」
『ええ!』
女神は満面の笑みで頷いた。
しばらくお茶を楽しみ、カルーシャと話をしているとノックが響いた。
扉を開けると、レオルドが立っていた。
「申し訳ございませんが……」
「どうかしたの?」
「女王陛下に少々発熱のような症状が見られまして……。謁見は明日と言うことに……」
「発熱?他には?」
「寒気がして肩が凝っているとおっしゃってます」
「風邪じゃん」
「か、ぜ……?」
「風邪だとしたら、まだ初期症状っぽいし、今なら葛根湯が効きそうね。レオルド、白湯を用意して女王陛下の寝室へ持ってくるように伝えて」
「お、お待ちください……!」
「悪化する前に叩くわ。カルーシャも着いてきて」
『はい!』
漢方のカバンを手に部屋を飛び出したユイだったが、女王の私室の場所を知らない。
追いかけて来たレオルドが一言物申そうとしたとき、先制された。
「レオルド、私とカルーシャを女王陛下の寝室へ連れて行って」
「し、しかし……」
「悪化したら葛根湯が効かなくなる!悪化する前に対応するのが風邪の初期症状への対策よ」
ユイは真剣な顔で言い切った。
レオルドは困ったように額を押さえる。
「ユイ様、女王殿下はこの国で最も尊いお方です。いくら女神様の加護を受けた聖女様とはいえ、正式な許可なく私室へお通しするわけには――」
「だから私は聖女じゃないって」
「そこからですか!?」
「だって大事でしょ」
ユイはむっと頬を膨らませる。
「それに私は女王陛下が偉いとか偉くないとか関係なく、具合の悪い人を自分ができる方法で対応するだけよ」
「しかしですね……」
「レオルド」
ユイは少しだけ真面目な顔になった。
「今の女王陛下の症状、寒気と肩こりでしょ?」
「ええ」
「熱は?」
「まだ高くはありません」
「だったら本当に初期症状よ。今なら汗を少し出して温かくして休めば治まる可能性が高い」
「可能性、ですか」
「病気に絶対はないもの。でも早い方がいい」
ユイは漢方の入った鞄を軽く叩く。
「私は医者じゃない。魔術師でもない。でも経験上、今動くべきだと思う。教会の孤児院の子どもたちや神官様たち、シスターたちに同じ症状が出た時にも同じ対応をしてるわ」
レオルドは押し黙った。
宮廷魔術師としての理性と、ユイへの信頼が天秤にかかっているのが見て取れる。
『レオルド』
カルーシャがふわりと宙に浮いたまま口を開く。
『私も行きます』
「カルーシャ様……」
『もしユイが危険なことをするなら私が止めます』
「止められるんですか?」
『多分』
「多分!?」
レオルドが頭を抱えた。
しかしカルーシャは平然としている。
『ですがユイの判断は大体正しいですよ』
「大体なんですね……」
『百発百中ではありませんので。そして私は、マーガレットの即位の時に立ち会っています。覚えていませんか?』
「……覚えていますとも。私はまだ子供で末席にいましたが」
『私も久しぶりにマーガレットに会いたいですし、マーガレットも私に会いたいと思いますよ』
女神らしからぬ発言だった。
しばし、沈黙が続き、やがてレオルドは大きく息を吐いた。
「……分かりました」
「ほんと?」
「責任は私が取ります」
『偉いです!』
「褒められても嬉しくありません……」
レオルドは疲れ切った顔で呟く。
そして背筋を伸ばした。
「こちらです。女王殿下の私室へご案内いたします」
「よし、行きましょう」
ユイは満足そうに頷いた。
「白湯は?」
「女王陛下の寝室には常備してあります」
「では大丈夫ですね」
「大丈夫が何か分かりませんが。白湯は魔術師にも有用です。ですから魔術師である女王陛下の元には常に置いてあります」
「うん、それは偉い」
なぜか褒められた。
何だか幼いころ、母に頭を撫でられて「レオルドはいい子ね」と言われたことを思い出すようなユイの口調と声だった。
