15 宰相様の問診
「レオルド、頼みがあります」
その日、マーガレットの執務室に召し出されたのは、レオルドとユイだった。
「何でございましょう、陛下」
「そなたの父――我が国の宰相、トレギス・エヴァンスの体調不良を、ユイと二人で診てください」
「……は?父の、でございますか?」
「ええ」
マーガレットは小さくため息をついた。
「ここ数か月、疲れが抜けぬ、眠れぬ、些細なことで腹が立つ、体が熱い、と申していてですね」
「医師にも診せましたが、これといった異常は見つかりませんでした。治癒魔術も試しましたが、回復の兆しがありません。それで思ったのですが、トレギスはわたくしと同じ症状なのでは?ユイ、男性にも更年期障害と言う症状はあるのですか?」
「ございます」
前世でも、男性更年期の症状を見て来た。特に、夫はひどかった。
不眠とホットフラッシュに悩まされていて、結子の勧める漢方薬でやっと改善したのだ。
「トレギスはとても仕事熱心です」
マーガレットは静かに続けた。
「多少体調が悪い程度では、自ら休もうとはしません」
「……」
「ですが、それではいけないと、わたくしも学びました」
マーガレットが、柔らかな笑みを浮かべる。
「老いは呪いではない、と。ユイに教えてもらいましたから」
その一言には、以前の自分を思い返すような優しさがあった。
「だから、わたくしが最も頼りにしている宰相も助けてあげたいのです」
レオルドは深く頭を下げる。
「陛下……父に過分なお心遣いを賜り、ありがとうございます。慎んでお引き受けいたします」
そして隣を見る。
「ユイ様も、よろしいですね?」
うん、これは断れない流れ。
「分かりました。お引き受けします」
マーガレットの執務室を辞したあと、廊下を歩きながらレオルドが珍しく口を開いた。
「……父が、そこまで悪かったとは知りませんでした」
「気付かなかったの?」
「ここ数か月は私も魔術師団の研究に籠もることが多く、家に帰ることも少なく、食事を共にした覚えもないのです。家でも王宮でも、父と会話らしい会話をしておりませんでした」
少しだけ悔しそうな声だった。
「疲れている様子は以前よりありました。ですが、父は昔から『仕事をしていれば治る』と言う人ですので……」
「うちの夫も同じタイプだったよ」
「ユイ様のご主人?」
「ああ、夫って言っても、今世じゃなくて、前世のね。眠れないのに『大丈夫』って言い張って、顔色が悪くても仕事に行こうとしてた人だった。病院に行かせて、更年期障害の診断まで持っていくのが一番大変だったわ」
ユイが苦笑する。
「だからそういう人は、周りがきちんと止めないと駄目なの。無理して倒れてから本人も周りも後悔するから」
レオルドはしばらく黙って歩いていたが、やがて小さく頷いた。
「……息子としては、少々複雑ですね」
「ん?」
「父は私にとって、常に完璧な宰相でした。弱音を吐く姿を見たことがありません」
その横顔は、いつもの冷静な魔術師団長ではなく、ただの息子に見えた。
「でも、宰相様だって人間だもん。完璧じゃなくてもいいんじゃない?」
「……そう、なのかもしれません」
珍しく素直な返事だった。
その瞬間、レオルドがふと立ち止まる。
「ユイ様」
「なに?」
「父を助けていただけますか」
「もちろん。私にできることは全力でやるわ」
「ありがとうございます」
礼を一言言ってから、レオルドは真顔で続けた。
「ですが、あまり全力を出しすぎないでください」
「どういう意味?」
「あなたの全力は、時に思いもよらぬ方向へ飛ぶので」
「それはレオルドも一緒だと思う」
「私がですか?」
「自覚ないの?」
いつもの軽口の応酬の中で、少々ユイは戸惑っていた。
レオルドの「ありがとうございます」と言った時のちょっとした笑顔がとても印象的だったのだ。
――その顔でお礼を言うのは反則だと思う。
耳が熱くなるのを誤魔化すように、ユイはわざと大きく咳払いした。
「と、とにかく!まずは詳細な診察よ。まず問診票を作りましょう。本人の自覚症状をまず聞き取り。そして、宰相様が更年期かどうか、ちゃんと確認しないとね!」
「はい」
レオルドは頷き、いつもの冷静な表情に戻る。
だがその目元が、ほんの少しだけ柔らかいことにユイは気付いてしまった。
――だから顔のいい魔術師はこれだから……!
