また来た
作業が進んだので、そのまま本編としてスタートしちゃいます!
1日2話ほど更新していきます!
昼前になると、廊下から足音が聞こえてくる。
速くも遅くもない、迷いのない歩き方。もう聞き覚えてしまった。
(また来た)
私は手を止めずに、鍋の火加減を確認した。
「今日は何を使う」
厨房の入口に、ライアス様が立っていた。昨日と同じ場所、同じ姿勢。書類を抱えたまま、まっすぐこちらを見ている。
いつの間にか、これが習慣になっていた。
「根菜と豆です。それから、今日は生姜を入れようと思っています」
「……理由は」
「この季節、体の芯が冷えやすいので。温めると、夜の眠りが深くなります」
ライアス様は少し間を置いた。
「そうか」
それだけ言って、いつもの椅子を引いた。
(椅子が「いつもの」になっている)
気がついたら、ライアス様には厨房に定位置ができていた。窓際の、壁に近い椅子。光が差し込んで、煮炊きの匂いがして、ペリーもあまり入ってこない場所。
最初は書類を持ってくるだけだった。それが今は、私が料理を作り終えるまでそこにいることがある。
何をしているわけでもない。書類を読んでいるか、窓の外を見ているか、ときどき食材の話を聞いているか。
(静かな人だ)
鍋を混ぜながら、私はそう思った。
怒鳴らない。急かさない。「早くしろ」も「もっとこうしろ」も言わない。ただそこにいて、静かに待っている。
前世の職場を思い出した。常に誰かに急かされていた。患者の家族に、上司に、同僚に。「次は?」「まだ?」「今日中に」。休む暇など、最初からなかった。
ここは、静かだ。
煮えてきた鍋から、湯気が上がる。生姜の匂いが厨房に広がった。
「いい匂いだ」
ライアス様がぽつりと言った。
「生姜です。鼻から入ると、体が温まります」
「……食の専門家でも、そこまで知るものなのか」
私は手を止めた。
「……なんですか?」
「前に、食の知識は昔からと言っていた。どこで学んだ」
(聞いていたのか)
少し考えた。前世の話を正直にするわけにはいかない。でも嘘をつくのも、この人には気が引けた。
「……独学です。食べることが好きで、食材のことを調べていたので」
「独学で、あれほど知っている」
「食材が教えてくれるので」
少し間があった。
「……そうか」
また少し間があった。
「信じるのか、それを」
「知識と一致しているので」
ライアス様は書類に目を戻した。否定しなかった。おかしいとも言わなかった。ただ、次の書類に視線を移しただけだった。
鍋の火を弱めた。
(……なぜ話したのだろう)
ふと、そう思った。
「食材の声が聞こえる」は、人前ではほとんど言わない話だ。前世のことも、管理栄養士だったことも。職場でもよく説明できなかったし、父にも詳しくは話していない。
なのに今、この人には自然に答えていた。
(なぜ)
考えてみたが、答えが出なかった。
「できあがりまで少し時間がかかります」
「構わない」
厨房に、煮える音と、紙をめくる音だけが残った。
(また働いている)
そう思いながら、なんとなく手が止まらなかった。
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その夜、ペリーが厨房に来た。
「フィーナ様」
「はい」
「公爵様が——昼食の時間を、楽しみにしていらっしゃるようです」
私は手を止めた。
「……食材の効果だと思います」
「ええ、もちろん」
ペリーは笑った。でも、私が思ったのとは少し違う意味で笑っている気がした。
「それから」とペリーが続けた。「今夜も、よくお眠りになられたそうです」
「そうですか」
ペリーはもう行ってしまっていた。
私は一人、厨房に残された。
楽しみ。
その言葉が、頭の中でもう一度繰り返された。
(食材の効果だ)
でも——鍋に向かいながら、なぜか翌日の献立を考えていた。
明日の昼前、あの足音が聞こえたとき——
自分が息を止めているかもしれないと、なんとなくそう思った。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
これからは、自分のペースで執筆をつづけていくつもりです。
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