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12/25

第12話 正面

 翌朝、遥のもとに装束が届けられた。


 白いブラウスの上に、濃紺の胴衣。金の小さなボタンが二列に並び、その上を焦茶の革帯が締める。下は同じ濃紺の、足首まで届く長いプリーツのスカート。黒い脚衣に、踵の低い黒の長靴。


 そして、黒の長外套。裾と袖口に、鈍い金の細い意匠が幾何学の形で走っている。背には頭巾。


 飾りらしい飾りは、襟元の蝶結びに留められた青い石だけだった。革帯の留め金の一つが、光の加減で琥珀色に見えた。


「軍師じゃないんですけど」


「陣に立つ者の見た目は、兵の士気に関わる」


 クラウスは真顔でそう言った。


 ――そんな役目、引き受けた覚えはありません。


 ――というか、聞いてません。


 口に出せば、たぶん「もう聞かせた」と返される。だから言わなかった。


 白い衣裳は、部屋に置いていく。


 鏡を見て、遥は気づいた。


 昨日は、白が多かった。


 今は、濃紺と黒が多い。


 同じ色を使っているのに、まるで違う人間が立っていた。


 袖を通すと、不思議と背筋が伸びた。外套は思ったより重く、その重さが、肩の上で覚悟の形をしていた。



     *



「どこへ行くんですか」


「軍議だ」


 廊下を歩きながら、クラウスは前を向いたまま答えた。


 やっぱり、と遥は思う。


 何とか静かにやり過ごそう。座って、聞いて、終わったら部屋へ戻る。それでいい。


 扉の前で、クラウスが足を止めた。


「昨夜、俺が言ったことを覚えているか」


「……はい」


「嘘も、世辞もない」


 そして、遥を見た。


「正面で、受け止めてくれ」


 ――正面。


 その言葉が、やけに重く残った。



     *



 軍議の席は、謁見の間より狭かった。


 卓が一つ。周りを囲むのは、十人ほど。


 全員が、遥より年上だった。たぶん、全員が、私より戦を知っている。


 レオンの姿はなかった。この場は軍の席だ、ということらしい。


 地図が広げられる。


 その瞬間、視界の端に数字が滲んだ。


 街道の幅。谷の長さ。川までの距離。


 誰も口にしていない数が、勝手に並んでいく。


 遥は指先で、無意識にそれをなぞっていた。


 クラウスが、遥の手元を見ていた。


 目が合う。


 彼は地図へ視線を戻し、何も言わなかった。


「では、軍師どのの案を伺おう」


 誰かが言った。


 軍師どの。


 ――誰のことだろう。


 一拍おいて、自分のことだと気づいた。


 喉が、渇いた。


「……あの」


 声が小さい。自分でも分かる。


「もう一度」


 クラウスが言った。責める調子ではなかった。


「皆に聞こえん」


 真っ直ぐに、遥を見据えている。


 ――正面。


 遥は息を吸った。


「……正面から、戦わない方がいいと思います」


 卓の何人かが、顔を上げた。


「二万と六千です。ぶつかれば、負けます。だから、ぶつからない方法を」


「逃げ回れと?」


 白髪の混じった将が言った。


「……逃げ回る、というか」


 言葉に詰まる。


 頭の中には、地図がある。河谷の形も、街道の幅も、川の位置も、全部入っている。


 なのに、それを人に伝える言葉が、出てこない。


 教室で「どう思う?」と聞かれたときと、同じだった。


 ――言え。


 自分に言い聞かせる。


 橋の夜も、集落の夜も、言葉にしたから何かが動いた。黙っていたら、七百八十一人は渡れなかった。


 私の言葉は、人を助けられる。


「敵は、この国が欲しいわけじゃありません」


 遥は地図に指を置いた。


「通りたいだけです。だから、通り道として使えなくします」


「どうやって」


「大軍ほど、たくさん食べます」


 指を、河谷へ滑らせる。


「二万人は、二万人分食べます。馬も食べます。武器も壊れます。剣や槍だけじゃなくて、その後ろに、食料を運ぶ荷車があって、飼料があって、水があって、傷ついた人を運ぶ人がいる」


