26 最後の宴
ローリアをはじめとした城のお針子の精鋭たちは、「聖女ユイ様のためだけの一点物を」と腕を振るい、一着のドレスを仕立て上げた。
日々、採寸に駆り出されたユイは疲れてはいたが、お針子たちの使命と仕事に燃える目を見ていると嫌だとも言えなかった。
ちなみにカルーシャはおやつを手にそのドレスが仮縫いの状態から出来上がっていくのを楽しそうに見ていた。
やがてできあがったそれは白に近いアイボリー色のエンパイアラインのドレスだった。
「きれい……」
思わず息を呑む。
そのドレスを見た瞬間、前世で自分が袖を通したウェディングドレスを思い出した。
(似た色だなぁ……)
もっとも、あの時最初に思ったのは、レンタル品だったので
(これ、汚したらどうしよう……)
だったのだけれど。
そして、ユイの送別会という名目の宴の日が来た。
この半年で、王都は少しずつ変わっていた。
貴族たちの間では、更年期障害の有無を確認する全体的な問診が行われ、以前なら神罰や呪いと恐れられていた症状も、今では原因を知り、薬を飲み、適切な休養を取ればいい――そんな考え方が少しずつ根付いていた。
神殿もまた、カルーシャ自らの神託を受け、
――老いとは神罰でも呪いでもない。
という新たな教えを正式に示した。
最初は戸惑いの声もあった。
だが、実際に苦しむ者たちの体調が改善していくにつれ、人々の考えも少しずつ変わっていった。
世界は、一人の少女が運んできた知識によって、静かに姿を変え始めていた。
そしてその変化を祝福するように、王宮では「聖女ユイの送別会」が盛大に開かれようとしていた。
「ユイ様」
ユイの支度が終わったと聞いたレオルドが、エスコートのためにユイの控室に行きノックをすると、カルーシャの声で返事があった。『レオルドですか?開けていいですよ』
「では、失礼いたします」
ドアを開けた瞬間、レオルドは言葉を失った。
白に近いアイボリーのドレスをまとったユイが、窓から差し込む夕陽を受けて立っていた。
胸元から流れる柔らかな布地が彼女の華奢な身体を包み、飾り立てすぎない上品な刺繍が、かえってその美しさを際立たせている。
(……綺麗だ)
思わず見惚れた。
「レオルド?」
ユイに声を掛けられ、はっと我に返る。
「……失礼いたしました、ユイ様、お迎えに参りました」
「ありがとう。でもレオルドだけ?」
「え?」
どういう意味でしょうか?と聞こうとしたレオルドだったが、ユイの向こう側から、ひょい、と大人バージョンのカルーシャが笑顔で顔を出したことで察した。
『どうですか、レオルド。城のお針子の皆様が、私にユイとおそろいのドレスを作ってくれたのです』
少しだけユイのドレスとデコルテが違うデザイン。
女神の美しさを存分に引き出すドレスはとてもとてもカルーシャに似合っていた。
『私のエスコートはシーラがしてくれると聞いているのですが……』
そういえば、珍しくシーラが正装していたことを思い出す。
「カルーシャ様も、今宵の宴に出席されるのですか?」
『もちろんです!今宵の宴は私も招かれていると、すでにお触れは出ているとマーガレットにも聞いていますよ!』
「僭越ですが……カルーシャ様が宴に出ることを神殿側はどのように?」
『大丈夫ですよ。神殿には、「聖女との絆を示すことも神の務めです。そしてそのことを民に知らせるのは神官であるあなた方の役目ですよ」と申してあります』
なるほど、女神直々の申し渡しとあれば聞かないわけにはいかない。
しかし実はカルーシャは、この宴で振る舞われる新作料理やデザートを誰より楽しみにしているのだと、カルーシャの普段を知っている者はユイやレオルドを始めみな分かっている。特に、ユイの前世の神にお願いして、炭酸水をこちらの世界でも湧くようにしてもらってからは、炭酸水がすっかりお気に入りになり、炭酸水で果実水を割っては
『素晴らしいです……!』
と目を輝かせている。
そして今夜、料理長が満を持して完成させた新作デザート――炭酸スライムゼリーが初めて披露される。
試食は「宴までのお楽しみです」と固く断られていたため、カルーシャは朝から何度も、
『まだ始まりませんか?』
と周囲を急かしていた。
「宴は夜ですよ」とトレギスに言われて、少ししょんぼりしていた姿がとても可愛らしく見えたことは言わないでおく。