あの時と違うのは、褒められたはずなのに全く嬉しくないことだ。
そんな複雑なことを考えながら、レオルドは再びユイとカルーシャを伴って、王宮の廊下を歩き始めたのだった。
やがて三人がたどり着いたのは王宮の奥深くの王族の私室の特別宮だった。
その中でも一番高い位置にある豪奢な扉の前には騎士が扉を守るように立っていた。
「これはレオルド様」
「ああ、すまないが、女王陛下に取次ぎを頼む。聖女ユイ様と女神カルーシャ様を連れて来たと」
「だから聖女じゃないって」
「お黙りください、ユイ様。ここから先はこの国の中枢ともいうべき場所です」
厳しい声で言われ仕方なく黙る。
一度、女王の寝室へ入った騎士が少ししてから出て来た。
「女王陛下が聖女様とカルーシャ様にお会いになるそうです、どうぞ」
扉を開けられ、カーテンを引いた薄暗い部屋に三人が入る。
部屋の真ん中にある豪奢なベッドには、上半身を起こしたこの国の女王であるマーガレットがいた。
「女王陛下。お加減はいかがですか?」
「……よくは、ありませんが……」
『マーガレット!』
宙に浮いていたカルーシャがレオルドが止める間もなく、マーガレットのベッドの上まで一気に飛んでいく。
「カルーシャ様……。そのお姿は……」
『省エネモードです。この幼い姿ですと、神聖力をあまり使わずともよいのですよ』
「合理的ではあるわよね」
「ユイ様、お慎みくださいと……」
「はいはい」
「絶対分かってませんよね!?」
「レオルド、そちらのお嬢さんが……?」
「はい、陛下。カルーシャ様の加護を受けられた聖女ユイ様です」
「だから……ってもういいわ。初めまして、女王陛下。ユイと申します。平民故、無作法はお許しください」
「気になさらないで。カルーシャ様の加護を受けられた民ということは、この国にとっては誇らしいことですもの」
『マーガレットにも加護は授けていますよ!』
「はい、カルーシャ様にいただいた加護のおかげでここまでやってこれました」
「女王様もカルーシャの加護を……?」
『はい。マーガレットには、即位の時にこの国全体を守る結界の加護を授けました』
「……結界?」
「そうです。わたくしの義務はこの国と国民を守ること。ですので、カルーシャ様にこの国を守る加護をいただきました」
『マーガレットは自分のことではなく、国や国民の為に願いました。もう少し欲張りになってもいいのに』
「あら、カルーシャ様。わたくしは十分に欲張りですよ?」
『ではマーガレット。少々、私の欲張りも聞いてもらえますか?』
「何でしょう」
『そこにいるユイに、あなたの体の不調について話してほしいのです。今こうしていても、少し体調が悪そうですよ』
「……女王たるもの、そのようなことを口にするわけには……」
「僭越ですが、女王陛下」
ユイがカバンを手に、ベッドのそばに立つ。
「女王であろうと平民であろうと、体調不良は体調不良です。そこには何の差もありません」
『そうです、もっと言ってやってください、ユイ』
「私は、カルーシャの加護をもらい、その加護をこの国の苦しむ民のために使うのだと決めています。そして、女王陛下。あなた様も今は私の前では一人の体調不良者です」
「……」
不敬だっただろうか。
背後でレオルドが真っ青になっているのが分かった。だが、口にしてしまった言葉は戻らない。
「手を、触らせていただいていいですか?」
「……ええ、どうぞ」
白く細い手を取ると脈をとる。少し早いし、手のひらは汗ばんでいる。
「……少々失礼いたします」
手のひらをそっとマーガレットの首の後ろに当てると、気持ちよさそうに目を閉じた。
「やはり少し発熱しているようですね。今ならまだ葛根湯が効果がある段階だと思います」
