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第24話 あのとき、聞こえてた

 遥は話した。


 橋。焼けた橋板。渡ってきた七百八十一人。仮集落。そこを空っぽにした朝。二万の軍。撤退させた戦い。


 自分の口から順に並べていくと、思っていたより長くなった。


「え、待って。何日いたの」


「……半月くらい、だと思う」


「長っ! 私、三回野宿しただけだよ」


「野宿……」


「待って待って。それだけ長くいて、魔物は?」


「魔物? よく分からないけど、出会ってない」


「ダンジョン」


「聞いたことない」


「冒険者ギルド」


「見たことない」


「魔法」


「ないと思う」


「本当に?」


「少なくとも私は見てない」


「神秘的な力とか」


 遥は湯呑みを置いた。


「……それなら、ある」


「あるんじゃん!」


「魔法とは違うと思う」


「何ができるの?」


「今話した、戦場で視えた数字。王都で、オルネじゃないかって言ってる人がいた」


 あの夜、王城の一室だった。


 ――神秘《オルネ》、でございますかな。


 老臣の声を思い出す。


「こっちでは、そういう力のこと、そう呼ぶみたい」


「オルネ!」


 陽向さんの目が輝いた。


「固有名詞出た! それ絶対大事なやつじゃん!」


「大事かは、分からないよ。聞こうとしたら、その話は今はいい、って打ち切られちゃったし」


「えー」


「……世界から愛されてる、とは言われたけど」


「愛され系! 絶対何かあるって。オルネ持ちはみんな召喚された人、とか!」


「どうしてそうなるの」


「異世界だから!」


 遥は少し考えた。


 この人の言うことは、大半が外れる。露出の多い鎧に、防御力はたぶんない。


 けれど。


 現実世界には存在しない力が、この世界には存在するらしい。


 その一つを、私は持っている。


「久世さんってさ」


「何?」


「せっかく異世界にいるのに、現実の常識で考えすぎじゃない?」


「私は、別に……」


 反論しかけて、やめた。


 それは、少しだけ当たっている気がした。


 私は、知っているものから答えを探す。歴史。地形。兵站。過去に人間が実際にやったこと。


 全部、誰かがすでに一度やったことだ。


 この人は違う。存在するかどうかさえ分からないものを、平気で候補に入れる。


 九つ外れても、一つ当たれば大騒ぎする。


 効率がいいとは言えない。


 それでも。


 前例がないものを見つけるには、前例だけを探していてはいけない。


「……たまには、陽向さんの言うことも聞いた方がいいのかな」


「たまに!?」


「だってほとんど外れてるし」


「これから当たるから!」


「何が?」


「いろいろ!」


 根拠はなかった。


「じゃあ次、私の番ね」


 陽向さんが、湯呑みを両手で包んだ。


「着いたの、広場でさ。犬が吠えてるだけなの。迎えの馬車も、女神も、光る枠も出てこないんだよ」


「枠?」


「ステータス画面。……出ないんだ、あれ」


 本気で残念そうだった。


 何の話かは、半分も分からない。


 この人の一回目を、最後までこの調子で聞くことになるのだろうか。


「で、市場でね。串焼きの匂いがすごくて。お金ならあるって、五百円玉を出したの」


「さっきも出しかけてた」


「そう。爪で弾かれて、首振られた。たぶん、銀じゃないって意味。ひどくない?」


「ひどくはないと思う」


「それで、お腹すいたまま道端に座ってたら、異世界イケメンが来て。制服をじーっと見られて、クゼ=ハルカを知ってるな、って」


「……クラウス」


「そう。そのあと、ごはん奢ってくれたの。無愛想なのに、ゆっくり食べろ、って」


「無愛想……うん、分かる」


 初めて、疑問より先に相槌が出た。


「何食べたの」


「パンと、肉と、豆を煮たやつ。……あれ、美味しかったな」


 それから、町が夜のうちに騒がしくなったのだという。


「東が攻めてきたって、みんな走り回ってて。軍が出るっていうから、私も行くって言ったの」


「行くって言ったの」


「だって、久世さんが役に立ったんでしょ? 同じ学校から続けて呼ばれるとか、絶対なんかあるじゃん」


 絶対なんかある。


 その理屈だけで、この人は軍についていったらしい。


「反対されたでしょう」


「された。でも勝った」


「勝った……」


「条件は三つ。荷車から降りない。前へは出ない。退けって言われたら、振り返らずに退く」


 そらで言えるんだ。


「それで、荷車に乗せられて。麦の袋と油の壺の間に座って、東へ行ったの」


「……それで、向こうが」


「うん。向こうが、逃げ出したの」


 朝の教室で聞いた話だ。


「ゲイル……なんとかって呼ばれてた、偉そうな人が、追いかけろって言ったの。クラウスは、追うなって言ってた」


 湯呑みへ伸ばしかけた指が、止まった。


「二回聞いたんだよ、私。なんで追っちゃダメなの、って」


「……答えてもらえなかったんだ」


「うん。ずっと道の横ばっかり見てた。……今思うと、あれ、探してたのかも」


 たぶん、そうだ。


 あの人は、気づいていた。


「で、川があってね。幅は広いんだけど、浅いところがあって。膝までしかなくて、みんな簡単に渡っちゃった」


 渡らされた。


「それで、向こう岸に着いたら、草の中に隠れてた人たちが、いっぱい出てきて」


 陽向さんの声が、少し低くなった。


「すぐ、後ろの方まで戦いになったの。近くで兵隊さんが倒れて、剣が転がってきたから、拾って」


「……振れた?」


「無理。重いし、手は震えるし」


 陽向さんは、湯呑みから手を離して、自分の手のひらを見た。


「びっくりした。ゲームだと、片手で振り回してるのに」


「……本物だから」


「うん。本物だった」


 湯気が細くなって、途中で折れた。


「そのへんから、聞こえてきたの」


「聞こえる?」


「声。怖い、とか。帰りたい、とか」


「みんなが、そう言ってたの?」


「たぶん、言ってない。……けど、聞こえたの」


 遥は、その「たぶん」の重さを知っていた。


 自分も、あの丘の上で同じことを思った。数えたわけでもないのに数が分かる。説明できない。だから怖い。


「それも、オルネなのかな」


「かもしれない」


 二人分の湯気が、窓の光の中で混ざった。


「最後は、退けって声がして、みんな川に戻っていったの。行きはあんなに簡単だったのに、帰りは全然進まなくて。転ぶ人もいて」


 少し、間があった。


「剣は、そこで落としちゃった。……それで、気づいたら図書室」


 陽向さんが、ふいに顔を上げた。


「……あれ」


「どうしたの」


「最初に聞こえたの、戦う前だ」


 言った本人が、いちばん驚いた顔をしていた。


「荷車のところで、走っていく兵隊さんの背中に、鑑定ってやってみたの。そしたら、おかしな娘だな、って。おかしくないって言い返したのに、一回も振り向かないで行っちゃって」


「……うん」


「あの人、何も言ってなかったんだ」


 窓の光が、卓の傷の上に細く伸びている。


「うわ。鳥肌」


 笑っていたけれど、腕をさする手は止まらなかった。


 遥には、かける言葉が見つからなかった。


 視えるのが数字でよかった、と思ってしまった自分が、少し嫌だった。

第20話で、夏帆は走っていった兵に言い返しています。あのとき、兵は何も言っていませんでした。

夏帆のように読者様にも、伏線に気付いたときに鳥肌を感じてもらえるようなものを書きたいです。

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