↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
5/25

第5話 聞いてほしい人

 レオンはすぐ見つかった。


 仮集落の中央、負傷者用の天幕から出てきたところだった。天幕の隙間から、血と薬草の混ざった匂いが漏れている。


 なぜ旅人がそんな場所を自由に出入りしているのか、という疑問は後回しにした。


「レオン」


 呼び止めてから、遥は息を整えた。


 自分から男性の名前を呼んで、追いかけている。


 そのことに気づいて、耳が熱くなった。


 違う。そういう場合じゃない。


「ハルカ?」


「……来ます」


「何が?」


「兵隊」


 レオンの表情から、笑みが消えた。焚き火の照り返しが、その顔から温度を奪ったように見えた。


「どこから」


「北東。三千八百くらい。騎兵もいます。大きな……たぶん攻城用の道具も」


 口にしてから不安になる。


 どうして分かるの、と聞かれたら説明できない。頭がおかしいと思われても仕方ない。


「ここへ?」


「進路を変えなければ」


 レオンは一度だけ、遠くの暗闇を見た。虫の声が、その沈黙の分だけ大きく聞こえた。


「どのくらいで来る」


 遥は意識を伸ばす。距離。速度。街道。こめかみが、また鈍く軋む。


「明日の昼より前、です。……たぶん」


「たぶん、か」


「正確には分かりません」


「それだけ分かれば十分だ」


 あっさり言われて、遥の方が戸惑った。


「信じるんですか」


「橋の噂を聞いたからね」


「噂です」


「じゃあ、僕が自分で確かめる」


 レオンは近くの男へ何かを告げた。男は一礼して走っていく。


 一礼。


 遥は引っかかった。旅人にする礼ではない。


「あなた、何者なんですか」


「レオン」


「それは聞きました」


「今はそれでいいよ」


 ごまかされた。


「それより、ハルカ」


「はい」


「もし本当に三千八百が来るとして、この集落はどうするべきだと思う?」


 まただ。


 私に聞く。


「逃げるしか……」


 言いながら周囲を見る。


 負傷者。老人。子供。荷車。


 全員が明日の朝までに移動できる? 無理。


 地形を見る。北東に街道。西に川。南に低い丘。背後に森。


 頭の中で歴史を探す。ページが、勝手にめくれていく。


 大軍から住民を逃がす。時間を稼ぐ。正面から戦わない。


 焦土作戦? 違う。自分たちの生活基盤まで失う。


 遅滞戦術。でも兵力が必要。城壁のない集落で、三千八百を止める方法。


 膝の上で、指が勝手に地面の形をなぞっていた。


「……ここを守る必要は、ないですよね」


「うん?」


「土地を守るんじゃなくて、人を逃がせればいい、ですよね」


 レオンの目が細くなる。


「続けて」


 その一言が、少しだけ遥の背中を押した。焚き火が、ぱちりと爆ぜる。


「敵に、ここにまだ人がいると思わせます」


 焚き火。天幕。荷車。そして森。


「撤収したあとも火を残す。天幕も一部残す。見張りがいるように見せる。敵が慎重なら、すぐ突っ込まず偵察します」


「慎重でなければ?」


「……そのときは」


 答えが止まる。


 歴史は万能じゃない。敵の指揮官がどんな人間か分からない。


 不可解なちからで視えるのは兵数や位置。性格までは、見えない。


「分からないです」


 遥は正直に言った。


「敵の指揮官が、何を考える人か分からないから」


 言い終えてから、肩が下がった。息を止めていたらしい。


 レオンは少し笑った。


「いい答えだ」


「答えになってません」


「分からないことを分からないと言えるのは大事だよ」


 遥は黙った。


 褒められたのかもしれない。でも、どう反応していいか分からない。


「じゃあ、相手が慎重になる理由を作ろう」


 レオンは地面に枝で簡単な地図を描いた。枝先が土を掻く、さらさらという音。


「南の丘に兵を置ける。多くはないけど」


「兵がいるんですか?」


「少しね」


 確定した。旅人じゃない。


 軍の人か、そうでなくても、兵を動かせる立場の人。


 私を探していた側かもしれない。


 でも、今はそれでいい。むしろ、その方がいい。


 遥は地図を見る。丘。森。川。


 ひとつ、思いつく。


 中国史。空城計。


 諸葛亮がわずかな兵しかいない城で、門を開き、自ら琴を弾いて敵を警戒させた――という有名な逸話。


 ただし、遥はそこで一度、自分にブレーキをかけた。


 これは『三国志演義』で知られる話で、確実な史実とは言えない。


 歴史マニアというわけではない。けれど、本当にあったことと、後から作られた話を、混ぜて覚えるのは気持ちが悪かった。


 それでも、創作だから使えない、ということにはならない。


 必要なのは「実際に諸葛亮がやったか」ではなく、弱者があえて余裕を見せることで、慎重な相手に罠を疑わせる――その心理の構造だ。


「……空城計」


「クウジョウ?」


「昔の話です。たぶん、作り話に近いですけど」


 遥は初めて、異世界の誰かに歴史の話をした。


 自分の声が、思ったより落ち着いているのが不思議だった。


「弱い側が、逃げずに堂々として見せるんです。相手に『何かある』と思わせる」


 レオンが笑った。


「面白い」


「でも、それだけじゃ賭けです」


「なら、賭けじゃなくす方法を考えよう」


 また「考えよう」だ、と遥は思った。


 この人は、一度も「それは無理だ」と言わない。


 二人で、地面の地図を見下ろす。


 焚き火が揺れて、枝で描いた線の影が、生き物みたいに動いた。


 遥は気づかなかった。


 いつの間にか、自分が誰かと「一緒に考えている」ことに。

空城計。『三国志演義』で有名になった逸話で、作中で遥も言うとおり確実な史実とは言えません。でも「不自然な無防備は罠に見える」という心理の構造は本物です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。