↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
17/25

第17話 異世界はお金がかかる

 異世界召喚というものは、最初の十分くらいは楽しい。


 石造りの家を見る。楽しい。


 市場を見る。楽しい。


 剣を持った人を見る。とても楽しい。


 市場は、広場から一本入った通りにあった。


 板を渡しただけの台の上に、見たことのない果物が山になって並んでいる。赤いのか紫なのか決めかねたような色。楽しい。


 その隣で、串に刺した肉が焼かれている。脂が落ちて、炭が小さく鳴る。おいしそう。


 布を被せた籠に、拳ほどのパンが積まれている。おいしそう。


 おなかがすく。


 この辺りから、少しずつ楽しくなくなる。


「……お金」


 財布を開く。


 千円札。硬貨。学生証。ポイントカード。


 異世界における価値は、いずれも不明だった。


 五百円玉を露店の主人へ見せてみた。


 主人は手のひらの銀色をしばらく眺め、指で裏返し、爪の先で縁を弾いた。


 それから、首を横に振った。


 銀ではない、ということらしい。


「……銀貨っぽいし、いけると思ったんだけどなあ」


 当然ながら、電子マネーは試すまでもない。


「ステータス」


 何も出ない。


「ステータスオープン」


 出ない。


「オープン!」


 通行人が振り返った。パンを抱えた女が、子どもの手を引いて足を速める。


「……なんでもないです」


 幸い、言葉は通じた。


 通じたので、道行く人に片っ端から聞いた。


 ここはセルディア王国。王都から東へ、歩いて半日ほどの町。


 日本を知っているか。知らない。


 東京は。知らない。


 召喚された人間を保護してくれる役所はあるか。相手は変な顔をして去っていった。


 元の世界へ戻る方法は、聞くまでもなかった。


 やがて、聞く相手がいなくなった。


 市場の台から品が下ろされ、板が裏返され、店主たちが荷を積み始める。


 日が傾いて、石壁の影が道を半分まで飲み込んでいた。


「……詰んだ」


 陽向夏帆は、道端の石壁にもたれて膝を抱えていた。


 おなかがすいた。行くところもない。


 異世界召喚されたというのに、初期装備は制服、鞄、スマートフォン。財布の中身は使用不能。


 異世界攻略には、驚くほど役に立たなかった。


 膝を抱えたまま、道行く人の足を数えていた。二十を過ぎたあたりで数えるのをやめた。


 どこかで戸が閉まる音がした。石壁の影が、夏帆の靴の先まで伸びている。


 スマートフォンの画面を点ける。


 圏外。


 電池は、まだ八割あった。使い道がないだけだった。


「……大丈夫! まだやれることはいくらでもあるよね。明日は王都を目指してみよう」


「……ごはんさえ、調達できれば」


「おい」


「なんですかぁ」


 光を失った目で、顔を上げる。


 若い男が立っていた。


 背が高い。黒い髪。整った顔立ち。


「い……」


 夏帆の目に、急激に光が戻った。


「異世界イケメンきたー!」


 夏帆が勢いよく立ち上がった。石壁から背が離れる音がした。


 改めて、男を見る。


 簡素な上着だが、立ち姿は妙に隙がない。踵の揃え方が、そのへんの若者のものではなかった。


 男の視線が、制服へ落ちる。


 濃紺のブレザー。ネクタイではなく、蝶結びのリボン。膝上のスカート。踵の低い革靴。


 夏帆が身を捩って、スカートの裾を押さえた。何か勘違いをしたらしい。


 この町のどこにも売っていない布の組み合わせだった。


 男の眉が、わずかに動いた。


 それから、まっすぐに聞いた。


「お前」


「はいっ!」


 スカートを押さえていた手が離れ、背筋が伸びた。


「クゼ=ハルカを知っているな?」


「久世さん?」


 張り詰めていた肩が、すとんと落ちた。


「久世遥!?」


「やはり知っているのか」


「知ってます! 同じ学校です!」


「ガッコウ?」


「久世さんも召喚されたんですか!? 妖精いました!?」


「待て」


「何のスキルだったんですか!?」


「待てと言っている」


「魔法使えるんですか!?」


「話を――」


「ステータスは!?」


「……」


「レベル!」


 男は黙った。


 夏帆も黙った。


 二人の間を、荷車が一台、のんびりと通り過ぎていった。


「……もしかしなくても、私の言ってること」


「一つも理解できん」


「マジかぁ」


 その直後。


 ぐう、と、おなかが鳴った。


 石壁に反響して、思いのほか大きく響いた。


「……」


「……」


「今のは」


「さすがに、理解できた」


「ですよね」


「食ってないのか?」


 夏帆は小さくうなずいた。


 男は、しばらく夏帆を見ていた。


 それから、来た道を顎で示した。


 夏帆は、半歩後ろをついて歩き出した。


 市場はもう半分が畳まれていた。売れ残りの果物が籠へ移され、どこかの窓に、最初の灯りが点く。


 市場の角で、籠を提げた年配の女とすれ違った。


「あら、クラウス。珍しいわね、女の子を連れているなんて。それも、こんなに可愛らしい」


「食事に連れて行くところです」


 女が、夏帆をもう一度見た。


「あら、まあ」


 女は笑って行ってしまった。


「お兄さん、クラウスっていうんですね」


「……そうだ」


「可愛い女の子を連れてるね、だって」


 夏帆の肩が、小さく揺れた。


「可愛らしい、だ」


「……独り言にツッコまないでくださいよー」


「私も、クラウスさんって呼んでいいですか」


「好きにするといい」


「クラウスさんって、この辺りの人なんですか? みんな知ってるみたい」


「実家がある」


 石畳に、二人分の影が長く伸びていた。

五百円玉は、一度も銀貨だったことがないようです。今のものはニッケル黄銅と白銅と銅の三種類でできていて、その前はニッケル黄銅、さらに前は白銅でした。銀色に見えるだけです。

夏帆が最初にぶつかったのは、魔王でも魔物でもなく、これでした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。