第23話 この世界の常識
陽向さんが、こちらの姿を上から下まで、執拗に眺めている。
それから、自分を見下ろした。
濃紺のブレザー。蝶結びのリボン。膝上のスカート。放課後の図書室から、そのまま来た格好だった。
「……久世さん、それ、どうしたの」
「前のとき、こっちで着てたのが、そのまま。……ごめんなさい、一緒に歩くの、恥ずかしいよね」
「こっちの服で来られるとか、聞いてませんけど!」
通りの何人かが、また振り返った。
「久世さんだけずるい。めっちゃ異世界の人じゃん。私だけ制服のまま」
「……ああ」
そうだった。こういう人だった。
「私だって一回目は、胴当てと外套、借りてたんだよ? 来てないし!」
「……それ、大事にしてた?」
「全然。ぶかぶかだったもん」
「だいじなもの」では、なかったらしい。
「よし、服が最優先!」
「そういえば前に、見たことない服の子って、お尋ね者になったんだった」
「怖っ。じゃあなおさら急ぎ」
二人は市場の、古着と武具の混ざった店に入った。
薄暗い店内には、革と油と、埃をかぶった鉄の匂いが淀んでいる。梁から吊るされた鎖が、二人が入った風でわずかに鳴った。
店の奥を物色していた陽向さんが、声を上げた。
「ねえ見てこれ! これぞ異世界って感じ!」
掲げられたのは、金具と鎖と、ごくわずかな布でできた何かだった。
「陽向さん、それ、何?」
「防具!」
「防具、って。服を買いに来たんじゃ――」
止める間もなく、陽向さんは衝立の向こうへ消えた。
しばらくして、じゃらり、と金属の音がした。
「じゃーん!」
衝立から出てきた姿を見て、遥は言葉を失った。
胸当てというには小さすぎる金属板が、二枚。肩も鎖骨も剥き出しで、お腹は臍まで全開。腰回りは、布で覆われていると言うには巻き物が細く、ほとんど帯だった。ボトムスは股上が極限まで浅く、健康的な太ももが付け根の近くまで見えている。向きを変えれば、背面はほぼ全部、素肌だった。
つい、意識を向けてしまった。
見えるはずのない数字が、視える。
覆われている体表面積、七・二パーセント……。
薄暗い店の中で、窓からの光を拾った金具が、ちかちかと瞬いた。
「どう? 強そうじゃない?」
陽向さんは腰に手を当てて、胸を張った。遥より少し濃い色の肌をさらして、本人だけは完全に、歴戦の女戦士のつもりでいる。
布の少なさのぶん、体の線が、そのまま形になって出ている。
同じものを自分が着ても、こうはならない。
そこは、少しだけ羨ましかった。
ただし、決して着たいとは思わない。だって――
「……ほとんど下着」
「違う! 鎧! 女性冒険者は露出が多いほど防御力が高いんだよ」
「防御……力?」
「常識だよ?」
「どこの」
「異世界」
思い出してみる。あの戦場にいた兵は皆、揃いの鈍色の胸当てを着け、鼻まで覆う飾り気のない兜を被っていた。肌を見せている兵など、一人もいなかった。あそこに、女性はいなかったのだろうか。
「ここ異世界だけど、そんな常識ないかも」
「なんで!?」
「だいたい、それ、どこを守ってるの」
「夢とロマン!」
「というか、服じゃなくていいの」
そのとき、店主のおやじが揉み手をしながら近づいてきた。
「よくお似合いで! その一着はですな、遠い国から流れてきた逸品でしてな」
陽向さんの動きが止まった。
おやじの顔を、じっと見る。
三秒ほど。
「……おじさん」
「はい」
「これ、何年ここにあるの?」
おやじの笑顔が、わずかに固まった。
「……いやいや、そんな」
「目、泳いだ」
「泳いでおりません」
「今も泳いでる」
「…………」