「……神様って案外、食いしん坊だよね」
「ええ。そこがカルーシャ様らしいのですが」
レオルドは苦笑した。
「遅くなりました、カルーシャ様」
その時、やっと正装したシーラがやってきた。
『やっと来ましたね、シーラ。では、ユイ、レオルド。参りましょう。宴で、炭酸スライムゼリーが私を待っています!』
「「「結局それ(ですか)か」」」
王宮の大広間にはきらびやかな魔導灯が灯り、楽団の音楽が流れている。
卓には様々な料理が並べられ、最近では魔物肉も王国では普通に食べられるようになり、家畜を育てている国内の畜産農家は魔物肉に味や品質を負けていられない、と奮起しているらしい。
会場の一角には、この国自慢の透明なガラスの器に盛られた炭酸スライムゼリーが、ひときわ目立つように並べられていた。
それを見つけたカルーシャの瞳が、ぱっと輝く。
『まあ!』
今にもそれに向かってダッシュしそうなカルーシャの袖をつかんでユイが止める。
その時、大広間の中心にいたマーガレットがこちらに歩み寄ってきた。隣にはトレギスが控えている。
『マーガレット、良い宴ですね』
「ありがとうございます、カルーシャ様。宴に女神様をお招きできるなど女王としてこの上ない誉でございます。ご出席いただき、まことにありがとうございます」
『マーガレットの作ったこの国の豊かさと平和が詰まったような宴です……本当によくここまで大事に丁寧に国を治めてきましたね、マーガレット』
「もったいないお言葉です、カルーシャ様」
カルーシャは、女王陛下が唯一頭を下げる相手である。
その見事なカーテシーに、大広間は水を打ったように静まり返った。
神殿で女神像を目にする機会は誰にでもある。
だが、その像と寸分違わぬ美貌を持つ女性が、今まさに目の前で女王の礼を受けている。
――本当に、ここにおわすのは女神カルーシャなのだ。
その事実を、居並ぶ貴族たちはようやく実感した。
最初のダンスを、とユイはトレギスに申し込まれ、少しはうまくなった、と褒めてもらえた。
それから料理の卓へ戻ると、テーブルを確保してくれていたレオルドとシーラが手招きしてくれたのでそこへ行くと、山盛りの炭酸スライムゼリーを食べて幸せそうなカルーシャもいた。
「……どんだけ食べてるの」
『ものすごく美味しいですよ、ユイ!』
「まあ、料理長渾身のデザートだもんね、そりゃ美味しいでしょ……」
「ユイ様は何を食べますか?」
レオルドが給仕をしてくれるというので、甘えることにした。
もうすぐレオルドとの時間も終わる。なら、その前に甘えられるところは甘えておこうと思ったのだ。
「じゃあショウガの肉料理がいいな」
「分かりました、お待ちください」
レオルドが運んできてくれたショウガ焼き風の肉料理を味わい、カルーシャが幸せそうにゼリーを頬張る姿を眺めながら穏やかな時間を過ごした。
それからレオルドやシーラを相手に数曲踊って壁の花になっていると、招待客の貴族たちに次々と声をかけられる。
「漢方薬のおかげで、うちの妻もゆっくり眠れるようになりまして」
「母が外へ出られるようになりました」
「父が、宰相様も改善されたとの話を聞いて、同じように問診と治療を受けてくれたのです」
「ありがとう、聖女様」
次々と告げられる感謝の言葉が本当に嬉しくて、ユイは漢方薬によって少しずつでも世界が良くなっている実感を得ていた。
すぐに大きく変わらなくてもいい。
更年期障害が老いによる呪いではなく、誰の身にも多かれ少なかれやがて経験することであると分かってもらえたら、そしてその症状とうまく付き合っていく方法があることを知ってもらえるだけでユイにとっては自分のことのように嬉しいのだ。
「ありがとうございます。でも、私はきっかけを作っただけなんです。薬を飲み続けたのも、ご家族を支えたのも、皆さん自身です」
そう、本人たちがその対処をしようとしてくれたから、漢方は受け入れられたのだ。
「だから、これは私じゃなくて、皆さんが頑張った結果なんですよ」
「いえ、聖女様がいなければ、私たちはずっとこれを呪いだと思ってあきらめるしかなかったのです」
だから聖女じゃないって、とはもうユイは言わなかった。
自分が「聖女」であることで、人々が前を向けるのなら。
その呼び名を受け入れることも、きっと自分の役目なのだと、ユイはようやく思えた。