 言いながら、少しずつ声が戻ってきた。


「強い軍隊ほど、身体の大きい生き物みたいなものだと思います。……大きいほど、食べないと動けない」


 誰かが、身を乗り出した。


「だから、前じゃなくて、後ろを狙います」


「補給線か」


「はい」


「昔、それで倒れた軍がいくらでもいます。遠くまで攻めた軍が、距離と補給に削られて」


 ナポレオンのロシア遠征。


 名前は、口に出さない。ここでは通じない。


「加えて、街道沿いの食糧庫は、空にします。人も、先に逃がします」


「補給を断ち、進路上にも、大軍が使える人や物を残さない。……そういうことだな」


 白髪の将が頷いた。


「人を払って、村は放棄か。……焼き払うのだな」


 卓の空気が、当たり前のように動いた。


 誰も、異論を挟まなかった。


 それが常道なのだと、その静けさで分かった。


「……焼きません」


 遥は言った。


「焼かねば、敵の糧になるぞ」


「中身は、運び出せます」


 声が、思ったよりはっきり出た。


「でも、器は、燃やしたら戻りません」


 将が、眉を寄せる。


「一年かけて実らせたものを、一晩で灰にする話です。それをやったら、敵が去ったあと、そこにいた人たちが飢えます」


 ――集落の、湯気の立つ鍋を思い出した。


 あそこには、まだ人が帰ってこられる。焼いていないから。


 沈黙が落ちた。


 言い過ぎただろうか。


 やっぱり、素人が口を出すことでは――。


「戦う場所を、選びたいです」


 言ってしまった。


 二万と六千が、開けた場所でぶつかれば、数がそのまま結果になる。


 でも、狭い場所なら違う。


 道の幅に入れる人数は決まっている。前の列しか戦えず、後ろは詰まって動けない。


 ――森で、そうだった。


 千二百が、たった数十本の倒木に足を止めた。


 地形は、数を削れる。


 それに、大軍が通れる道は限られる。限られた道には、必ず荷車の列が伸びる。


 誘い込む場所と、補給を断つ場所は、同じでいい。


 だから、選びたい。


 言ってから、遥は自分の言葉に気づいた。


 「こうした方がいいかもしれません」ではなく。


 自分から、したい、と言った。


 初めてだった。


 これまでは、いつも相手が決めていた。橋を落とすと決めたのはクラウスで、集落へ来ると決めたのは敵だった。私はそのたびに、決まったあとの盤面に、後から手を伸ばしていただけだ。


 クラウスが、卓の上の駒を一つ動かした。


「――砦を捨てる」


 将たちが、一斉に彼を見た。


 遥も、意味が分からなかった。


 砦は、守るための場所だ。捨てる理由が――。


 そこまで考えて、繋がった。


 砦がある限り、敵はそこへ来る。


 だから、戦う場所はいつも敵が決めていた。


 ――捨てれば、選べる。


 息を呑んだ。


 この人は、いま、私の一言で、守るはずのものを手放した。


「敵に、逃げたと思わせる。誘い込む場所は、軍師どのが選ぶ」


「閣下、しかし」


「三倍の敵に、正面から当たって勝てる案があるなら聞く」


 誰も答えなかった。


 砦を捨てると言い出した人間が、その責任を一人で負う顔をしている。


 私が「選びたい」と言っただけで、この人は迷いなくカードを差し出した。


 ――正面で、受け止めてくれ。


 私が、それを。


 遥は、自分の手が震えているのに気づいた。


 通ってしまった。


 自分の言葉が、これから六千人を動かす。

当初は12話で第一章が終わるプロットでしたが、増えてます。書きたくて、遥の成長のようなものを。

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