陽向さんは衝立の方へ引き返しながら、遥に小声で言った。
「十年は売れてないと思う」
「なんで分かるの」
「顔。あれ、売りたいっていうより、やっと片づくって顔だった」
遥は、少し感心した。
自分には、埃の積もり方くらいしか分からなかった。
結局、陽向さんが選んだのは、杏色の丈の短い上着と、生成りのスカートだった。上着の裾は帯の上で切り上がり、スカートは前が短く、後ろへ流れるように長い。腰にはキャメル色の革帯を二重に回し、小さな鞄と房飾りを提げている。膝上まである長靴も生成り。金具は、鈍い金。
その中で一つだけ、腰飾りの石が青緑に光っていた。
「どう?」
くるりと回る。高い位置のポニーテールが遅れてついてくる。杏色の裾が、風を含んでふわりと広がった。
「……うん。すごく、似合ってる」
「でしょー!」
「でもお腹出てる」
「これは出すの! 機動力!」
「欲しいの、防具じゃないんだよね。服でいいんだよね」
「いいとこ取り!」
おやじが、また揉み手で寄ってきた。
陽向さんが財布を開く。五百円玉をつまみ上げて、そこで手が止まった。
「……これ、前も駄目だったんだ」
遥は腰の袋を開け、硬貨を一枚ずつ、おやじの手のひらへ置いた。
「お金持ってるの!?」
「手当、もらってたから。……軍師の手当、って言われて渡されたやつ」
「軍師!? 久世さん、軍師なんだ!」
「軍師じゃない」
店を出ると、日はまだ高かった。
並んで立つ、杏色と、濃紺。
石畳の上に落ちた二つの影は、丈も、形も、まるで違っていた。
町は、平和だった。
露店では果物が積まれ、子供が走り、老人が日向で舟を漕いでいる。荷車の車輪が石畳を鳴らし、どこかの窓から煮炊きの匂いが降りてくる。
この国は先日、東から国境を破られたはずだった。
それなのに町は、当たり前のように昼を過ごしている。
戦は、いつも誰かの日常の隣で起きている。
教科書はそのことを、一行も書いていなかった。
「ねえ久世さん」
「うん?」
「今すぐ軍のとこ行かなきゃ、って感じでもなくない?」
遥も同じことを考えていた。
前回は、着いた場所が戦場だった。考える前に走らされた。
今回は違う。
まだ、話す時間がある。
「……うん」
「じゃあ座ろう。あそこ」
陽向さんが指したのは、通り沿いの店だった。
卓が三つ。壺から茶を注いでいる女将。窓際の席が空いている。
「異世界カフェじゃん!」
「お茶は飲めそうだけど……カフェなの?」
「お茶飲めて甘いものあるならカフェ!」
「そうなの?」
「そう! すいませーん、ここ甘いものも置いてますか?」
遥は、また感心した。
名前も知らない店を、この人は迷いなく「異世界カフェ」と呼ぶ。知らないものを、知っている形に当てはめて、そのまま歩いていける。
遥には、できないことだった。
*
卓は使い込まれた木で、表面に細かい傷が無数に走っている。運ばれてきた茶は、日本のどの茶とも違う香りがした。乾いた草と、かすかに果物のような甘さ。湯気が窓の光に透けて、白い糸のように立ち上っていく。
小皿には、蜂蜜を塗って焼いた菓子が、いくつか並んでいた。
甘いものも、あったらしい。
「じゃあ、ちゃんと情報交換ね。放課後のは、答え合わせだったから」
陽向さんが両手を卓に置いた。
「久世さんの一回目、詳しく」
ビキニアーマーの元祖はレッド・ソニアだと言われます。一九七三年に登場したときは長袖の鎖帷子に短パンで、あの金属のビキニは、スペインの絵師エステバン・マロートが頼まれてもいないのに描いて送った一枚から広まったそうです。
夏帆の言う常識には、五十年分の歴史があります。