「か……っこん、とう……?」
『ユイが作る薬です!私の加護です!マーガレット、あなたは本当に頑張り屋さんです。だから、今は少しだけ頑張ることを休んでください』
カルーシャが、マーガレットの頭をよしよしと撫でる。
「では陛下。これを白湯で飲んで、首筋を温めて横になってください」
ユイがカバンから出したのは、葛根湯の紙包。
風邪の初期症状に効果のある漢方だ。
「……では」
マーガレットは葛根湯の紙包を見つめた。
見慣れない薬。
「……毒見については私が済ませておりますのでご心配はいりません」
と、レオルドが伝える。
カルーシャが信頼し、レオルドが毒見まで済ませた薬だ。
そして何より――。
「あなた様も今は一人の体調不良者です」
そう言った少女の瞳に迷いはなかった。
レオルドの言葉に、一度だけマーガレットは頷いて、白湯を手に、三人の目の前で葛根湯を飲んだ。
「……これは……個性的な味ですね」
「漢方とはそういうものですので……。では陛下。首筋を温めて横になってください」
首の後ろに柔らかな小さ目のクッションを当てて、マーガレットは横になって目を閉じた。
「……ではあとは部屋を暗くして静かにお休みください。汗がかなり出ると思いますので、水分補給はして着替えも。って、陛下の着替えのお手伝いは……」
「大丈夫ですよ。基本的には侍女にお願いすることですが、寝間着を着替えるくらいはわたくしも一人でできます」
「ではそのように。レオルド、カルーシャ。女王陛下に必要なのは安静です。部屋を出ましょう」
そして三人は部屋を出た。扉の外には騎士が変わらず控えている。
「では私は、職場へ戻ります。カルーシャ様とユイ様はお部屋でおくつろぎください。食事の時間になりましたら、お迎えに参ります」
「って、ごめん、私、部屋がどこか分からない……」
なんせ広い広い王宮だ。来たばかりの田舎娘が宛がわれた部屋を覚えているわけがない。
レオルドは一瞬だけ無言になった。
「……そうでしたね」
「覚えられるわけないでしょ。廊下が全部同じに見えるもの」
何故か自慢げに言うユイに、疲れた顔をしたレオルドが突っ込む。
「全部同じではありません」
「同じよ」
「違います」
「同じです」
「違います」
なぜかそこで言い争いになった。
『私は覚えていますよ!』
カルーシャが胸を張る。
「本当?」
『ええ! あちらへ行って、こちらへ曲がって、それから長い廊下を進んで――』
「迷子になる説明だね」
『あれ?』
女神は首を傾げた。
レオルドが深いため息を吐く。
「お部屋までは侍女に案内させます」
「助かる」
「むしろ今さら一人で歩かせる方が危険です」
「失礼ね」
「先ほども女王陛下の私室へ一直線に向かおうとしていた方が何をおっしゃいますか」
「だって病人がいたんだもの」
「それは理解しております」
理解はしている。
理解はしているのだが、それとこれとは別問題だった。
『ユイは真っ直ぐですからね!』
「方向感覚も真っ直ぐだと良かったのですが」
『それは難しいです!』
「難しいんですね……」
レオルドは遠い目をした。
その様子にユイとカルーシャは顔を見合わせる。
そしてなぜか二人同時に、同じ言葉を口にした。
『「頑張ってレオルド」』
「誰のせいだと思っているんですか……」
レオルドの疲れ切った呟きが、静かな廊下に虚しく響いた。
それからレオルドが呼んでくれた侍女の案内で無事に部屋に戻ったユイとカルーシャが夕食に呼ばれるまで、カバンの中身を広げ、完成させていた漢方、生成前の薬草や乾燥させた木の皮を前にあれこれ盛り上がっていたため、呼びに来た侍女が部屋に漂う不思議な匂いで顔をしかめることになったのを、夕食に浮かれていたユイとカルーシャは知らなかった。