魔術師はあまり関係ないだろうと、あとで思ったことは誰にも言わない。
レオルドと二人でああでもないこうでもないと作った問診票を持って、宰相の執務室へ向かうと、今日はすでにご帰宅されておりますと伝えられ、さてどうしたものかとユイが思っていたら
「では、自宅へ戻ることにしましょう」
とレオルドが提案してきた。
「よろしければ、ユイ様もご一緒に」
「え?」
「自宅であれば、父が仕事を理由に席を立つこともありません」
「どれだけ仕事人間なのよ……」
どこの世界にも、ワーカホリックはいるものだ。
しかし、早めに問診はしておきたいのもあり、ユイはカルーシャに「レオルドの家に行ってくる」と伝えて夕方に手配してもらった馬車に乗り王宮の敷地内にある宰相の屋敷へ向かった。出迎えは執事のヨーレフとメイド長のマリアンヌだった。
「おかえりなさいませ、坊ちゃま」
「ぼ……!」
そうか、そうだ、この人、宰相の息子だった、とユイは吹き出しそうになったのを何とかこらえた。
研究室では白衣代わりのローブを着て、薬草と魔物ばかり相手にしているせいで、すっかり忘れていた。
――レオルドお坊ちゃまだ。
思わず吹き出しそうになり、ユイは慌てて唇を噛む。
……だが、その様子は百戦錬磨の執事とメイド長にはお見通しだった。
「うん、最近はあまり帰宅できていなくてすまない。陛下直々の勅命で忙しくてな。ところで父上は?」
「旦那様でしたら、食事までは執務室にいると仰せつかっております。ただいま、坊ちゃまとそちらのお客様の分も食事を用意しますのでお待ちください」
「分かった。ああ、こちらの方はユイ様。カルーシャ様の加護を受けた陛下の主治医でもある」
「え?主治医じゃない、主治医じゃない!」
「お名前は伺っております。レオ坊ちゃまのお仕事もお手伝いいただいているとか。ユイ様、今後ともレオ坊ちゃまをどうぞよろしくお願いいたします」
深々と二人に頭を下げられ、ユイはどうしていいか分からなくなる。
「レ、レオルド!問診!問診に行きましょ!」
なので、逃げ出すほうを選んだ。
そのままレオルドに案内され、執務室へ向かった。
コンコン
ノックをすると、中から返事があった。
「なんだ、もう食事の時間か?」
「父上、私です。失礼します」
ドアを開けると、煌々と明かりをつけた部屋の窓際の執務机にトレギス宰相が座って書類を見ていた。
「なんだ、レオルド、戻ったのか」
「父上が今日はこちらに帰られたと聞きましたので、追いかけてまいりました」
「追いかけて……?と、そちらは聖女様ではないか」
「だから聖女じゃないって……。って言っても無駄かな」
肩をすくめて、ユイは今日の用事をまず終わらせることにした。
「父上。今日は陛下の勅命で参りました」
とレオルドが先手で言ってくれた。
「陛下の勅命ですと?」
ガタン、と音を立てて椅子から立ち上がると、レオルドが白紙の問診票を机の上に置いた。
「これは?」
「陛下から、父上の健康状態を問診にて聞き取り、必要であれば治療を行えと」
「……陛下が?」
「ええ。陛下直々に、私とレオルドに命じられたの。宰相様がもし自分と同じ更年期障害であれば治療を、と」
「……問診、とは?」
ああ、そういう概念がないのか。
「問診と言うのは、治療の前に自分で分かる範囲の自分の体の状態を自己申告するための行程です」
「陛下にも行っていた聞き取りのことか」
「そうです」
トレギスが、机の上に置いた問診票を手に取り、中身を確認していく。
「……確認内容が多いな」
「それでも最低限です」
「陛下の問診票はもっと多かったですよ」
「……陛下の命令……そして陛下もなさったことであれば、私がしないというわけにはいかないな……」
よし、説得は割とすぐ終わった。
ぶっちゃけ、もうちょいめんどくさい人だと思ってた。
と、ユイが見えない位置で拳を握ると、トレギスが立ち上がる。
「ユイ様、今、私のことをめんどくさい人間だと思ったでしょう?」
「うええ!?」
ちょ、なんでわかったの!?
「別に心を読んだわけではありませんよ。慣れているのです」
え?
「宰相と言う立場におりますと、目の前にいる人間の表情を読む癖がついてしまったのですよ」
「ええ、父上の観察眼の鋭さは昔からです。それを陛下に買われて、宰相になったのですから」
……ポーカーフェイスの練習をしよう……。
とユイは決めたのだった。
それから夕食後、応接室でトレギスの問診が行われることになった。




