↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
9/25

第9話 罪人なのだろう?

 翌日。


 護送は、思っていたより静かだった。


 少年騎士は遥の斜め後ろを歩き、必要なこと以外は喋らない。剣帯の金具が、歩調に合わせて一定の間隔で鳴る。


 昼が過ぎた。


 朝から何も食べていない。胃の奥が、きゅう、と縮こまる音を立てた。


「……お腹、空いたんですけど」


「…………」


「駄目ですか」


「待て。規則を確認する」


 ――確認するんだ。


 騎士は懐から小さな紙束を取り出し、真剣な顔でめくり始めた。


 指が何度も同じ頁を行き来している。表紙に名前らしきものが見えた。ユリウス、と読めた。


 ずいぶん待たされた末に、乾いたパンと干し肉が支給された。


「規則には、あったんですか」


「『護送対象の健康は保持せよ』とある」


「……そうですか」


「腹が減っては健康に障る。よって支給する」


 大真面目だった。


 パンは石みたいに硬く、噛むほど麦の匂いがした。干し肉は塩辛くて、飲み込むたび喉が鳴った。


 仮集落で配られていたものと、たぶん同じ種類の食べ物だ。それでも、干し肉が付くだけで、ずいぶん違って感じた。


 歩きながら、遥は聞いてみた。


「……私、何をしたんですか」


「俺に聞くな」


「罪人なんですよね?」


「……そう聞いている」


「誰から?」


「…………」


「知らないんですか」


「護送任務に罪状の把握は必要ない!」


 だんだん怪しくなってきた。


 この人、もしかして。


 私について把握できていないんじゃなくて。


 誰かを捕まえたこと自体、初めてなのでは。


 そう思って見ると、こちらの足が遅れると、必ず歩みが遅くなっていた。


 振り返りもしないのに、である。


 罪人を運んでいる、という顔をしているのに、やっていることは付き添いに近い。



     *



 連れて行かれた先は、想像していた牢獄ではなかった。


 城壁。


 石造りの街。高い塔。


 街の匂いが、風向きごとに変わった。パンを焼く匂い。獣脂の匂い。どこかの厩の匂い。人が生きている場所の、雑然とした厚み。焦げた匂いと土の匂いしか知らなかった鼻には、それがひどく眩しく感じられた。


 セルディア王国の王都。


 初めて国名を知った。


「セルディア……」


 地図帳にあった。小さい国。


 北と東を大国に挟まれ、西は山脈、南は川。


 地図を見たとき、どうしてこんな小国が残っているのだろうと思った。


 今なら、少し分かる。


 この国を取れば、その先へ進める。だからこそ、誰か一国に取らせたくない国でもある。


 緩衝国。


 時代も事情も違う例が、次々に浮かぶ。それでも、小国の位置が周囲の大国の行動を左右する構図には、見覚えがあった。


 知らない世界でも、過去の記録を足場にすれば、何を見るべきかくらいは考えられる。


 役に立たないと思っていたのに。


 今は、知らない世界を理解するための、唯一の物差しになっている。



     *



 城の前で、ユリウスは立ち止まり、遥を上から下まで見た。


 泥が跳ね、裂けたスカート。ほつれた袖。三日分の埃。


「……そんな姿では、お目通りはできん」


「お目通り?」


「まずは風呂に入って、衣服を着替えろ、とのことだ」


 連れて行かれた扉の向こうを見て、遥は固まった。


 湯気が、顔を撫でた。


「……お風呂?」


「浴場だ」


 浴場、という規模ではなかった。


 白い石造りの床。並んだ柱。天井は高く、湯気の向こうに、いくつもの浴槽が霞んで見える。水音が石の壁に反射して、幾重にも重なって降ってくる。


 遥の知っている風呂というより、歴史資料集で見た――


 ローマ浴場。


 と、また歴史に結びつけてしまう自分がいた。


「入れ」


「……あなたは?」


「ここにいる」


「…………」


「何だ」


「出てください」


「なぜだ」


「なぜって……」


 言葉に詰まった。


 詰まってから、自分でも意外なくらい、はっきり声が出た。


「お風呂に入るからです」


 他に言いようがなかった。


「だから見張るのだ。お前は罪人なのだろう? 罪人が羞恥など――」


 遥の眉が、ぴくりと動いた。


 遥は背を向けて、ブレザーのボタンを外し、肩から落とした。


 ……少しムキになってしまった。


「ま、待て」


 さっきまで威勢のよかった声が、裏返った。


「……何ですか」


「せめて向こうを向いていてやる」


「…………」


「なんだ、その目は」


「いえ」


 くるり。


 ものすごい勢いで、ユリウスは壁を向いた。


 耳が赤い。首筋まで赤い。


 直後、湯桶を抱えた侍女たちがぞろぞろと入ってきて、壁を向いたままのユリウスを「殿方は外へ!」と問答無用でつまみ出した。


「か、監視を――」


「私たちが行いますので、ご心配なく!」


 扉が閉まる。


 広い浴場に、湯の音だけが残った。



     *



 湯は、熱かった。


 肩まで沈むと、三日分の緊張が皮膚の下からじわじわ溶け出して、指の先まで痺れた。土と煙と汗が湯に流れていく。掌の爪の跡と、右の踵だけが、少しだけ沁みた。


 石の天井に、湯気がゆっくりと渦を巻いている。


 急に可笑しさが込み上げてきて、遥は少しだけ笑ってしまった。


 縄をつけられてから、ずっと胸の奥にあった怖さが、いつの間にかほどけている。


 罪人だと言われて、王都まで連れて来られて、そのあげくが、これだ。


 ――ユリウス。少年騎士。


 この人が、私を運んできた。


 遥に弟はいない。


 だから、本当にこんなものなのかは知らない。


 でも、もし弟がいたら。


 生意気なことを言って、格好をつけて、それなのに肝心なところで慌てる。


 こんな感じだったのかもしれない。



     *



 湯から上がると、衣裳が用意されていた。


 白い長衣。その上から重ねる、濃紺の胴衣。裾と袖口には、細い金の線が糸のように走っている。腰は同じ濃紺の帯で結び、房飾りが一筋垂れた。肩からは薄い紗が掛かり、歩くたび、白い裾の上を霞が流れるように動く。


 袖を通すと、絹に似た布が驚くほど軽かった。肌の上を、水が滑るように落ちていく。制服の、体に馴染んだ重さとはまるで違った。


 白が、多い。


 濃紺は縁取りのように置かれているだけで、身体のほとんどは白い布に包まれている。


 入るときに預けた荷物は、脱衣の場所に揃えて置かれていた。一番上で、レオンの外套が丁寧に畳み直されている。誰かが埃を払って、乾かしてくれたらしい。


 鏡の中に、知らない国の娘がいた。


 濡れた黒髪。見慣れない衣。姿勢だけが、いつもの自分だった。


 ……借り物だ。


 髪も、肌も、洗われて、着せられて。自分で用意したものが、何一つない。



     *



 浴場の外では、ユリウスが直立不動で待っていた。


 遥を見て、一瞬固まる。


「……どうかしましたか?」


「なんでもない! 行くぞ!」


 大きな扉の前で、ユリウスは足を止めた。


 磨かれた石の廊下に、二人分の足音がやけに高く響いていた。

ストーリーの途中ですが、やや閑話でした。浴場のモデルはローマの公衆浴場(テルマエ)です。新米騎士の初仕事に幸あれ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。